第12話 死線の先

 突如現れた暗幕の中で、爆竹ばくちくに取り囲まれたかのような轟音ごうおんに包まれる。動くなとは言われたが、意識する前に体が防御体勢をとっていた。耳を塞ぎ、しゃがんで目を閉じたまま、周囲の状況を探る。


「藍果。藍果、大丈夫だ。目を開けて」


 ふさいだ耳の隙間すきまから、弓丸のささやき声が聞こえた。そっと目を開ければ、どういうわけか弓丸の髪をくくっていたひもが落ちている。それを拾い、声の主へと目を向けた。


「弓丸、こ、れっ……!?」


 灯火の光を水面のように受けながら、きらきらとつやめくからす羽色ばいろ


 両手を広げ、わたしの目の前に立っている弓丸の黒髪は、平安の高貴な姫君もかくやというほどに伸びて揺らめき——私たちの体を守る、つかの間の盾となっていた。ただ、おそらくは限界があるのだろう、その盾はこの空間を二つに仕切れるほど大きくはない。それでも大人おとな二、三人なら容易におおえる羽衣のような暗幕に、ほんの一瞬、目を奪われた。


「これではっきりした。相手は禍者かじゃだ」

「か、禍者かじゃってあの、前に言ってた」

「そう。わざわいに心をとした者、あるいは……」


 弓丸が手首につけていた首飾りを取り、左に持ってパッと振った。紐から抜けたもう一つの玉は、赤色の羽をした矢へと姿を変える。そして紐の方は、長さ一メートルほどの弦を持つ武具——すなわち、弓丸の体格でギリギリ扱えるサイズの弓へと変貌へんぼうした。


すきを作りたい。それと、あの男に聞いておきたいこともある」


「その矢で、あの男の人を殺すの?」


 拾った髪紐を差し出し、私は弓丸の瞳をまっすぐに見つめて問いかけた。確かに、あの男は悪いことをした……と、思う。でも、頭の中にさっき聞いた彼の言葉がよみがえる。


——俺にも、大丈夫かって言ってくれ。


 私は、あの男のことを忘れていた。いや、毎朝見てはいたのに、見ないふりをしていたのだ。


「私、昨日は倒すとか簡単に言っちゃったけどさ——あの人は、まだ人間だよ」


 弓丸は髪紐を受け取らない。小さくため息をついて、そして……何を思ったか、おかしそうにクスッと笑った。


「本当に変わったやつだな。おのれはおろか友人も襲われて、その安否もまだわからないのに、敵の命すら案じる——そもそも、矢は殺しの道具だ」

「……それ、どういう」


「死なないよ」


 弓丸は言う。私達を包んでいた轟音はすでにやみ、洞穴ほらあなは不気味なほどの静けさで満たされていた。この暗幕にはばまれてしまうため、いったんは攻撃をやめて次のチャンスをねらっているのだろう。


「この矢は、あの男の命を奪わない。約束しよう」


 縦長の瞳孔どうこうが、ズ、とひろがる。その瞳にちらつく金片きんぺんむように、彼の視線を受け止めた。


「……なら、一つ案があるの」


 私がその作戦を耳打ちすると、弓丸は目を伏せて自分のはかまを見た。もう、傷跡も血の跡も残っていない、その場所。


「確かに君の言う方法なら、知りたいことを聞いた上で確実に仕留められる。これ以上、君の友人が危険にさらされることもないだろう。でも」

「ちなみに、聞いておきたいことっていうのは?」

「誰がお前の主人あるじか。そう聞けば、おそらくあいつは答えてくれる。けど、前とはリスクも段違いだ、ちゃんと分かってるのか? 上手くいかなかった時の保証はない。最悪の場合——君は」


「この策は上手くいくよ。理由は分からないけど、なぜかそんな気がするの。あとは、弓丸が許してくれるかどうか」


 その言葉を聞いて、弓丸は私を見つめたまま大きく一度瞬きをし、かすかに息を呑んだ。暗幕の向こうからは、男がガシガシと石で殻を破る音が聞こえてくる。


「無理だと思うなら、断ってくれていい」

「分かった」


 弓丸が、私の差し出した髪紐に手を伸ばす。


「藍果。生きるつもりで——死にに行け」


 ひもが再び髪をい、私たちを守っていた暗幕は消える。私は、入ってきた通路に向かって一直線に駆け出した。

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