【03-2】武闘派幼稚園教諭、蘆田光の誕生(2)
ようやく事故のショックから立ち直り、久しぶりに登校した光は、どういう訳か周囲の態度が自分に対して余所余所しいことに気づいた。
やがてその理由を知った光は、その理不尽さに愕然としてしまった。
彼女が学校を休んでいる間に、謂れのない彼女への中傷が、生徒たちの間を駆け巡っていたからだ。
光が集合時間に遅れたせいで、登校班の出発が少し遅れ、その結果事故に巻き込まれてしまったというのが、中傷の中身だった。
それが学校中に静かに蔓延していたのだ。
その中傷の出所は、どうやら事故の当事者とは、全く無関係な子の親だったらしい。
――自分一人だけ助かって、光ちゃんは運が良かった。
――誰それ君は、光ちゃんの身代りになったようなものだ。
誰かの親が、自分の子供の前で発した、不用意で無責任な言葉が、巡り巡って彼女を突き刺すことになったのだ。
しかしその大人は、自分が言ったことなど、あっという間に忘れてしまったことだろう。
その無自覚な悪意は、子供たちの中で拡散して行くうちに新たな悪意を含んで膨張し、やがて光への敵意へと変化して行った。
さらに彼女を嫌っていた一部の子たちが、ここぞとばかりに周囲を煽っていたことも後で分かった。
突然自分に向けられた身に覚えのない敵意に、光は当惑してしまった。
特に彼女がショックを受けたのは、それまで仲の良かった子たちまでが、彼女を攻撃する側に付いてしまったことだった。
光を庇うことで、自分が攻撃対象になりたくないという気持ちは、分からなくもない。
だからといってそれは許せることではなかった。
――いくら何でも、それはないんじゃないの?
小学5年生の少女にとって、それは心が折れてしまいそうになるような経験だった。
だがしかし彼女は、落ち込んだままではいなかった。
そんな理不尽ないじめに負けることが、堪らなく悔しかったのだ。
――負けてやるもんか!
光は元々、相当以上に気が強く、しっかりとした意思表示が出来る子だった。
男子にも引けを取らない体格で、運動神経も抜群だった。
光は自分に向けられたバッシングに対して、毅然とした態度で受けて立ったのだ。
陰口をたたく子には、
「言いたいことがあれば面と向かって言えよ。
ちゃんと聞いてやるから」
と言い放った。
例え相手が何人いても、物怖じすることはなかった。
また周囲が光を無視しても、一切構わず昂然と胸を張り続けた。
それは小学5年生の少女にとっては、この上なく辛い日常だった。
それでも彼女は負けなかった。
親にも教師にも頼らず、一人で戦い続けたのだ。
光にとって幸いだったのは、それ程時間を置かずに、彼女の担任教師が、彼女を取り巻く状況が、おかしいことに気づいたことだった。
その教師は事情を調べて把握すると、他の教師を巻き込んで、素早い対応を取ってくれた。
それが奏功し、やがて光への謂れのないバッシングは終息していった。
しかしその時すでに、光の心は深く傷ついていた。
それは当然のことだったろう。
騒ぎが収まるまでの間に投げつけられた、悪意の一つ一つが、事故で最も傷ついた当事者の一人である彼女の心に、深く突き刺さっていたからだ。
その心の痛みは、やがて怒りへと変換されて行った。
それは自分に悪意を向けた、個人への怒りではなく、そういうことを行う、人間の心に対する怒りだったのかも知れない。
光にはそのような悪意を抱く心の動きが理解できなかったし、子供ながらもその理不尽さに激しい怒りを覚えたのだ。
それが後に、『武闘派幼稚園教諭』と呼ばれることになった、強者
今でも彼女は、その時に感じた怒りを忘れていない。
光を中傷した子たちの中には、彼女に直接謝った子もいた。
光はその子たちを許したし、以後も普通に接した。
他の子たちに対しても、態度を変えることはしなかった。
そうして光の日常は元に戻ったが、彼女の内面は大きく変化し成長していた。
自分を襲った理不尽な攻撃に抗いながら、光は様々なことを学んでいたからだ。
自分が今いる場所が、いつまでもそこにあるとは限らないということ。
大勢の中に居ても、突然一人になってしまう時があること。
光はその時、今よりもずっとずっと強くなりたいと思った。
それは誰かと戦うためではなく、孤独に負けないためだった。
決して一人になることを恐れない、強い心を持ちたいと思った。
それは10歳の少女にとって、悲壮な決意と言えた。
その時から光は、それまで習っていた剣道の稽古に、更に熱心に打ち込んでいった。今では15年以上のキャリアがあり、4段の腕前である。
それに加えて中高6年間は柔道部にも所属していたので、周りからは武道好きの少し変わった子に見られていたようだ。
その方が光にとっては気が楽だった。
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