ラスト・ヴァルキリー 2話
山津波、とはかくのごとし。
司令塔を全て喪失した巨体がぐらりと崩れ、砂煙と水飛沫とを盛大に巻き上げたのは、重力に従って3つの生気なき頸が落ちてきたのとほぼ同じ時だった。
切り裂かれた面からは粘度のある体液が溢れてちょっとした川を作り始めていたが、幸いにもそれに溺れるような憂き目に遭う者はいなかった。
この光景を瞬きほどのうちに作り出したのは、翼を生やし、その顔を黒い仮面で覆った機動兵器。戦場に流星の如く降り立ったヴァルキリー『グリムゲルデ』と、それを駆る男魔人『アオ・カザマ』だ。
彼の目には、先ほど間一髪という所で救出した魔人、この凄絶な戦場で最前線を張り続けていた、第二地区海兵隊総隊長のヤンが砂埃に咳き込む姿が映し出されていた。
『ゲホッゲホッ………バカタレ!私を焼売の材料にする気か!?』
「焼売好きですねヤン隊長。でも自分から具材になりに行くのは倒錯してますよ。苦戦しているんでしょう?」
『遅い!うっかり倒してしまう所だったぞ!前金泥棒にならなくて良かったな!』
あんな目に遭っておいて元気だ。流石に「地獄でも火傷させられない女」と言われるだけある。アオも毎度毎度そんな感想を抱かずにはいられないようだ。
とはいえ、これが彼女なりの気遣いとユーモアだというのもまた理解している。先ほどのものも翻訳すれば「私は元気だから放っておいて他の敵を仕留めてくれ」といったところか。
ただ、アオとしてはそれは直ぐには受諾しかねるオーダーだった。群れを統率するアルファの死の影響か、怪獣達の連携は乱れ始めていた。圧力の低下も手伝って、ストライダー部隊も段々と持ち直してきている様子だ。
しかし、それでも高圧砲やストライダーの射撃の流れ弾が飛んで来うる以上、生身の隊長の安全はせめて確保しておきたいと考えていた。
だから、1機のストライダーが夜闇の向こう側からやってくるのを待っていたのだ。
『―――隊長!?ご無事ですか!』
「……ほほう〜イム。前線を抜け出して他人の心配とは余裕だな。落伍者の救出は禁止と厳命していた筈だが?そんな前途有望な貴様には、後で直々に素晴らしい前祝いをくれてやる!」
『こんな時にまで何バカなこと言ってるんですか!早く乗ってください隊長!』
隊長の小言を「バカなこと」の一言で片付けるイムというパイロットは、アオも知っている人物だった。
黒族の母が現地のグレイラインとの間に設けた子供だったが、その母が産むなり任期満了なのでと孤児院に預けて母国に帰ってしまった……という、軽く流すにはあまりに重い経歴の記憶を掘り返していたアオは、そんな彼女だから命令も無視して慕う隊長を回収しにくるのも無理らしからぬことだと1人納得していた。
一方で、そのイムからしてもアオ・カザマという人間は忘れ難い存在だった。
何せ女しか存在しないはずの魔人の男、それもヴァルキリーだというのだから、その時点で新種発見並みの仰天ものだと言える。近年は職業進出が進んでいるとはいえ、男性が傭兵などという荒事に就いていては更に驚愕するしかない。
そんな珍しさの煮凝りなのに加えて、隊長やイーラン地区長とも浅からぬ仲ゆえ顔を合わせる機会も少なくないとなれば、嫌でも顔と名前を覚えるというものだ。
そんなアオがなんとはなしに気になっていた彼女だが、今はそんな余裕などないことは自明であるから、隊長を手早く収容しにかかった。
『収容完了……!アオさん。仲間のこと頼みましt『敵は既に残数9。全て手負いだ!貴様なら容易い任務だろう。居眠りするなよ!』……そういう事ですから!』
元々余裕のないコックピットの中で、まるでおしくらまんじゅうでもしているかのように窮屈そうな声を互いにさせながら、ヴァルキリーの眼前に跪くようにしていたストライダーはいそいそと離脱していった。
遠ざかり、暗がりに消えてゆく姿にアオのスイッチが切り替わる。これで漸く力一杯に戦える、と。
グリムゲルデが天上の滑車に巻き取られるように夜天へと駆け上り、目のない顔が睥睨する。
なるほど、確かに脚が2、3本は無くなっている個体が多数派だ。なら先ずは元気そうな蟲からか。そんな値踏みが済むなり、機体は鏃となって疾駆した。
同時に、真っ黒なのっぺらぼうの面に模様が浮かび上がる。過剰な魔力を通された術式の発光。その有様は、まるで牙を剥いた目のない怪物のようだった。
獲物と見定められたネズミが、フクロウが至近まで接近して初めてその事に気が付いたのと丁度同じような様子で、アゼロの一体が首を上に向けた。
だが、その時には既に遅く、剣を抜き放った無貌の戦乙女は、抜刀術の要領で瞬く間に首を一本こともなげに刎ねて落とした。
そして勢いそのまま、残された頭の苦痛の咆哮が口から飛び出すよりも早く、同様にもう片方の頸も刎ねられる。
あっという間のうちに、9体が8体に変わった。
仲間を羽虫を潰すように殺されたが故か、近くにいた別個体から怒りの大声が響く。高圧砲の準備を告げる軋むような音が鳴るが、それはヴァルキリーを相手にするには悪手だったと言わざるを得ない。
体液の刃が空を切り裂く。たとえヴァルキリーといえど、直撃すれば無事では済まない死のラインだ。だが、それには「当たれば」という但し書きが付く。当のアゼロ自身はといえば、逃げ水を追うように翻弄されるばかり。
空間を切り刻まんばかりの鋭い機動で軽々と高圧砲を回避した戦乙女。その槍のような足がぐわりと開き、獰猛な鋭い刃を内蔵したX字状の指が現れる。
女性的なシルエットには似つかわしくない、現在の顔に浮かんだ凶相には似つかわしいそれが、速度を殺されることなくアゼロの頭部へと襲いかかった。
一閃。そして湿り気のする破裂音。後には頭頂か首を無惨に破砕されたアゼロの姿だけがあった。それは少しの間風に揺られる案山子のようにゆらゆらとなって、ついにどう、と倒れ込んだ。
これで、残り7体。
先程屠った怪獣の方を一瞥もする事なく、グリムゲルデが次の獲物へと踊りかかる。怪獣の視界外から海面のほんの上、空気の雪原を滑るようにして。
不幸にも目を付けられたアゼロは、倒れ込んだ仲間の方を何が起きているか分からないといったふうで見ていた。だから、轟音が自分の方に近付いていると認識できたのは、既に事が終わった瞬間だった。
唐突に、彼は自らの中から大事な何かを喪失した感覚に襲われた。同時に、命が吹き出す感触も。外殻と肉と血とが噴火したように噴出し、臓物混じりの雨が降る。
その中心。全高14m超の鉄杭と化して哀れな怪獣を貫いた戦乙女は、直後に全身に付いた血液を一瞬の炸裂音と共に弾き飛ばし、元の血のように赤い装甲色を取り戻す。その様は、見る者によっては戦乙女というよりも悪魔のように思えた。
残り6体。あまりに一瞬の、そして鮮やかな手際に感嘆の声が漏れ始める。素直な賞賛から毒入りの悪態まで。率直なものから迂遠なものまで。色とりどりのそれらはしかし、一つの事で共通していた。
羨望。それがアオに、いやグリムゲルデへと向けられる純粋な感情だった。
そうこうしているうちに、既に頭を一つ無くしていたアゼロが直上からの竹を割るような剣撃に頭を真っ二つにされ、遂には5体を残す所となった。
ここに至り、ようやく小さくも恐るべき死神に自分たちは襲われているのだと自覚したアゼロ達は、その時点ですでに逃げ腰だった。抗っても0.1ですらない。0以外の選択肢はない。そう悟った時、恐怖が蟲としての冷徹な知性すらも凌駕し始める。
こうなれば、打算よりも最も基盤的な本能こそが肉体を支配するのは当然といえた。
逃げる気か!と通信で誰かが叫ぶ。アゼロ達がその柱のような脚を必死に動かして身体を海の方へと回転させ始めた。
その光景は即ち敵方の戦意喪失、防衛成功の証であるのだから、普通ならば喜びを以って迎えるものであるし、実際湧いている者も少なくない。だが、それまでに受け続けた損害を思えば、むしろ憤慨と報復の念が燃え上がる者が出る事もまた無理らしからぬ事であった。
『浮かれるんじゃあない!そいつらを逃すな!!ここからだけじゃない。この世から永久追放にしてやれ!!』
一方で、別の危機感からアゼロ達を追滅せんとする者達もいた。つい先程、病院へ搬送しようとする手を振り払って指揮所から指示を出していた隊長もその1人だった。ちなみに止めようとした指揮者の人間の1人は簀巻きにされて転がされている。
アゼロ種は以前に占領に失敗した場所に、より大きな群れを形成して再度侵攻するケースがまま見られる。隊長はそれを知るからこそ、ここで撃破せよと命ずる。
「分かっています!部下を下がらせて下さいッ!!」
【Warning!! Warning!!】
【The power of the heart's unleashed!!】
だが、アオは言われずともそのつもりだった。
再びの警告音声。それと同時に、グリムゲルデの機体より紫電にも似たものが漏れ出る。それが何なのかを、海兵達は知識で、或いはその目で知っていた。そして何より、隊長は実質的なイーランの側近として、ようく知っていた。
離れろ!!怪獣どもと船旅をしたいか!!そう通信越しでもよく響く声でがなられると同時に、まるで磁石が反発するような勢いでストライダー達がグリムゲルデより離れてゆく。これから起こることを恐れるように。
機体へと増幅された魔力が最高潮にまで溜め込まれてゆく。
それが今にも破裂しそうになり、周囲へと漏れ出ては砂浜を赤く焼き始めた時、全てを終わらせる断罪の火蓋は切って落とされた。
【Gungnir's Judgment!!】
瞬間、グリムゲルデが消える。砂が高々と舞い、轟音と共に空気が割れる。
魔力漲るグリムゲルデの超加速突撃。その矛先は、防衛のため本能から団子状になって逃走していたアゼロ達。その中心部で、グリムゲルデは全てを解き放った。
そして、逃げるストライダー達は、唐突に光と共に白い柱が生まれるのを見た。
それが猛烈な衝撃波が産む雲だと気がついた時には、壮絶な爆裂音がセンサー越しにコックピット内のスピーカーを乱暴に揺らし、そして装甲を貫通してきた分と合体してパイロットに思わず耳を塞がせていた。
突風と共に、吹き飛ばされてきた残骸や砂がストライダー達の装甲に叩きつけられ、中には姿勢が悪かったが為に運悪く転げてしまった者もあった。
やがて全てが終わり、もうもうとした視界が晴れ始めた頃。そこには生者はいなかった。
巨大なクレーター。そこに貯まる熱された海水。地面に突き刺さる、或いはぷかぷかと水面を浮かぶ、アゼロだったものの残骸。全てが死の静寂の中にあった。
ただ1人。我こそは支配者とばかりに中央に佇み浮かぶ戦乙女。その中にて座する彼、アオ・カザマを除いては。
「アゼロ種の殲滅を確認。依頼達成」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます