第22話

キャンパスの片隅にある研究棟の、駐輪場の脇にあるベンチで、咲来がぽつりぽつりと眞野の話をするのを、後藤は黙って聞いていた。


「それは大変でしたね」

 後藤は、咲来のことを被害者として受け止めた。それが、咲来には心苦しかった。

「私が悪いんです。奥さんの言う通り、私が思わせぶりなことをしたから……」


 咲来は、父親が浮気をする度に、母親が傷つく姿を見てきた。父親が他の女と生きていくことを選んだ時、母親の心が壊れていくのを見てきた。

 同じことを自分がしてしまったのが、苦しくてたまらなかった。


「思わせぶりというか、オウマさんは本気で好きだったんでしょ?」

 庇うように尋ねる眞野に、咲来はかぶりを振った。

「好きだったけど、それだけじゃないです。私、先生の時間を、娘さんから奪いたかった。自分が子供の頃に、父親を奪われたように」

 そっか。そう相槌を打った後藤に、咲来は言い訳をするみたいに続けた。

「でも私、本気で奪うつもりなんかなかった。奥さんを傷つけるつもりなんて、なかったんです」


 ベンチに並んで座る二人の視線が、束の間、絡み合った。

 先に目を逸らしたのは後藤だった。彼は、咲来の方に向けていた身体を、前に戻して座り直した。

 軽蔑された。そう思って心が破れそうになった咲来に向かって、後藤はゆっくりと言葉を発した。


「オウマさんは、ずっと一人でがんばっていましたね」

 優しい秋風が、後藤のサラサラな黒髪をなびかせて、甘い花の香りを遠くまで運んだ。

「優秀だから、先輩や同期にやっかまれて、孤立して。東西ファーマは普通、学部卒は取らないですからね」

 東西ファーマとは、咲来が内定をもらった企業だ。

 なぜ知っているのかと驚く咲来を見て、後藤は寂しそうに微笑んだ。

「お礼を言いたいのは俺の方です。出口の見えない研究生活の中で、オウマさんのがんばる姿を見て、いつもエネルギーをもらっていました」

 もらうばかりで、俺は何もしてあげられませんでしたね。そう、後藤は悔やむように呟いた。


「俺には、一人でがんばってきたオウマさんが、先生と過ごす時間に癒しを見出したことの、何が悪いのか分かりません。悪いのは、既婚者なのに半端なことをした先生の方でしょう。それとも、オウマさんの方からキスをしたり誘ったりしましたか?」

 咲来が首を横に振って否定すると、後藤は再び小さく微笑んで立ち上がった。

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