ラスト・ヴァルキリー 4話

 長方形の島、というものを見たことのある人は、世界でも多くあるまい。


 島の輪郭というものは神の芸術の領域。風雨と河川と波とが削り合う大理石だ。その図形は複雑にして人智の向こう側にある。

 だが、人の芸術の領域であれば存在し得る。海上に浮かぶ、巨大な長方形の構造物が。


 人はそれを、そこを、『方舟』と呼んだ。


 方舟。それは中央海に存在する海上都市群のことを指す通称でおる。


 中央諸島群が南の白族と北の黒族に占領されている中、その双方に対して中立を保っているのはここが唯一。故に方舟は、双方の大陸の物品が行き交うカオスの都であり、双方の帝国にとっては実質的な出島だ。


 そんな渡り鳥達の羽休め地にもヴァルキリーがいる。


 一人はこの地を守護する役目を担いし者。兜を揺籠とする乙女、『ヘルムヴィーゲ』を内包する方舟の重鎮である。


 そしてもう一人。仮面の乙女たる異形のヴァルキリー『グリムゲルデ』を駆り、怪獣を狩る雇われ。そして、恐らくはこの世で唯一の男魔人だ。


 その片割れ。男魔人たるアオ・カザマは今、渡っていた土地から巣へと帰還し、相棒たる魔人リンと共にあった。



「お願いしますお願いしますお願いしますそれだけは売らないでくださいお願いします!!!」


「何回目の"それだけは"だよ!!大安売りだよ!!ロクに生活費残ってないでしょリン!!?」


「でももうすぐ報酬入るしぃぃぃっ!!いやぁぁぁぁーーっ!!!私のテンマがぁぁぁーーーっ!!」


 ………かなり情けない醜態を晒しながら。




「うぅ………酷い……!私の部屋真っ白になっちゃったじゃないのよぉ……」


 目の幅涙と共にとぼとぼと歩くリンの前を、自業自得だよなどと無慈悲な返しをしながら先導するアオ。見ようによってはイタズラがバレて気まずい犬を散歩に連れて行っているようにも見える。


 そんな2人は今、大量のブランド品をあちこちの質屋に売り払ったその足で事務所へと帰還するところであった。中心市街からは既に走って離れ、港湾地区にある事務所の近くへと来ていた。


「今すぐ借金返せ、なんて言わないだけでも有情と思って欲しいな。壁一面服やら鞄やらで埋まってたよ」


「アレは観賞用なの!使う用とはまた別だから!」


「なおタチが悪いよ……それでいつも飢えて僕に泣きついてるじゃないか」


「うっ……そ、それは正直悪いと思ってるわ……」


「だったら今度からは買い物控えて僕に借りてるもの返してね。少しずつでいいから」


「ふわーい……」


 彼女、報酬が入っては大量のブランド品を買い込んで食費まで不足する程の金欠になり、最終的にアオの介護を受けるという事を繰り返しているのだ。放蕩貴族でも見れば節制に走りそうな浪費ぶりである。


 幸い悪いという認識はあるようなので、多少はマシになってくれる事を祈るのみだ。


「それにしても、最近は怪獣案件が増えてるよね。こないだみたいな大侵攻は流石に稀だけども」


「ああ、確かに。まあ、大侵攻をやっつけたんだし、流石にしばらくはそっちの案件は暇になるんじゃないかしら?ボーナスタイムは終わりって感じで」


 理由は不明だが、複数の強力な怪獣が一斉に活動した場合、その後暫くの間は怪獣達の活動活性が世界的に低下することが知られている。


 そして、先日は大侵攻という二桁の怪獣が一度に活動する異常事態が発生していた。これほどの規模ともなれば、怪獣関係の仕事は暫くは舞い込まないだろうという目算があったのだ。


 だが、アオにとってはそれは、気分の曇りを知らせるもので。


「いやそれはいいんだけど、さ。という事は人を相手にすることが増えそうだなぁって」


 彼のそのどこか嘆きにも近い青色の言葉は、傭兵という役職には似つかわしくないものだった。


「……仕方ないでしょ。私たちの職業ってそういうものなんだから」


「まあそうなんだけどね。でも、殺し殺されが楽しいとは思えない。いつになっても」


「それが楽しくなったらおしまいよ」


 だから、アオはそのままでいいのよ。言葉にはしていないが、そう聞こえるようだった。


 それが果たしてアオにどのように受け止められたのかは分からない。だが、顔を見る限りでは悪い方向には受け止めていないようだった。


「……リンは本当にいい社長だね」


「な、なによ急に……いや嬉しくないことはないけども…」


 その様子はまるで褒められ慣れていない子供のようであったし、アオ自身そのような感想を抱いてもいた。あえては口に出さなかったが。


 だが、気配を感じてはいたのか、リンは気恥ずかしさを誤魔化すように強引に話題転換を図った。


「さ、湿っぽい話はおしまいにしましょ!我が家が見えてきたわ」


 見やれば、そうこうしているうちに2人は既に事務所の近くへと到達していたようだった。


 第1都市の端にあるそこは、社用の飛行機を駐機する空き地と、それに隣接したプレハブの社屋でできていた。看板には【包丁】とデカデカと社名が記されているが、リンのこのセンスはアオにはイマイチよく分からなかった。


 2人にとっては大事な我が家でもあるそこの施錠された扉を3時間と半分ぶりに空けながら、2人は相変わらずがやがやと雑談をしている。


「しかし、本当にタワーに行かなくてよかったのかなリン?」


「ん?まあ後ででも大丈夫でしょ」


 タワーというのは、この方舟の行政を司る行政局が入った高層建築物の呼称である。2人は、その重鎮に仕事が終わり次第来るようにと呼び出しを受けていたのだ。


 本来であれば、直ぐにでも消化しなければならない案件なはずなのだが、リンには特に焦って熟そうという気配は見られない。それどころか、まるで向こうからやってくるのだからとでも言いたげだった。


「そうかもしれないけども、室長は元締めみたいなものなんだからさ……」


「大丈夫だって。大体、あのぬらりひょんの事だからきっと今頃勝手に……」


「2人とも、邪魔しておるぞ」


 声は、中の方から聞こえてきた。

 どこかの誰かが家に上がり込んで挨拶をしてきているという異常事態。にも関わらず、リンとアオに動揺はない。むしろ、ああまたかというある種の諦めを感じさせる顔であった。


「………上がり込んでたわね」


「上がり込んでたねぇ」


 方やてちてちと、かたやどすどすと、それぞれの心象の現れた足音と共に声の聞こえてきた方、リビングへと向かうアオとリン。その過程で、お茶のいい匂いが鼻に漂ってくる。どうやら茶まで勝手に飲んでいるらしい。


 そうして扉を開け放った先には、2人が想像していた通りの人物が椅子に腰掛けていた。


「どうやら流すものは流し終えたようじゃの?重畳重畳。リンの茶を見る目はいいからのう。これが飲めなくなるのは困る」


「勝手に飲まないで下さいますかエマ防衛室長……そんな事だから妖怪呼ばわりされるんですよ貴女は」


 まず目を惹くのは、金色の夕日日を反射する波の如し髪だ。その輝きは屋内照明でも衰えることはなく、それ自体が光源であるかのような錯覚を覚える。


 その美しい髪を載せる褐色の身体はまるでおぼこい女児のように小さく愛らしいが、目の光がそれを否定している。そして、2人はそれを見るまでもなく、彼女が容易くない人間だとよく知っている。


『ぬらりひょんのエマ』。その渾名は、彼女の内面を知る者達の間ではよく知られたものだ。


「酷いおなごじゃ。儂のようないたいけな幼児を妖呼ばわりとは」


「いや、貴女今年で38でしょう室長」


「やめよやめよ年齢を言うのは。こないだ部下が儂の爪回収しておったんじゃぞ」


「ついでに注射器買ってるところも見ましたよ」


「ええいやめよやめよ!身震いがするわ!!」


 アオからの声には若干以上の棘が混ざるが、それも無理なきこと。彼女はこの方舟の軍事と諜報を担う紛うことなき重鎮だ。そんな人間がこんな所でお茶をしばいていて、しかも不法侵入とくればこうもなろうというものだろう。


 ついで言うと各国のヴァルキリーの中でも最年長であり、それでいてこの見た目なので周囲から本気で爪の垢やら血やらを狙われていたりもする。


「はぁ……まあいいですよ。こちらから出向く手間が省けましたしたし」


「欺瞞はよい。おおかた、タワーへ行くのは後回しにするつもりじゃったろう?儂も待ちぼうけは御免じゃ」


 ぐっ、と図星を突かれて言葉に詰まるリン。実際その通りなのだから反論のしようがない。


 そんな彼女を尻目に、エマはこくりと一際大きく喉を動かしてお茶を飲み干した。そして、それと入れ替えにぷは、と小さく吐息を吐いた。


「今回の仕事の事は儂も聞いておる。ずいぶんと活躍したそうではないか」


「あんな事はこれっきりにして欲しいですけどね。こっちはかなり疲れましたよ」


 実はリンが報酬交渉という名の恫喝をしていた時、アオは最後に大技中の大技を使ったせいで魔力の消耗が著しかったため、実際には万全とは言えない状態だったのだ。なので、早い話がリンの脅しは元より茶番だったのを置いておいてもハッタリも含まれていたという訳だ。


 喋らずに控えていたのも、疲れているからあまり動きたくないという切実な理由があったりする。


「で、あろうな。イーランの嬢は、息災だったかの?」


「ええ、元気でしたよ。アオの方とは違う集団を相手してたみたいですが、結構余裕そうでした」


「ふふ、そうかそうか。痩せ我慢の仕方ばかり上手くなりおる……」


 イーラン総督とは付き合いが古いのか、その人となりをよく知っているようだった。それこそ、リンが余裕そうと語っただけで、アオと同様に余裕のない状態だったのを隠していたと看破する程度には。


 エマはそんな様子で話を聞くのが楽しい様子だが、このままでは話が長くなるという気配を感じて取ったアオが、半ば遮るように本題へと強引気味に引き戻した。


「………室長、何か用があったのでは?」


「おお、すまんなアオ。うっかりすると前置きが長くなるのは悪い癖じゃの……それでは、本題に入ろうか」


 そう言うなり、エマはその懐から数枚の折り畳まれた紙を取り出した。

 裏からもうっすら透けて何やら文字が書いてあることが見て取れるそれを手早に広げると、中身を2人が読むより早くその内容の説明を始めていた。


「お主ら、ヨンゴク統一戦線のことは知っておるかの?」


「ええ、反皇国レジスタンスの一つでしたよね。その中でもかなり大きかった筈」


「でも、いつしか組織が腐敗して、今では資金稼ぎのためと称して麻薬売買や人身売買までやるようになってる……」


「ふむ、その様子じゃと、詳細な説明は不要のようじゃな」


 エマはそう満足そうにいうと、止めていたビデオの続きを再生するようにその次を語り始める。


「お主らに皇国の方から名指しの依頼が入っておる。そのヨンゴク統一戦線の拠点が新たに発見されたため、そこへの襲撃作戦に参加して貰いたい、との事じゃ」


「……それは僕達に?」


「そう。儂のルートを通じての」


 アオが思わずそのような質問をするのも無理はないだろう。普通であれば、そんな作戦を傭兵に任せたりはせず、手持ちの特殊部隊でも投入するところだろう。


 だが、アオ自身の質問の意図は実際のところそこにはなかった。そしてそれは、リンもよく分かっているようだった。


「……もしかしてですが、その拠点がある場所というのは……」


「察しが良いではないか。身内の恥を晒すような話になるが、この方舟に奴らは居を築いておる。密輸入の拠点としてな。こちらの市民も恐らくは幾人か被害に遭っておるじゃろう」


「成る程……確かにそれだと皇国の部隊は政治的に投入し辛い。だから、依頼という建前で方舟自身に尻を拭って貰おうという訳ですか」


「そして、儂等自身のけじめでもある。向こうが頭を下げるまでもなく、儂等で奴らの首を地に付けてやろうぞ。お主らが動かぬとしても、結果は変わらぬよ」


 2人とも傭兵といえど、ヴァルキリーという最強の個人戦力を保有する身ゆえ、その活動には必然的に政治という蛇が絡みついてくる。なので、このような方舟の事情が絡む依頼もそう珍しくはなかった。


 だが、それでも一応は選択の権利がある。だからこそ、アオには聞いておかなければならないことがあった。


「もう一つ質問ですが。生死は?」


「不問。つまりは生きていても構わぬ。引き渡された後のことは保証できんがの」


「分かりました。ありがとうございます」


 己の拘りに関わるそれは憂慮せずともよい。その回答を得たアオは、リンへと肯定の目配せをする。その痛くない赤色の視線を受け取ったリンは、承諾と共に最後の質問をすることとした。


「分かりました。エマ室長の持ってきた依頼です。お受けしましょう」


「うむ、かたじけないのう」


「それと最後に………この依頼を出したのは、皇国のどなたなんですか?」


 政治的な弊害があるとはいえ、それでも軍事的な要請をするのでもなく、自分たちを指名してくる。果たしてその依頼主が何者なのか、リンの頭はすでに回答を用意しながらも、口は問いを投げていた。


 そして、それに対して投げ返されたボールは、はたしてリンの思い描いていた通りの図柄だった。



「……お主らもようく知っておろう。皇国第二皇女。『人形遣い』のコハクじゃよ」

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