優しさの芽

第6話

翌朝目を覚ますと、何もかもが億劫になっていた。

 大学に行くのをやめておばあちゃんのところに戻ろうかと考えながら、のろのろと新しいスーツに袖を通す。

 その時、部屋のドアがノックもなく開いて、父親がズカズカと入ってきた。

 この人は昔からこうだ。デリカシーどころか、普通の感覚全般を持ち合わせていない。悪い人ではないのよ、とお母さんはよく言ったけど、それ以前に常識がなさすぎて、善悪を測ることなど不可能だ。

「今日ぉ、あれよぉ、お前ぇ、入学式だろぉ」

 いつものだらしない口調で尋ねてくる。

 この人に入学式の日にちを教えた覚えはない。おそらく私がいない間に部屋に入って書類を見たのだろう。そう思って激しい憤りを感じるけれど、父親に何を言っても無駄だということを、私はお母さんの長年にわたる闘いから嫌というほど学んでいた。

「俺ぇ、行こうかぁ?」

 娘に嫌われたり疎まれたりしているとは微塵も考えていない顔だ。

「来なくていいよ」

 そう断ると、

「大学生だもんなぁ。入学式に親は行かねぇかぁ」

と、一人で納得したようだった。

 もしかしたら仕事をわざわざ休みにしたのかもしれない。何の仕事をしているのか知らないけど、シフト制のようで父親の勤務日は変則的だ。

「岸本優芽、なぁ」

 父親は無精髭の生えた顎をボリボリと掻きながら、机の上の封筒を無造作に手に取って、宛名にある私の名前を音読した。触らないでと言いたいのを堪えた。大学からの重要な案内が入っている。

「優しさの芽かぁ」

 自分が名付け親のくせに、今初めて知ったかのようにしみじみと呟いている。

 優しい世界を始められる人間であれ。父親は幼い私にそう繰り返したものだった。

「用がないんだったら出てって」

 強い口調で追い払ったら、父親はあっさりと踵を返した。部屋を出て行く前に、

「大学行くなんてよぉ、ユメはマサミに似てぇ、頭いいんだなぁ」

と、お母さんの名前を口にした。

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