第8話 近くに感じたい

それから、どちらからともなくかける毎日の電話が日課となっていた2人。


でも、お互い会ってみたい気持ちを言い出せないままでいた。


そんなある日、電話での会話の中で逸香は公斗が所属する大学のグリークラブの音楽会があること知った。6月のある土曜日の夜、大阪の中之島にあるホールで関西の大学の何校かのグリークラブが集まってコンサートをするらしい。


「もうすぐだから練習が結構大変なんだ」


逸香が今まで知らなかった世界。公斗が楽しそうに話してくれるグリークラブの演奏を、逸香は聴いてみたくなった。と言うより、舞台に立つ公斗を見てみたくなった。




「あっ、これだ!!」


当時のエンタメ情報誌『ぴあ関西版』を買ってきてチケット情報を探す。


行ってもいいかな?


何となく公斗に聞きづらくて直前まで迷っていた逸香だったが、意を決して大阪中之島のホールへ向かった。こんな大きなホールで演奏会を聴くなんて初めて。田舎にこんな大きなホールはなかった。ホールを見上げて場違いな気がして気後れする。そして、逸香の横を通りすぎていく来場者は、慣れた感じで、入り口に続く階段を手に手に花束やプレゼントを持って上っていく。


「あっ、どうしよう、何も用意してない!」


何しろこんな演奏会を聴きに来るのは人生初のこと。そこまで気が回らなかった。それに、来たことが分かると公斗がどう思うだろう?今日はそっと見て帰ろう。受付で


「プレゼントなどありましたら、こちらでお預かりします。」


と、声をかけられちょっと気まずさを感じた。



若干の居心地の悪さを感じながら、ホールに入るとすでに大勢の観客がいた。聞こえてくる話し声によると、どうやらOBや家族、友人などが多そうだ。


開演までもらったパンフレットに目を通す。公斗の大学の欄に彼の名前を見つけた。公斗のパートはバリトンだと言ってたけど、人数が多すぎるし、そもそも逸香は電話越しの公斗の声しか知らない。


何で来たの、私…?


顔も知らないのに、見つけられることもないのに、逸香は何かに導かれるようにここに来ていた。同じ空間、同じ場所で同じ時を公斗と過ごせたらそれだけでいい。


何となく公斗を近くに感じたかったのだ。


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