第20話
「そういえば、こないだおばちゃんに会ったよ。薬局に来てて」
少し話を逸らしてみた。
『え?うちの母親、どっか悪いの?』
由香里が途端に声を曇らせる。
「や、違う違う。普通に買い物に来てて。うち、日用品も扱ってるからさ」
『何だ、びっくりした』
すぐに明るい声に戻って、由香里はわたしに話を変える隙を与えずに続けた。
『地元で働いてると知り合いによく会うだろうね。思わぬ秘密とか抱えちゃったり?それはちょっと楽しそう』
ゴシップ好きも母親の影響だろう。
「そんな、秘密抱えたりはないけど、そうだね、知ってる人が来ることはたまにあるよ。声かけるか迷ったりする」
『あー、それね。この人何て名前だったっけ、とかない?』
「ある。ついこないだもあって、今も思い出せてない。中学の時の国語の先生なんだけど、ユカちゃん分かる?」
あまり好きな先生ではなかったから別にいいのだけど、思い出せないと何となく気になる。
『え、小池ちゃんじゃなくて?』
「もう一人の方。女の先生で、ちょっと小柄な……」
『あーはいはい、えっと何だっけ。森崎ね』
「あっ、そうそう、森崎先生。ありがとう、すっきりした」
由香里がすんなり名前を出してきたから、自分の記憶力の衰えに落ちこむ。同じ歳なのに。
『森崎のことなんて久しぶりに思い出したわ。えこひいきするような奴が国語の教師やってんなよって思ってたな。イケメン好きだったよね、あいつ』
由香里が当時を回想するのを聞いて、陸も同じようなことを言っていたのを思い出した。
それは、とても懐かしい記憶だった。
『また名前が思い出せないことがあったらいつでも連絡してよ。電話ありがとう、久しぶりに話せて楽しかった。アイリのお風呂が終わったみたいだからそろそろ』
由香里は早口で話を締めにかかった。
「あ、あのさ」
これだけは伝えようと、慌てて口を挟む。
「ありがとね、りっくんにわたしの住所を伝えてくれて」
本当は話を聞いてほしかったけど、仕方ない。由香里も暇ではないのだ。
『ああ、ごめんね、勝手に。せめて事後報告でもって思ってたんだけど、バタバタしてたもんだから。会えた?』
心なしか興味なさそうだ。早く切りたいからかもしれない。
「うん、先週」
急いでいると思ったから短く答えたのに、
『え?先週?』
と、由香里はなぜか食いついてきた。
「うん、先週。おっきい台風が来たでしょ?あの日。仕事から帰ってきたら、りっくんがうちの前に立ってて」
『待って、その話詳しく聞きたい。一時間後くらいにまたかけ直してもいい?』
了承すると、由香里は慌ただしく電話を切った。
由香里が何に興味を持ったのか分からなくて、少し困惑した。
由香里は変わった。昔はもっと話を聞いてくれたのに、今日の由香里は特に、ひどく一方的だった。
もう子供の頃のように由香里と笑い合うことはないのかもしれない。別々の大学に入学した日から、わたしたちは違う道を歩きだして、由香里はわたしの知らない人と結婚して、子供を産んで、ますます遠くなった。これからもどんどん離れていく一方なのだろう。そう思ったら、途方もなく寂しい気持ちになった。
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