ラスト・ヴァルキリー 3話
グレイライン、という言葉は複数の意味を含んでいる。中央諸島原住民。中央諸島そのもの。北の黒族と南の白族の混血。方舟に住まう者。そうした対象を指して、俗にグレイラインと呼称される。
そして、これらは一様にポジティブな印象を伴っていない。そも、グレイラインという単語自体が屈辱を与えんという悪意に満ち満ちている。半端者、劣等民族、或いは金の亡者。そうした負のレッテルが、北のリュウ帝国と南の皇国に中央諸島が分割占領された時から常に付き纏い、それは今に至るまで続いている。
「何だと貴様!もう一度言ってみろグレイラインども!」
無論、それは例え英雄と同義語とさえされるヴァルキリーとその仲間達であっても逃れられない。出身が北でも南でもなければ、或いは純血と看做されなければ、そのように扱われることは珍しくもない。
「貴女、何度も同じ事を言わせるの?『元の依頼と内容が違いすぎるから、危険度を鑑みて報酬を10倍にしろ』。態々復唱が必要な事かしら。仮にも指揮官なのに飲み込みが悪いのね」
「巫山戯るな!そんなものが払える訳がないだろう!?」
「払える見込みもないのに依頼の更新をしたと?黒族っていうのは責任感が欠如している、なんて白族のいいようもあながちって事かしら」
「き、きっさまぁッ!!我々帝国人に向かって暴言を!!」
報酬交渉は紛糾していた。いや、交渉というよりは、煽りに基づくゆすりめいたものだった。
作戦時は冷静だった指揮官は腰の剣を抜き放たんという剣幕で怒りを露わにしていた。今はなんとか理性が働いているが、この様子ではいつ抜くのか分かったものではない。周囲の護衛達も似たようなものだ。
「どうしても払えないって言うのなら……うちのヴァルキリーが急に今から暴れたい気分になったとしても、責任持てないわよ?」
だが、リンは指揮官らの剣呑な気配にも一切動じる様子を見せず、先ほどから黙ったままリンの後方に控えるアオを指差しながら、逆に脅しをかけた。「払わないと酷いぞ」と。
驚いたのは指揮官らの方だ。猫が人に喧嘩を売るリスクが分からない筈が無いのだから。
「正気か貴様……!?そんな事をすれば、貴様ら方舟は国家の敵だぞ!」
「あら、そんなシャバい脅しが通用するとでも思ったの?一月後の命をも知れない商売してる私達に。それに、貴女達が勝とうが負けようが、どっちみち帝国の戦力に穴が開くのは避けられない。どう足掻いても断って貴女達の得にはならないのよ」
それは一種の正論だ。自分の命と将来を勘定に入れないという狂気の沙汰があればだが。無論こけおどしと考えるのが普通だろうし、指揮官らも概ねはそうだろうと思っている。
だが、もしも本当だった場合が大変だ。猛獣の餌を切らして万が一にも襲い掛かられれば、下手をすればこのヤシマを失いかねない。ヴァルキリーとはそれだけの戦力なのだから。
「ぐ……っ……金の為ならそこまでするか。如何にも方舟人らしい卑しさだな」
「適正価格よ。こっちのヴァルキリーが倒したのはクラス2が6体にクラス1が1体。最初の依頼は確かに高かったけど、これだけの成果を賄うには桁から足りないわね。それで?返事はどうするの」
指揮官は歯噛みする。なぜこんな人間達がヴァルキリーを使えて、私には出来ないのだ。そんなコンプレックスが心の底から滲み出てきていた。
しかしどうあれ、答えは黒が殆ど白になるまでは引き伸ばせない。だから、好むと好まざるとに関わらず受け入れなければならないというのは、煮えた頭でも理解できてしまっていた。それをお上に報告しなければならないのは指揮官自身であるという屈辱も含めて。
憎々しげな視線と共に、ゆっくりと震える口を開く指揮官。そのまま、払えばいいんだろうと諦観の降伏宣言を出そうとして。
「おいリン。あまり指揮官殿を虐めてやるんじゃあない」
最悪に近かった空気を、のれんでも押しのけるように割って入ってきたのはヤン隊長だった。
「隊長……また野戦病院抜け出したんですって?身体が資本なんですから部下の胃を痛めないで下さいよ」
「減点だぞリン、私は病院に行ってすらないからな。それより、そんなにこづかい交渉がしたいのなら、折角なら指揮官より総督閣下に申したらどうだ?」
「ヤン少佐、貴様何を言う!?また勝手な事を!」
隊長の言葉に、指揮官が怒りの声を上げる。
元よりグレイラインもお構いなしに取り立て、総督からの覚えがいい隊長を気に入らないという事もあろうが、何よりもこの第二地区の長にしてヴァルキリーでもある彼女を傭兵との交渉の席に着かせるというのが聞き捨てならなかったのだ。
あと、先程部下を簀巻きに転がされた怒りもあろう。
「しかしですな指揮官。元より貴女の権限だけでは進められない話なのですから、最初からお上が話をつける方が早いでしょう」
「黙れ!閣下は傭兵などとお会いにはならん!下がれ!」
指揮官にとって、いや帝国の民の殆どにとって、ヴァルキリーとは英雄と同義語だ。それが同じヴァルキリーとはいえグレイラインの傭兵と顔を突き合わせて話をするなどあり得ない。彼ら彼女らにとって、それが当然の認識なのだ。
「あー………大変申し上げにくいことですが上級指揮官。それは「それは私からの希望なのです。ウォン上級指揮官」……という訳なのです」
だが、世の中に絶対的な当然などというものは存在しない。
思わず惚けた声が上級指揮官の口から漏れる。それは、彼女にとってはこの場に来るはずのない雲の上の人間だったのだから。
その姿は、闇の女神という形容が何より適切なものだった。
漆黒の肌と髪は黒族と言われて思い浮かべる典型的なそれだ。しかし、周囲の者達とは隔絶した艶やかさは、夜天の闇を化粧にしているかのようだ。
軍事に携わる者のしなやかで引き締まった肉付きと、女性らしい豊かさが奇跡的に両立した肉体は、並の芸術家であれば絶望の声を漏らすだろう。
彼女こそが、『黒い太陽』の名で以って讃えられるリュウ帝国のヴァルキリー。オルトリンデの担い手にしてこの第二地区の長、イーラン総督である。
「イ、イーラン総督!?何故ゆえにこちらへお越しに……!」
「元を辿れば私が依頼人と呼べる立場です。ですから、私が交渉に臨むことが誠意でしょう。席を開けて下さいますか?」
指揮官は貴女程の方がこのような事をなさらなくともと口に出そうとするも、今しがた脅迫に屈しかけていた自分が言えた立場ではないと思い直し、速やかに席から立ち上がる。
それを確認するなり、入れ替わりに仮設の席に着くイーラン総督。それだけで、座席も机も同じだというのに、調度品を丸ごと入れ替えたように雰囲気ががらりと華やかになった。
「先程は失礼しました。お久しぶりです、リンさん、アオさん」
「………ええ。まさかヤンチャを咎めに来た姉みたいにすぐ来るとは思いませんでしたが」
「ふふっ。私もリンさんのような妹さんが欲しかったですよ」
その返しにリンは例えに真面目に返さないで欲しいという顔になる。互いに知った仲だが、この天然なのか狙っているのか分からない返しにだけはリンも慣れなかった。
「それでは交渉に移りましょうリンさん。では、まず初めに事実確認をしておく必要がありますね」
「………『グリムゲルデの介入がなくとも、オルトリンデだけで怪獣達は殲滅できていた』?」
その言葉に笑みを深めるイーラン総督。肯定の笑みだ。
だが、リンもそれに対して特に苦い顔はしていない。馴染み客の顔色で出すべき料理が理解できるレストランのようなもので、そう言われることは分かっていた、といったふうだ。
「そうですね。確かに貴女だけでもアゼロのパックは全滅させられていた可能性は高いでしょうね。でもそれは、飽くまで倒せるか否かという点にだけ焦点を当てている」
「つまり?」
「ヤン隊長は今頃両足があったか怪しかったかもしれないですね?私達がいなければ」
それは一つの事実だ。現にヤン隊長は身一つでアゼロ・アルファと対峙する羽目になったのだから。もしもグリムゲルデの介入がなければ、高圧砲によって落とされた頑固なシミと化していた可能性は否めない。
「それに、過程がどうあれ、現実にあそこで圧倒的多数の怪獣を倒したのはアオです。それに対する報酬は支払われて然るべきの筈では?」
さらに、暗に難癖で誤魔化そうとするなと含ませて畳み掛ける。
怪獣を倒したのはアオであるという事実は、墨汚れのように落とし難いもの。どれほど仮定を語ろうと関係ない。そうはっきりと跳ね除けたリンに対して、しかしイーラン総督も小揺るぎもしていない。先ほどのものはほんのジャブだと言わんばかりに。
「それは認めましょう。しかし、それ以外に手段がなかったか否かは大きな差異です。それに………」
そして、牽制があるのなら、当然本命打というものもある。
それは予想よりも早くやってきていて、既に仕込まれていたものだった。
「依頼内容を勘違いしないで貰いましょうか?我々の側は『今すぐ発進して欲しい』という事以外は契約を更新していません」
……リンの顔が急に苦いものになる。嘘だと返したかったが、同時に心当たりがあったのだ。
それを見抜いてか、総督の側は泣きっ面には蜂をけしかけよと更に繰り出してくる。正確には、隊長がだが。
「否定したそうだなリン?自信があった試験の採点が納得いかないって顔だぞ。だが、どうせお前のイルカのボイスレコーダーに記録がある筈だ。確かめてみたらどうだアオ?」
「………成る程、確かに戦力情報を修正してるだけで、「全部撃滅してくれ」なんてことは言ってなかった。違和感のある言いようだとは思ってたけど、こういう事だったんだね」
アオからの逆方向への援護に益々苦い顔が強まるリン。記憶の蓋を開けても虫の汁を舐めさせられているのだ。これ以上飲まされては堪らないと沈黙で返す。とはいえ沈黙は時に雄弁よりなお正直だ。
それを受けて、総督の側が最後にやるべきことはシンプル。
「貴女のことですから、きっとこうして高額の報酬を要求してくるだろうと分かっていました。なのでそのようにさせて頂きました」
そう、ぐさりとトドメを刺すことだった。
静寂が木霊する。それは先ほど恐喝されていた指揮官達にとっては心地よいものだったが、リン達にはどうだっただろうか。少なくとも、総督達には悪いものではなかっただろう。
「3倍、ですね。ヤン達を救出して下さった分も含めて」
「………はぁ。分かりましたよ」
その言葉は、明確な降伏の合図だった。
******************
先ほどの太々しさはどこへやら、元気のない様子で項垂れるリン。それは、一つの戦いに決着がついた証だった。
鼻を鳴らし、次からはもう少し品性を身につけてくる事だなと気分良さそうにずらずらと出て行く指揮官達。その足音が遠くなった時、出し抜けに隊長がどこか悪餓鬼がうまくイタズラを隠し通せたといった調子で以って口を開いた。
「さて、チャンバラごっこはおしまいだな」
その言葉を合図にして、先ほどの重苦しさが指で摘んで剥がされたかのようにどこか和気藹々とした雰囲気へと一変する。
「ふぅ………総督も大変ですね。こんな茶番に時間を喰われるだなんて」
「それは貴方方も同じかと思いますが……良かったのですか?もっと粘って下されば……」
「いいんですよ。元々それくらいで落ち着かせるつもりでしたから。アオももう良いわよ」
「やっとかい?息が詰まりそうだったよ……」
会話から察するに、さっきまでの交渉劇は全て仕込みだったということなのだろう。劇役者もびっくりの名演である。いや、ある意味では指揮官らを無自覚の役者とした喜劇か。
「難儀だな、人に道を譲ることを知らない奴の相手は。それで総督まで轢いているのに気が付かんか」
「まあいいガス抜きじゃないですか?というか、よその地区に配置換えした方がいいですよ、あの指揮官達」
「それについてはご心配なく。もう既に『荷造り』は済ませてありますので」
第二地区は占領地の中でも治安が良いため赴任先として人気がある部類なのだが、それはひとえにイーラン総督の原住者達との融和的な政策あってのものである。
お人好しの総督とて、それにそぐわない者の席をいつまでも置いておくことは、リンに言われずともするつもりはない。
「隊長はいつでもおっかないけど、総督も偶にこわい」
「まあ、私は隊長ほど優しくはありませんよアオさん」
「謙遜を。でも、元々こうなる事は織り込んで依頼を出していたでしょう?」
その言葉には確信が篭っていた。元より単独討伐にしては破格といえる報酬だったのに加えて、対象のアゼロ種は群れを作る怪獣の代表格の一つ。
アオは勿論、楽観的な物言いだったリンも内心では嫌な予感はしていたのだろう。
「ええ。それに、確証がない段階であまりに巨額の報酬を提示すればきっと反発が出ていたでしょうから。ウォンはその意味では、最後のご奉公をして下さいました」
にっこりと聖母のごとく笑うその顔には、しかしどこか蟒蛇の凄みが宿っていて。
それを見ていた三者は僅かに沈黙した後、口々に彼女を評し始めた。
「やっぱり総督はこわい」
「うん、こわい」
「おそろしい人だ、貴女は」
「泣きますよ私?みっともなく」
「「「それはやめて下さい」」」
そう言い合ってから、誰ともなく含んだ笑いを始める。
それはまるで、旧来の友人達が久しぶりに出会って思い出話をしているかのような様子で、全体に感染してからひとしきり笑い終える者が現れるまで続いた。
「………それで、お2人はもうこの後帰られるのですか?」
「ええ。室長に報告しないといけませんしね」
アオの回答に少し寂しそうになる総督。その身分から対等に話せる人間が多いかどうかということを考えてみれば、そのようになることも無理もないだろう。先に滅ぼした怪獣達と同じく、人は群れる生き物なのだから。
「つむじ風のような奴らだな、お前らは。もてなしをしたいという総督のこの顔が見えんか?」
「気持ちは嬉しいですけど、こんな事の直後では無理でしょうね。それはまた今度のお楽しみという事で……」
「総督、隊長。機会があったら、方舟に遊びに来てくださいね」
「……ええ。その時は案内を宜しくお願いしますね?」
総督がそう答えるなり、アオとリン、総督と隊長は互いににっと笑い合った。そうして各々椅子を後にして、それぞれがそれぞれの帰る場所へと戻っていく。リンとアオは飛行場へと。隊長と総督は自分たちの持ち場へと。
投げられた大石はこうして、少しばかりのいざこざを起こしつつも波へは至らず、波紋のままで幕を閉じた。
「ところでさリン」
「なあに、アオ?」
「さっき見たところ、また新しい腕時計買ってたみたいだけど……古いのはちゃんと売っぱらった?」
「…………モチロンヨー」
「はぁ………帰ったら売りに行こうか、迅速に」
「イヤーッ!!ごめんなさい本当は新しいの6個買いましたーっ!!」
「ギルティ!!」
……締まらない終わりを残して。
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