【03-5】武闘派幼稚園教諭、蘆田光の誕生(5)

木刀を袋に収めた光は、失神した滝沢の横で、床にへたり込んだままの香菜に近づくと、手を貸して立ち上がらせた。

香菜は何とか自分で歩けそうだった。


安心した光は、床に転がった一人を邪魔だと言わんばかりに横に蹴飛ばす。

男はうめき声をあげたが、急所に喰らった突きがまだ効いていて、背中を丸めたまま立つことも出来ないようだ。


ゴミでも見るような一瞥をそいつにくれると、光はまだ呆然としている残り三人の同級生に向かって、「帰るよ」と声をかけた。


先頭に立った光の背中に、全員がくっ付くようにして階段を急ぎ足で上って行く。


通りに出ると、一人がほっと大きなため息をつくのが聞こえた。

ようやく助かったと実感したようだ。


「警察に言わなくていいかな?」

一人の子が、おそるおそる光に切り出した。


「色々聞かれると面倒だからいいんじゃないの。

結果的にこっちに被害はなかった訳だし。


あの阿呆どもも、まさか8人掛かりで女子を襲おうとして反対にやられましたなんて、恥ずかしくて言えないだろうしね」


光がそう返すと、全員が顔を見合わせ、そうね――と頷き合う。


「それよりあんた達。

これに懲りたら、もう阿呆どもの誘いに乗っちゃだめよ」


笑いながらそう言った光は、「行くよ」と右手で合図し、すたすたと駅に向かって歩き出した。


全員が慌てて後を追って来たのを感じた光は、カルガモの親子かよ?――と心の中でツッコミを入れ、苦笑するのだった。


週明けに学校に行くと、渚がすかさずやって来て隣の席に座った。

そして、

「先週暴れたそうじゃん」

と光の顔を覗き込み、何だか嬉しそうに囁く。


「耳の速いこと」

光が返すと、

「でもあんた、暴力女のレッテルを貼られつつあるよ」

と、渚は意外なことを言った。


「何でよ?」

光が訊き返すと、

「何言ってんの。

木刀振り回して男8人ぶちのめしたら、そう思われて当然じゃん。

て言うか、そう思わない方がおかしい」

と決めつけ、ケラケラ笑う。


――まったくこいつは、他人事だと思いやがって。

光はそう思ったが、大して腹も立たなかった。


篠崎渚とはそういう奴だと、既に割り切っていたからだ。

それに他人から勝手に貼られるレッテルにも、もはや慣れている。


しかし次に渚の口から出た言葉を聞いて、光は絶句した。

「ついでに言っとくと、一緒に行った子の中で、あんたのファンクラブを作ろうという動きがあるらしい」


――ゲッ、それはヤバい。

光は高校時代の悪夢を思い出し、顔を引き攣らせた。


「あんたが珍しく合コンなんて行くから、妙だなとは思ったんだよね。

そういうことなら次からはあたしも付き合うわ。


まあ、二度とお誘い掛からんかも知れんけど。

しかし、あんたといると退屈せんね。

波乱の女子大生活が送れそうだわ」

渚はそう言うと、またも嬉しそうにケラケラと笑った。


――そう言えばこいつ、フルコンタクト系空手三段だったな。次は絶対巻き込んでやる。

そう決心した光は、屈託なく笑う渚を横目で睨んだ。


しかし渚の期待に反して、その後は光の周囲で大した事件は起こらず、平穏な学生生活の日々が過ぎて行った。


あれ以来光は、渚以外の同級生と一定の距離を置いた付き合いに徹したので、渚の予想通り、二度と合コンのお誘いは掛からなかったし、ファンクラブ結成の話も有耶無耶のうちに自然消滅したようだった。


それはそれで、光にとっては気が楽だったのだが。


教職課程をとっていた蘆田光あしだひかるは二回生になって就職活動のシーズンを迎えた時に、学校の就職課の案内を見て、江東区にあるF幼稚園に応募することにした。


後から知ったのだが、当時F幼稚園には光の通う短大の学生を含めて、他にも結構な人数が応募していたようだった。


学業成績が月並みだった光は、自分には結構ハードルが高いなと思いつつ、ダメもとで面接に臨んだのだった。


ところがいざ蓋を開けてみると、何故だか他の応募者を抑えて合格してしまった。

合格通知をもらった時、光は嬉しいというより、むしろ面食らったような気持になったものだ。


就職後に聞いた話では、面接の際の園長の受けがかなりよかったらしい。

どうやら園長の強い押しで採用されたようだった。

何がそんなに気に入られたのか、光は今でも釈然としない。


ただ、面接で自分のアピールポイントを聞かれた時に、

「体力だけは、そんじょそこいらの男子にも、絶対に引けを取らない自信があります」

と、即座にきっぱりと言い切ったら、面接者席の真ん中に座っていた園長がバカ受けして、大笑いしていたのを憶えている。


それが唯一思い当たる採用理由だった。勿論それだけではないと信じたいのだが、残念ながら他の理由は思い浮かばない。


毎日元気いっぱいの園児たちを相手にしなければならないのだから、体力があるに越したことはない。

そういう点で自分は打ってつけの人材だったのだろう。光はそう思うことにした。


こうして<武闘派幼稚園教諭>蘆田光が誕生したのだった。

<武闘派>の肩書は、F幼稚園合格を知った時の渚の命名である。


よく考えると幼稚園児相手に武闘派もないとは思うのだが、彼女は何となくその肩書が気に入っている。

そして光の幼稚園教師人生は、この春6年目に突入していた。

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