第27話

病院の建物を出て、ロータリーを駆け抜けて、大通りに出たところで、咲来は腕を掴まれた。

 後藤は強引に立ち止まらせようとしなかったから、咲来はしばらく抵抗して走り続けたけど、交差点の横断歩道の赤信号でようやく足を止めた。


「走るの、速いね」

 息を整えながら、後藤がやっとのことで言った。

「どこか、悪いの?そんな走って大丈夫なの?」

 気遣うように、咲来の腕から手を離した。

「今日は、」

 肩で息をつきながら、咲来は言った。

「丁寧語じゃ、ないんですね」

 あ、と後藤が小さく声をあげる。

「いや、別に、いいっていうか、後藤さん、ドクターですよね。なんで、私に丁寧語なんか」

「いや、そこはまあ。今はスルーしておいていただけると」

 早くも呼吸を立て直して、後藤はボソボソとごまかした。

「それより、身体を壊したわけじゃないんですね?大学に来てないからずっと心配してて。まさかこんなところで見かけるとは思わなくて、心臓が止まるかと思いました」

 そんなことで心臓を止められても困る、と咲来は思った。

「後藤さんこそ、何でこんなところに?」

「俺?あ、やば。先生置いてきちゃっ……いや、何でもないです」

 白衣のポケットから携帯電話を取り出しかけて、後藤は引き攣った顔で作り笑いをした。

 その様子がおかしくて、咲来はもう少しで吹き出すところだった。

「何でもなくないでしょ。戻りましょう」

「え、でも、オウマさんは」

「私も、戻らなきゃいけないんで」

 自分自身に言い聞かせるように、咲来はそう返した。


「病院の先生と打ち合わせですか?」

 並んで歩きながら尋ねると、後藤は肯定した。

「神経症について聞きたいことがあって。久保先生と仲良しのお医者さんがいるから、よく話を聞きに来るんです」

「へえ。お医者さんに話を聞きにいくとか、すごいですね」

「大したことじゃないですよ。教授のコネを使っているだけなんで」

 後藤は、照れを隠すように、白衣のポケットに手を入れた。

「そういう時って、白衣着ていくものなんですか?」

 咲来が素朴な疑問を口にすると、「え?」と、後藤は思ってもみないことを聞かれたみたいにたじろいだ。

「へ、変ですかね?」

「変っていうか、一瞬お医者さんに見えたので」

「うわ、考えたことなかったな。脱ごう」

 ゴソゴソと白衣を脱ぎ始めた後藤を見て、今度こそ咲来は吹き出した。

「わ、笑わないでくださいよ……」

 携帯を尻ポケットにしまいながら、後藤は恥ずかしそうに俯いた。


「母が、自殺未遂をして、入院してるんです」

 咲来は、荷物を下ろすように、そう打ち明けた。

「私のせいかもって、もっと傷つけたらどうしようって思ったら、会うのが怖くて。それで、待合室から動けずにいたんです」

 病院にいた理由をそう説明した。

「どうして君は」

 声を震わせる後藤の頬を涙が伝ったのを見て、咲来は動揺した。

「いつもそうやって、一人で……」

 そこで言葉を失ったように、後藤はそれっきり黙ってしまった。

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