002 女商人の決意
メッキラ独立国のヒューラの町に住む女商人マエラは、先日町の外に突然建設さ
れた店舗に来ている。
その店の名前はインフォメーションセンターと言う。その単語の響きも意味も全
くわからないが、開店前に実施していた告知によると、情報や食事の提供、日用品
の販売をする店とのことであった。
食事と販売は理解できるが、情報の提供と言われても漠然としている。店側が言
うには、犯罪に関わらない情報なら何でも調査して報告をするとのこと。
はっきり言って、あやしい。
マエラも商人の端くれ。情報がいかに重要かは分かっている。
需要と供給を把握することで、多大な利益を生み出すことができる。だが、読み
違えたら大損失になってしまう。だから、新鮮な情報は喉から手が出る程欲しい物
なのである。
その為、もしその謳い文句が本当なら、商人にとってどれほどの価値を生むか計
り知れないものになる。
インフォメーションセンターが情報を提供するというのなら、いかに情報が重要
かを知っているのは間違いない。
相談内容や調査内容は口外しないし、インフォメーションセンターが利用するこ
ともないと言うが、はっきり言って信じられない。
そもそも、商人が同業者に飯の種を明かすことはないだろうから、おそらく商人
は相談に来ない。
インフォメーションセンターが正確な情報を伝えるかも怪しい所だ。正反対の情
報を伝えて、競合相手を潰そうと考えていても不思議ではないのだ。
だが、商人としては放っておけない。だから、マエラがここに来たのは敵情視察
の意味合いが大きい。
しかし、調査してもらいたいことがあるのも事実。それはとても個人的なこと
で、おいそれと他人に話せることでもない。ずっとマエラが心の奥にしまっていた
もの。
だからマエラは一旦、併設されている食事を提供する施設(カフェというらし
い)に歩みを進めた。
席に座ると、店員が注文を取りに来た。
その店員は獣人であった。
メッキラ独立国なら問題ないが、他の国、例えばメッキラ独立国の北東部と国境
を接している大国、カーネラリアン正教国では、インフォメーションセンターは異
教徒として断罪されるであろう。
しかし問題ないと言っても、メッキラ独立でも獣人が給仕をするのは珍しい部類
に入る。そして改めて店内を見回すと、従業員は全員獣人であることに気づいた。
さすがにこれはありえない。もしかしてこの商会は獣人が経営しているのか?
メッキラ独立ならないことではないが、今までそういった噂は聞いたことがなかっ
た。マエラの中の常識と照らし合わせても、異様な光景であった。
さらに、インフォメーションセンターは商会名ではなく店舗名ということだっ
た。正式な商会名はリビール商会というらしい。店舗名を別にすることに何の意味
があるのか、隠したい何かがあるとしか思えない。
そんなことを考えていたら、マエラが注文した料理が運ばれて来た。
メニューを見ても初めて見る物ばかりで、何を頼んで良いのかわからなかった。
品目には絵というにはおかしい、料理そのものが張り付いている様な緻密で綺麗な
絵と料理の説明が書かれていたが、まるで味が想像できなかったのだ
そのためマエラは店員に甘い物でお薦めがあるか聞き、イチゴのショートケーキ
なるものを頼んだのだが、目の前に存在する物体は…
一面が緩やかな曲面だが、ほぼ三角柱の形をしている。上と曲面は白いクリーム
という物が塗られ、上にはイチゴという果実がのっている。側面は、薄茶色とク
リーム、それにイチゴが層になっており、これは本当に食べ物なのかと疑う美しさ
であった。だが、それが食べ物であると証明するかのように、ケーキから漂ってく
る甘い匂いがマエラの鼻腔をくすぐっている。
「こちらはセットの紅茶になります、お好みで砂糖をお使い下さい。それでは失礼
致します」
マエラは店員のその言葉に驚愕する。砂糖は高級品である、その砂糖を自由に
使っていいと言っているのだ。いったいなんなのだこの店は、この空間はマエラの
常識が一つも通用しない。
暫く固まっていたマエラだが、フォークを手にとり…ケーキに刺した。
見た目から柔らかいだろうと想像していたが、程よい弾力がフォークから伝わっ
てくる。
一口食べて言葉を失った…
いや、意識が飛んだ…
今まで感じた事のない感覚に体が混乱したのだ、視覚、嗅覚で攻められ、味覚で
仕留められた。
まずい…
これはまずい…
マエラの脳は危険だと信号を出すが、彼女の手は止まらない。
気づいたら、三個追加で頼んでいた…
安易にこの店に来てしまった自分を叱りつけたい。マエラはもう、この甘味無し
では生きていけない体にされてしまったのだ。
イチゴの甘みの中にある少しの酸味と、しつこくなくいクリームの甘みが見事に
合わさった完璧な組み合わせ。
止まらない…何個でも食べられる。
しかも恐ろしいことに…ケーキは、このイチゴのショートケーキだけではないの
だ。未知のケーキが三十種類はあるのだ。それに、甘味だけではなく、未知の料理
も沢山…
自分はいったいどうなってしまうのだ…と、恐怖を感じる。
恐怖と歓喜、相容れない感情が彼女の中でせめぎ合う。
マエラはいつもの精神状態に戻るまで、暫くの時間を要したのであった。
~~~~~
なんとか精神を落ち着かせたが、この店はそれだけでは終わらない。
ここには、自分が知っている物が無い。イチゴという果実一つとっても知らない
のだ。商人としての誇りを傷つけられた気持ちにさせられる。
その極めつけが”あの板”、入店時から気にしない様にしていた”あの板”。気にし
たら負け、気にしたら冷静じゃいられないのがわかっていた。でも、常に視界に
入ってくる”あの板”、”あの板”はいったいなんなのだ!”あの板”は!
マエラの心を支配していた好奇心や驚愕は、徐々に怒りへと変化してきた。
何も理解できない自分への怒りもあるのであろうが、”あの板”は意味が分からな
い。
店内の壁や柱など、客がどこにいても目に入るように設置されている、”板”。
その”板”の表面で、絵が動いている。
絵なのか?
絵にしては綺麗すぎる。もう、自分の目で見ている景色と遜色ない。そうなの
だ、あれはこの町から北に見える山脈そのもの、全く同じと言ってもいい。
その景色が”板”の表面に張り付いている、そして動く、大きくなって近づいてく
る。
わからない、悩んでもわからない、無理だ。
マエラは聞いた、聞いてしまった。商人なら聞くことは正しいのだが、なんだか
負けた気になる。
未知の物過ぎで、自分の知識からその仕組みや、価値を想像できないのが一番の
問題なのだ。
それは、映像と言うらしい。
景色を撮影(人の目で見ている物と同じ景色を特殊な道具を使って、別の媒体に
その情報を保存すること)し、それを、”あの板”(ディスプレイというらしい)
に、映像(撮影して得られた情報)を写すことができる道具ということだった。
聞いても理解できない。
わからないから、さらに聞いた、どんな仕組みかも聞いた。恥も外聞もない。捻
りも無しに単刀直入に聞いてやった。
もちろん、知ることは出来なかったが。
当たり前だろう、こんなとんでも技術をおいそれと外に漏らすわけがない。
そもそも、それは一部の専門職の者達だけが知っているだけだと言う。そして、
それはそうだと納得もした。
「必ず聞かれますから。やっぱり珍しいですよね、私達も驚きました。この技術は
一部の従業員しか知りませんし、たとえ私が知っていても絶対に口外しませんが」
マエラはさすがに失礼であったと反省して謝罪した。
「いえいえ、皆さんお尋ねになりますから。作り方は知りませんが使い方はわかり
ます。簡単なんですよ」
マエラは、”へ~簡単なんだ~”と、思考を放棄した。
その後店員にお礼を言い、悟ったように紅茶を飲みながらディスプレイを見てい
た時だった。
マエラの目に信じられない映像が飛び込んできた。ケーキの存在などどうでもよ
くなるほどの。
映っていたのは一瞬だった、でも見間違うことはない。
それは、ずっとマエラの心に罪悪感としてこびり付いていた記憶なのだから。
徐々に、マエラの感情がどす黒いものへと変わって行く。
そして、それに比例するように、店内の従業員全員の警戒心も上がって行く。
マエラは自分が警戒されていることに気づいていない。
今のマエラには、周囲に気を配る冷静さは無かった。
ディスプレイに映っていた映像と、この店の信じられない物の数々が、マエラの
中で結びつき、一つの結論を導き出した。
マエラは怒りを抑える。ここで感情を爆発させては、やっと掴んだ手掛かりを不
意にしてしまう。
慎重に、慎重すぎる程慎重に事を進めなければならない。
マエラは、ある決意を胸に動き出すのであった。
~~~~~
その情報は桜井遥希の元へ直ぐに伝わり、
「一人のお客さんのマーカが、いきなり青色から赤色の敵対マーカに変わった。し
かし、敵対的な行動は見せなかったため、拘束や排除はしなかった…と」
彼は、報告をスマホの画面で確認した。
「マーカのシステムは正常だから、彼女がリビール商会に対して何らかの敵意を
持っていることは確定だね。理由はこれから調査するけど、リストに登録して従業
員に周知しておいてくれるかな」
その客は、要注意人物として監視リストに登録されたのであった。
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お読み頂きありがとうございます。
しばらく説明回が続きます。
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