【04-3】静かに迫り来る脅威(3)
「そのこと警察に言った?」
話を聞き終えた光は、優子に尋ねた。
「実際に後の人が消えたところを見た訳じゃないし、警察に何て言ったらいいか分からなくて。
やっぱり警察に届けた方がいいですか?」
優子は首を横に振りながら言った。
「いや、あんたの言う通りだわ。
何て言ったらいいか分かんないから、届出のしようがないもんなあ。
後を歩いてた人が突然消えたみたいなんです――って言っても、相手にしてもらえそうにないもんね」
「そうですよね。大体本当に消えたかどうかも分からないし」
「うーん。
でも、話を聞いている限り、あんたが見間違えたとも思えないんだよねえ。
実際その道って、途中で曲がるとこないんでしょ?」
「はい」
「あんたが後の人を確認してから、その水みたいな音がするまで、どれくらいの時間だったの?」
「すぐです。
多分5秒も経ってなかったと思います」
「その一本道って、どれくらいの長さなの?」
優子は俯いて顎に手をやり、少しの間考えた後、
「多分、500mあるかないかだと思います」
と、自信なさげに言った。
「で、あんたが振り返った時は、その一本道に入ってからどれくらいまで来てたの?」
「音がした時は、出口の交差点まで,
あと少しくらいの所まで来てました」
「じゃあ、その人がダッシュで来た道戻ったとしても、無理だわなあ。
あんたに見とがめられずにいるのは」
「そうなんですよ。
あの道は街灯も結構あって明るいから、絶対見失うことなんてないんですよ」
優子が余りに思いつめた表情でそう言うので、光はやや引いてしまったが、気を取り直して続けた。
「マンホールの蓋が開いてて、そこに落ちたということはないの?」
「え?マンホールですか?
そんなのあったかなあ??」
優子は光の問いに意表を突かれたらしく、困ったような表情を浮かべて、右上に視線を向けた。
懸命に思い出そうとしたようだったが、結局駄目だったらしく、
「ちょっと分からないです。
あったかも知れないし、なかったかも。
もしそうだったら、大変ですよね?
やっぱり警察に届けた方が良かったですよね?」
と、さらに困った顔を光に向けた。目が潤んで涙目になっている。
「ああ、そんなに深刻にならなくていいよ。
単なる思いつきだから。
マンホールがあったとしても、蓋が空いてたら気づくだろうし。
それにもし人が落ちたりしたら、悲鳴くらいは上げるだろうし」
光は慌てて優子を宥めた。
今は何でもネガティブに受け止めてしまうようだ。
「私、帰り道に確認してみます」
優子が思いつめたようにそう言いだしたので光は、
「止めときなよ。その道は通らない方がいいって」
と彼女の両肩を掴んで、強い口調で
「いいか?
何か事故とか事件とかだったら、遅かれ早かれ警察が動くって。
誰かが行方不明になったら、何て言ったっけ?
あれだ、あれ。
捜索願を出すでしょう。
その人の家族とかが。あんたもさっき言ってたじゃない。
実際にその人がいなくなるのを見た訳じゃないって。
だからその道はしばらく通らず、様子を見た方がいいって」
自分でもあまり理屈が通ってないなと思いつつ、光は必死で優子を宥めた。
こういう時に自分の説得力のなさに腹が立つ。
渚だったら上手く言い包めて、丸め込むだろう。
しかし優子が、かなり思いつめているのが物凄く気になったし、そもそも朝から続いている例の頭痛が光に警鐘を鳴らしている。
優子の話を聞いて、嫌な予感が急激に現実味を帯びてきた気がした。
その時光は、周囲の視線に気づいた。
知らず知らずのうちに、かなり声が大きくなっていたらしい。
彼女は怪訝そうな表情でこちらを見ている同僚たちに向かって、
「あ、何でもないです」
と言って、軽く手を上げた。
そして優子に、
「とにかく出ようか」
と、声を潜めて言った。
優子も肯くと、すぐに帰り支度を始める。
席を立った二人は居残りの同僚たちに向かって、「お先です」と声を掛け、そそくさと職員室を出た。
園舎を出て園庭を抜けて門に至るまで、二人は終始無言だった。
光はこういう気まずい雰囲気が物凄く苦手なので、門を出たところで、「今日は一緒に家の近くまで行こうか?」と、優子に声を掛けた。
普段は門を出ると左右に分かれ、光は自宅マンションまで歩いて帰るのだが、何となく今日は優子のことが気になり、そう提案してみたのだ。
しかし優子は、
「そ、そんなの申し訳ないです。
光先輩のお家、すぐ近くなのに、わざわざ家の方まで来てもらうなんて。
私、本当に大丈夫ですから」
と言って、顔の前で何度も手を振った。
そして、
「先輩、さようなら。
話聞いてもらって、少し落ち着きました」
と言うと、光に向かってぺこりとお辞儀をし、駅に向かって歩いて行った。
光もそれ以上は言えず、
「絶対明るい道を通りなさいよ」
と優子の後ろ姿に念を押すしかなかった。
光の言葉に優子は振り向くと、
「分かりました」
と笑顔で言って手を振り、再び駅に向かって歩いて行った。
それが、光が最後に見た優子の姿だった。
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