ラスト・ヴァルキリー 6話
星の光とは美しくも弱々しいものだ。天の蓋を美しく彩る星々はしかし、作った光の照らす眩さを前にすれば、その殆どは恥ずかしそうに姿を隠してしまう。
だが、人は無意識に夜天に焦がれるものなのか、文明を作りゆく中で地上に星々を産んでいった。都市の夜景とは、まさに地上の星、地上の星雲だ。
とはいえ、それを楽しむことができる者は限られる。人は煙のように高いところを好むわけではあるまいが、しかし下を見る事は好きなのか、しばしば地位あるものは高所に居たがる。だから、この見下ろす星空を満喫出来る者達は、その多くは高い位を持つ者達だった。
「タワーからの景色は久しいか?アオ」
そして、方舟の行政たるタワーに滞在している客人もまた、そうした人種の1人。
アオを自らに用意された宿泊部屋へと招いていた彼女は、本来なら国賓の礼を以て迎えるべき人物だ。何せ、ある意味では彼女を含めた血筋は皇国そのものなのだから。
「………そうですね。エマさんはこちらに来る事が多いですし、夜景をじっくり眺める事はあまり無いですから」
そう言いながら振り返るアオの視界には、白と白銀と、赤色に琥珀色があった。見るものの殆どが己を子供と錯覚しそうな長身の彼女は、純血主義の皇族らしい白族の見本のような白色ぶりだった。
第二皇女コハク。皇国の栄光にして武の一角を占める存在。皇家に伝わるヴァルキリー『ゲルヒルデ』を正当に継承する魔人。
一般に理解されていることはこのようであるし、それは間違いでない。意図的に語られていないことも多々あるが。というか、グレイラインのアオとこうして親しげに共にある事自体が醜聞と言っていいだろう。
何故アオがここにいるのか。その問いについては、端的に言ってしまえばコハクに連れてこられたから、と答えるべきだろう。だが、より詳細で具体的な回答を求めるのならば、それに対する言葉はいささかばかり長くなる。
ビル内の掃討が完了したのち、後続の部隊に引き継ぎをした2人は何もそのままこのタワーへ向かったわけではない。それより前、後方で監視兼バックアップとして控えていたリンの元へ連絡と断りを入れるべく足を向けていた。
コハクさんに誘われているから、帰りは明日になると思う。そうリンに告げるアオは少しばかりとはとても言えない程の羞恥ぶりだった。それはそうだろう。これから何をするのか、これから何をされるのか、告白するのに等しいのだから。まして、親しく気の置けない関係とはいえ異性相手に。これを促したコハクには、それはそれは恨めしそうな目を向けていた。
無論、リンもその言葉の意味が分からないという事はない。というか、意味深にアオの腰に手を回すコハクの姿を見れば、勘の鈍い人間でも察しがつくだろう。顔を赤くしながら了承の返事をしていた。ついでにコハクに少しばかり小言を言っていた。
ヴァルキリーとはいえ、本来ならアオは彼女の滞在する部屋に上がれる立場ではない。飽くまで傭兵なのだから。
それがこうして同じ部屋に立っているのは、当のコハクが共に連れて来たという事もあるが、タワー内ではある程度2人の関係が知られていたこともあろう。何か勘違いが混ざっているのか、若干哀れみの混ざった目で見られていたのは、アオにとってはあまり心地の良いものではなかった。
「私も普段から見るものではないがな。だが、偶には悪くはない」
「………コハクさんは欲があるのかないのか分からない。そうは言いながらも、貴女は見ようとしていない」
「欲深い女さ。私はただ、夜景より価値あるものを見ているに過ぎない」
そう言うコハクの視線は常にアオに注がれている。ただ、そこに込められたものは鑑賞というよりはより湿り気に満ちたものだった。
「はぁ……貴女という人は。そんな口説き方、僕以外にはしないで下さいね」
「なに、心配せずとも、今はその必要を感じていない」
「昔のようには、ですか?」
肯定の笑み。
彼らの関係は1年前から始まっていた。始まりはなんてことはない。男を漁る趣味のあった彼女が、アオを気に入って押し倒したというだけ。
普通であればその後1〜2回もすれば興味を無くして他に目移りしていただろうそれ。しかし、果たして何が琴線に触れたのか、コハクは今までの男のようにアオを使い捨てる事はせず、どころか強く入れ込むようになった。それこそ、偏愛と呼べるまでに。
「非道い人だ。追えば去り、去ろうとすれば追う。まるで砂漠の逃げ水のようです」
「その言葉、そのまま返してやろう。私が追おうとすれば、お前は逃げようとする。非道な男だな」
「………力尽くで追いつくではありませんか、貴女は」
「そうだ。私は、お前を逃す気はない。壁際まで追い詰めて、そして捕えてやるとも」
貴女は、とまで口に出して、アオがその先を続けることはなかった。
アオも戸惑いを隠せないでいた。彼女に押し倒されたことそのものは嫌だとは感じていない。ただ、やんわり押しのける態度を一貫して取ってきたにも関わらず、彼女からはかえって本気で気に入られているという事実を受け止めきれずにいるのだ。
そして、本当は流されるばかりではダメだとも、自分が責任をとってコハクと結ばれるという道はないとも分かっている。この関係はきっぱりギロチンで断たなければならない、という事も。だが、張本人のコハク自身がそれを良しとはしないが為に、そしてアオ自身求められることそのものは不愉快ではないが為に、この関係はずるずると続いてしまっていた。
「……ふふ。どうしたアオ?そんな顔をして。そう緊張しなくていいからこっちに来い」
そう手招きする彼女にアオは従う。というか、そうでなければ向こうから来ることを分かっていた。彼女の座る長椅子の隣ではなく、その対面に位置する椅子に座ったのは、ささやかな抵抗だった。
だが、アオのそんな行動をコハクはひどくいじらしく感じたようだった。
「お前という奴は……態とやっているのか?」
頭にハテナを浮かべるアオに、無自覚か、とため息混じりに1人ごちるコハク。だが、すぐにスイッチを切り替えたのか、上機嫌そうになってアオの方へと身を乗り出した。
その後に起こったことは、ここに来る前の焼き増しのようだった。その嬲り奪うような口付けは、捕食と評するのが適切にさえ思えてくる。違いがあるとすれば、アオも観念してか抵抗はせず成すがままだったという事だろうか。丁度肉食獣に捕まった草食獣さながらに。
ぐちゅぐちゅと、淫猥な水音が部屋の中に木霊する。もしもこの場に第三者がいたとして、その多くはまず目の前の光景から顔を赤らめて目を逸らし、続いて耳を塞いだだろう。
「っは………お前とは、何度こうしても、飽きないな……」
「はっ……はへっ……はっ……」
僕の口はおもちゃじゃないですよ。そう悪態をつこうにも、息切れとバチバチと弾ける脳内信号の暴走で思うように口を動せないアオ。口の端からは互いの唾液のミックスジュースがとろりと垂れ、その様は男ながらにひどく妖艶に映った。
当然、そんな光景を見て何も覚えないほどコハクが無感動である訳がなく、益々以て興奮のゼンマイが巻き上げられているようだった。
やがて、辛抱堪らないとばかりに2度目の口吸いが始まる。グリグリと唇を押し付けるようにして深く深く繋がるコハク。見れば、アオの方もその腕を思わずコハクの背に回しているようだった。
それに気をよくしてか、コハクの手がアオの顔から離れ、その服の下を這うように弄ることに使われ始める。抵抗はない。というより、抵抗できない状態だったようだった。恐らくは、舌からそうされているように、手から流れる電流で神経を刺激されているのだろう。
コハクが人形遣いと呼ばれる所以。それは、彼女の魔力変換の属性と、その操作精度にあった。
コハクが最も得意とする魔力変換は『電気』。身一つで鳴神を産み、操る彼女の操作は神がかり的なものがあった。それこそ、生物の脳神経に干渉し、人間1人を壊して操り人形にする程度は造作もない程度には。
先の掃討作戦にて彼女に操られていた男も、そのように壊された統一戦線の人間の1人だった。こうして作られた人形の部隊は、仲間への躊躇いを盾に、上から舐めるようにして鏖殺を行った。もしも彼女1人で制圧を行なっていれば、生存者は本当に尋問に必要な最低限しか残らなかっただろう。
だが、今その力はただ1人を嬲り、喘がせるためだけに使われていた。如何に怪力頑健の魔人といえども、生体電気を狂わされては堪らない。現にアオも、何度も受けているにも関わらず、その度いいように鳴かされる有様だった。
やがて、長い陵辱の末に解放されたアオの姿は、それはもう酷いものであった。
虚な瞳といい、荒い吐息といい、はだけて前から肌の露出した格好といい、まるで乱暴をされた後の哀れな乙女のようだった。ある意味では間違っていないのかもしれないが。
完全にバネの巻き上がったコハクは、脱力し切ったそんなアオをひょいと抱え込むと、大股であっという間に寝床の上へと運び上げてしまった。
アオの熱を孕んだ背中に、布団の柔らかで包むような感触が伝わる。まるで雲を切り出してきたかのようなそれは、自分の家の寝床とは随分違うな、無理してでもいいやつに更新しようか、などと場違いな感想を茹った頭の中に抱かせていた。
そんな息の整い切らないアオに、一つの影が刺す。それは、アオに馬乗りになって、覆うような姿勢になったコハクの影だった。
白銀の月光をそのまま糸にしたような髪が、天幕となって降り注ぐ。その中央に座する月は、チカチカと危険な狂気を伴った煌めきを放っているように見えた。
月が、獲物の一番おいしいご馳走を前にして舌舐めずりをする。アオにとって、何度見ても身構える光景だった。こうなるとどれだけ懇願しようとも、快楽を脳に叩きつけるのをやめてくれないのだから。
普段ならば無抵抗のままこの続きが始まっていることだろう。だが……。
「……ほう?珍しい事もあるな」
臥所がぎしりときしみを上げる。それは、指を絡めて抑えるコハクの手をアオが弱々しく押しのけようとしている音だった。
コハクが言うようにこれはよくある事ではない。だが、今この時ばかりは彼には抵抗するに値する理由があったのだ。
「腕を……どけて下さい」
「訳によるな。生憎私はお預けを長く我慢できる質ではない。返答次第では、壊れるまで止めてやらんぞ」
現在のアオには堪える脅迫文句だったが、それでも拘束を脱しようとするのを止める気配はない。お願いします、と囁くようにして繰り返しながらモゾモゾと動く様は、むしろ嗜虐の嗜好を持つ者にとってはこの上ない興奮材料となるのだが、その自覚が彼にあるのかは分からない。
だが、一つの疑問も浮かぶ。それは、彼は一体何を気にしてそれほどまでに自由になりたがっているのか、という事だ。
なにせ、先程まで身体を重ねる事自体は受け入れていたのだ。となれば、重ねるに至るまでの何か大事なものを気にかけていると気付くのは、コハクにとってもそう難しいことではなかった。だから、彼女は一切の誤魔化し無しに、正面からそれを問うた。何か気になる事があるのか、と。
それに対して、アオは元よりのものとはまた異なる、気になる人に自分の弱点を知られたくないというような類の羞恥を見せながら、おずおずといった様子で答えを明かした。
「………汗、かいてるから………湯汲みを、させて下さい………」
沈黙。長い沈黙。長い長い沈黙。
驚いたようになり、固まり、そして月が欠けるように歪んでゆく瞳。
ゆっくりと開いた口は、静寂を漸く破るかと思われた。だが、それは欲情を吐き出すための出口ではなく、ぶつけ注ぐための針だったのだ。そして、静けさを破ったのは、最終的にはアオの方だった。
「んぎぃぃっ!?ぃっ……ひぃぃぃぃっ!!?」
これまでとは質の違う、濁流のような快楽が肩口からアオの脳へと押し寄せる。
何が起きたのか?彼が直前の事でなんとか思い出せたのは二つ。一つは肩へと顔を近づけるコハク。そしてもう一つは、その直後に耳元で聞こえた、くあ、と口を勢いよく開き切る音。
噛みつかれた、と理解するのには、電流が暴れ回る脳ではいささかばかりの時間が必要だったが、分かったところでどうしようもなかっただろう。
「あ゛っ……あ゛ぁぁぁ゛ぁ゛ッッ!!?う、あぁぁあぁぁぁっ!!」
これまでキスで与えられてきたものが児戯に思えるような電気信号と、ギリギリと音を立てて食い込む歯と。痛みすら快楽に書き換えられてしまう今のアオの脳には、あまりにも強すぎる刺激。
打ち上げられた魚でさえここまではしないだろうという必死さで脚をじたばたとさせているが、出鱈目に振り回される脱力した脚2本だけではとても状況を好転させられなどしない。
このまま続ければ、間違いなくアオの中の何かが壊れてしまうだろうそれ。しかし、その加減が分かっているかのように、痙攣がやがて衰微し始めたちょうどその頃合いになってから、コハクはアオを解放した。
肩には真っ赤になった歯型が付き、唾液で濡れててらてらとしたいやらしい輝きを放つ。そして、快楽の残渣に身体を小刻みに跳ね上げさせる様は、もはや人としての尊厳を感じさせないものだった。
ぜい、ぜい、と息も絶え絶えのアオ。そんな彼に、頬を優しくなぜながらかけられた言葉は、気遣いから来るものではなく、無慈悲な追い討ち、と呼べるものだった。
「アオ、今日は昏絶もできると思うな。お前を、壊す」
ひゅうっ、と息を呑む音が聞こえた。だが、それを無視してコハクは半ば強引に視線と視線を縫い付けるように合わせた。
アオの瞳の中に混ざる感情を読み取る。怯え、混乱。そういうものの中に混じって、確かな期待の感情を見て取った時、最後の自制もとうとう消え失せた。
勢いよく覆い被さり、己と相手の服を同時に剥ぎ取りながら三度唇を深く重ね、足を蛇の交合のごとくに絡めてゆく。
そして、夜の光が部屋の中を照らす中、2人は………。
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