ラスト・ヴァルキリー 5話

 方舟の中でも、第1都市と第2都市は最も古参で知られたユニットである。そのため、長方形とは言ってもこの3ユニットに関しては後から増改築を繰り返した都合上、欠けた包丁の刃さながらに凸凹とした歪な形となっている。


 そのような経緯からあまり区画設計が整理されておらず、高層建築物がカオス的に立ち並ぶ地区も存在している。そして、こうした場所はその薄暗さゆえか、しばしば犯罪の揺籠ともなっていた。


 ここ、第1都市第4区画もそんな場所の一つ。

 暗闇の中、室外機の群れが熱気と共に鳴き声を撒き散らし、近くをトラムが駆け抜ける音が妙に大きく響く。そんな無機質な喧騒に紛れるように、数多のビル群に取り囲まれた2回りほどせいの低いビルの中で、人の闇が蠢いていた。


 そのビルにいる人間の種類は、大きく2種類に分類できる。


 一つはこのビルに囚われた者達。人間万事塞翁が馬とも言うが、これ程までの理不尽はそうお目にかかれない。これが身代金か何かの請求であればまだ幸運だっただろうが、彼ら彼女らの将来は暗いものだった。


 もう一つは、このビルを根城にする者達。彼らが掲げる、圧政への抵抗を象徴するその旗はしかし、柱が腐り曲がり、風の中でも力なく垂れ下がっていた。彼らはその名を、ヨンゴク統一戦線といった。


 この方舟に統一戦線が根を張る理由。それは一重にここが帝国と皇国双方との交流があるからに他ならない。


 帝国人が皇国のものを、皇国人が帝国のものを、手に入れることは一部の例外を除いて罪となる。理由は様々だが、概ねは思想統一が理由だろう。しかし、例外とは常に存在するもので、この方舟の上では母国の法の鎖はなく、互いの交流を密なものとすることができる。ここは皇国と帝国、水と油のそれを繋ぐ結着剤なのだ。


 だが、だからこそ、この地は一つの犯罪のメッカともなってしまっている。即ち、密輸だ。


 ヨンゴク統一戦線もまた、この密輸を一つの収入軸としていた。

 ヨンゴクから方舟へと皇国の物品を持ち出し、そこから更に帝国へと輸出する。これは密輸の一般的なプロセスであるが、彼らの場合はモノ以外のものも輸出することがあった。何せ、一部の帝国市民には白族というのは珍しい人気商品なのだから。


 即ち、ここに捕えられた人間達というのは、統一戦線によって拉致されてきた者達であり、そして商品として今まさに輸出される時を待とうとしている人々なのだ。


 統一戦線の人間にも、人身売買は唾棄すべき行為という認識はある。

 だが、解放の2文字がその良識を歪ませ、狂わせる。これは解放のための必要悪なのだと。彼らは侵略者なのだから、当然の報いなのだと。

 尤も、それによって得た資金がどのように使われているか、彼らは知るよしもないのだが。


 そんな物理的にも心理的にも薄ら暗い世界に、普通ならば好んで近寄ろうと思うものはいないだろう。だが、今まさにその世界へと飛び込まんとする影が、ここに一人。


 彼の背後には、死んだ芋虫のようになって動かないモノが。それは見やれば、倒れて縛られた人の有様だった。


「……見張りは排除」


『了解。そのまま行って。今のところ気付かれてはいないみたい。気をつけてね』


「分かってる。そっちこそ」


 ビルの周囲を警戒していた集団を、夜陰に紛れて瞬く間に撃滅したアオ。その手際は、明らかに今日初めて人を討つ者のそれではない。


 会話と言うには手短な言葉の交わしを終えたアオは、裾をはためかせながら悠々とビルの入り口へと歩を進めてゆく。そこに道標の絨毯が敷かれているかのように。


 やがて、その控えめな靴音が止む。入り口の前に到達したからではない。内部から聞こえてくる物音に耳を傾けたからだ。


 それは、一般的に屋内から聞こえてくる普通の物音とは異なるもの。同時に、中にいる人間たちの素性を考慮してもなお想定されるものとはやや異質なもの。

 怒号、悲鳴、銃声、そして何かの爆発するような音。そういった類だ。


「………どうやら、もう始めてるみたいだね」


『殊勝だけどやることが派手なのは相変わらずね。でもチャンスよ』


「分かってる。行くよ」


 そう宣言するなり、ぐっ、と力を貯めるような格好になるアオ。ギリギリと軋むような音が聞こえ、大きな力が脚を中心に溜め込まれているのが見てとれる。腱のバネがもう辛抱堪らないと懇願の悲鳴を上げ始め、重心がぐらりとより下がったその時、双眼が眼前の扉を見据えた。


 直後、爆発が起こった。

 弾ける人工大地の上っ面と、その直後に跳ね飛ばされて水平に飛んでいくひしゃげた扉。上の騒ぎに浮き足立っていた者達には更なる混乱の火種となった。


 そして、アオはそんな隙をどうぞと咎めることもなく見守るほどフェアプレー精神に溢れた人間ではなかったことは、ここにいる者たちにとって不幸な事だった。


 けたたましい轟音が吹き抜けを通じてビル全体に響き渡り、それと同時に黒い影が建物の中へと躍り出る。


 反応できた幾人かは、持っていた銃器を影の方目掛けて打ち込もうとした。だが、少なくともその中で一階にいた者達には、それは許されなかった。


 鉛と銅製の超音速飛行を低い姿勢で次々と躱し、弾いてゆくアオ。瞬く間に発砲者の眼前にまで影が到達する。


 鈍い銀光が煌めき、それが一周したかと思えば、たちまち銃器は役立たずのスクラップへと変身し、続いて激しく揺さぶられた彼らの脳が機能を数時間ばかり停止させる。そんなふうにして倒れる人間の数が、瞬きをする程に増えてゆく。


 ならばと足を払うようにしてめくら撃ちさながらの掃射がされれば、ちょうど横に吊るされて回されるような格好で飛び上がったアオからの投擲物によって手を潰され、銃をはやにえにされる。


 それは、鉛筆のように太い鉄の針で、袖口から取り出されたそれがくるくると身体が回転するたび次々と投げられ、短い飛行旅行の終わりに各人の武装と手を破壊してゆく。


 そうして、統一戦線の者達は、身を隠すという発想を得るまでに気付けばその4分の1が無力化されていた。


 これが、魔人と常人との戦い。いや、蹂躙というべきだろう。もはや勝負にすらならない圧倒的な生物としての格差がそこにあった。その手に持つ鉈剣が一閃される度に、針が投げ放たれる度に、誰かが武装解除されて蹲る。敵対者からすれば悪夢のような光景だ。殺される、という事以上の恐怖だとも言い換えられる。余裕を見せつけられているのだから。


 特に被害を受けていたのは低層階の者達だったが、決して高層階の人間たちが臆病で怠慢だったわけではない。彼らは彼らで戦っているがために余裕がないのだ。何せ、彼らの相手は人形の軍団なのだから。


 だが、今まさに爆発的な跳躍によって侵入された5階の人間たちにとってはそれは慰めにならない。物陰で巣穴のモグラのように首を引っ込めていただけの者達にとってはあまりに不運だったが、それを認識できる時間は長くはなかった。


 そして、階の部屋に身を潜めていた者達は少しだけ幸運だった。少なくとも、先手を取って攻撃する、という行為はできたのだから。尤も、概ねそれが今日最後の行動になったが。


 皇国の犬め。何度目かのそれに、もっと他の罵倒はないのかなと心の中で悪態をつくアオ。彼がこうして数段飛ばしで5階を目指したのは、そこだけ特に警備が厳重だったからだ。恐らくは重要な商品の集積所になっているのだろうとアオは睨んでいたが、それは恐らく当たりなのだろう。抵抗の強さも取り分けだったからだ。


 今もなお、階下や階上からまだ無事な人間達がやってきては襲い掛からんとしてきている。それが狙いなのだとも知らずに。


 よくもまあ逃げもせずと呆れ半分感心半分の気持ちの様子だが、気絶させる手は抜かない。何せ、今回の共闘者は容赦がない。敵対者のほとんどは心を壊され仲間に牙を剥くか、無惨にも殺されるかの残酷な2択を強いられる。そうなるよりは、こうしてより多く生存の目を作る方が気持ちがいい。それがアオなりのエゴだった。


 やがて気絶させた、或いは手と武器を壊されて戦闘不能状態になった者達が20を超え、よくこんな数が密航していたな、まるでネズミだとアオも流石に呆れが勝ってきた頃、ようやく打ち止めとなったようだった。

 というか、上で戦っている軍団が下へ降りてきて、その余裕が無くなったのだろう。悲鳴と銃声の応酬がさっきよりも低くに聞こえてきている。


 思ったよりも早い進軍速度に、アオも心の覚悟を決めて上階へと登る。もう既に1階からは引き継ぎの部隊が入り、無力化された者達を次々に拘束しながらクリアリングを始めていたため、既にここの保持に拘る必要性はない。それよりも、上での殺戮の被害を抑える事の方が優先順位が高かったのだ。


 階段を使うことなく、軽技のようにして階を駆け上がったアオの目に飛び込んできたのは、赤い川。動かない人型。そして、今まさに撃ち殺されんとする男の姿。状況を理性より先に本能が理解した彼の身体はすでに動いていた。


 ドン、と鈍い音と発砲音が同時に聞こえ、一瞬遅れてギン、と弾が弾き飛ばされる鋭い音。後には、気絶した男と無表情で銃器を構える男、そしてその間に割り込んで片方を気絶させた男の姿があった。


 それから一拍おいて、急に戦闘音と悲鳴が止んだ。その静かさは、今のが助けられる最後だった、という事を告げてきていた。


 やがてアオは、もうこれ以上戦闘することはないだろうと無言で鉈を仕舞い込んだ。そうして、目の前の先程まで銃を構えていた男にため息と共に目をやる。


「屋内はクリア」


『了解。こっちでも戦闘音の停止を確認してるわ。お疲れ様』


「うん、ありがとう……………趣味が悪いですよ、コハクさん」


「………ココデ殺シテヤルノガ情ケトイウモノダロウ。引キ渡サレタ生キ残リニハ、身体ニ聞ク事モアルカラナ」


 突然、無表情のまま誰かに操られるように喋り出す男。言葉は機械音声のような片言で、光景の異様さをより増していたが、そんな姿にも怯んだ様子を見せずにアオは引き続き語りかける。


「そうかもしれませんが……だったらなおここまで殺すことはないでしょう」


「オ前ガイルノダカラ、ソノ点ノ心配ハシテイナイ。現ニ、オ前は素晴ラシイ働キヲシタ」


「それはどういたしまして」


 その言葉は男自身が脳で考えて発している訳ではない事は、アオもようく分かっていた。"人形遣いのコハク"の戦場では、よく見る光景なのだから。


「………しかし、良かったんですか?貴女が出張って」


「ダカラオ前を雇ッタ。私1人ヨリハ、オ前モ抑止力トシテ同時ニイタ方ガタワーノ連中ヲ納得サセヤスイ」


 そうじゃなくて、ヴァルキリーがこんな所でフラフラしてていいのかなって意味なんだけどな。そう思うアオはしかし、彼女がデスクワーク嫌いでじっとしているのも嫌いなのを本人の口から聞いているので、訂正する代わりに仕事を押し付けられている部下たちに合掌することとした。


「話が早いのが好きな貴女らしいですね……」


「物事ハ迅速ガイイ。戦力的ニモ、私トオ前デヤル方ガ早イダロウ。ソレニ……」


「………私は、お前とこうして会える」


 出し抜けに、背後からぎゅうっと抱きすくめられるアオ。背後からは低く、どこか甘い匂いのする女性の囁くような声。そして、アオには顔を向けなくとも、その人が自身よりはるかに背の高い人間だということが理解できた。丁度後頭が埋まっているのだから。


「……コハ……んっ!」


 アオが己を子供のように抱く人物の正体に核心を持ち、振り向いたその時、彼の唇は塞がれていた。長い白銀色の髪に顔を撫でられてくすぐったそうにしながらとっさに遠ざけようとするも、貝に挟まれたように顔を両手で抑えられて出来ないようだった。


 そうこうしているうち、唇にピリリと刺激が走り、その感覚に思わず口の壁を割った隙間を縫って、ぬるりと舌がアオの熱い口内へと入りこんだ。

 逃げるように引っ込むアオの舌を追いかけ、喉の方まで追い詰めると、そのまま暴力的とも形容できるほど激しく絡み合わせる。同時に舌先から電流が走り、アオの脳神経を狂わせて身体から力を奪う。


 全身が脱力し、必死に服を掴んで崩れ落ちるのを防いでいるアオの姿に、口吸いの最中でも閉じられぬ彼女の瞳が愉悦に歪む。周囲に未だ漂う血の匂いすら忘れる程に情熱的なそれは、益々もってその深度を深めていく。


 行為はどれ程続いただろうか。1分にも満たない時間だったかもしれないし、或いは10分以上もあったかもしれない。与えられ叩き込まれる快楽と共に時間感覚の狂っていたアオには、そのどちらなのかは判別のしようもない。


 だが、解放されたのは呼吸すら忘れかけて窒息に意識が風船のように浮かび始めた頃合いだったのは間違いないことだ。


「ぷは……っ……はぁ……っ……はぁー…っ……ひど、い……人です」


「今更だな。共に寝た身だ。ようく知っていように」


 その言葉に、アオの顔が抜けるように赤くなった。目の前に立つ、月光の化身のような女との記憶を思い出して。


「っ……前から思っていましたけど、そういうセクハラみたいな所、本当に最低ですよ……」


「すまんなアオ。お前が相手だと抑えられそうになくてな」


 どこか恍惚としたようにそう言う彼女は、まさにこの依頼を発行した主であり、初めて出会って以来何度目かの共闘を経験する魔人であり、そして、本来ならばこんな所に立っていること自体が異常と言える人物だった。


「………誰にでもそういう事、言ってないでしょうね?コハクさん」


「心外だな。それとも、嫉妬したか?アオ・カザマ」


 コハク。

 それが、皇国第二皇女にして、皇国最強のヴァルキリー。人形遣いの異名で知られ、畏れられる魔人。生ける英雄にして恐怖の代名詞の名であった。

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