第13話 名前を聞かせて(クライマックス!)

 カリッ。

 男の歯が、からから引きずり出した白い実をかじる。せた骨から、すべり落ちるように緩む頬肉ほおにく……ぐるりと眼窩がんかを転がって、私の体をとらえた視線。


——来る。


 、腕ほどの太さをした蔦が一本、水平方向に直進——その後を追って、複数の細いつたが襲いかかってきた。

 一般的な人間の、光に対する反応速度は〇・二秒から〇・三秒だ。仮に私がそれくらいで動けるとして、法定速度ガン無視の車みたいに突っ込んでくるアレを、この狭い空間の中でけきるのは現実的に考えて不可能。


 


 ドッ、と重く熱い衝撃が腹の中心を打ち、内臓を太い鉄柱で串刺しにされたような——そんな感覚が、私の体を貫いた。


「がっ……!」


 しかし、いかに覚悟しようとダメージは計り知れない——すーっと頭から血の気が引いて視界が明滅し、映らなくなったテレビのようなノイズが耳をふさぐ。行き場を失った血が腸内へと流れ込み、体の隙間をみるみるうちに満たしていく。


 突き出された蔦のやりは、私の腹部を貫通していた。


「うっ、ああっ……!」


 ぐ、と傷口の上部に力が加わり、つま先が地面から浮き上がる。反射的に蔦をつかめば、赤く鋭いとげが手のひらの肌をいた。腕や足にも細い蔦がからみつき、起き上がった男の元へと引き寄せられる。息を吸って吐く、その一度ごとに呼吸が浅くなり、胸を叩く心臓の鼓動こどうがどんどん速くなっていく。


「ぐっ、ううっ……」


 まだ。まだだ。まだ、気を失ってはだめ。アドレナリンが効いているうちは、この痛みもどこか現実味がない。私の肉をえぐり、根こそぎ血を持っていった男は、私の体を目の前にぶら下げた。頭の先からローファーの靴までを眺め、目線はついぞ合わせぬままに言葉を発する。


「藍果ちゃんは、俺のことが……好き、なのか」

「……は」

「だから、俺と話してくれたのか。藍果ちゃんなら、俺のことを」

「……あなた、は」


 この男の発した言葉が、彼自身の憎んでやまない現実だ。どこで歪んでしまったのだろう。人と人とのつながり、関係性の築き方を、この男はどこかで見失ってしまった。気づかってくれる人がいれば、そういう人になれてさえいれば、踏みとどまれていたかもしれないのに。


 何かが彼を、そうさせてくれなかった。


「私の血を吸ったこの実を食べて、つかの夢を見て……私の名前を、知ってるけど。私は、あなたの名前を知らないの」


 男が、ハッとしたように目を見開く。


「だか、ら……あなたの名前を、聞かせて。おともだち、か、ら……始めましょう」


 男の、揺れていた焦点がはっきりと像を結ぶ。顔を上げて私の目を見た。


「俺の名前は、瑛一郎えいいちろう……日向ひなた、瑛一郎だ」


 人と仲良くなる方法。対等な関係を築くための、最初の挨拶あいさつ。けれど、そのタイミングはとうに過ぎ去り、血溜まりの上に浮いている。この男は、そのことすら理解していない……のかもしれなかった。


「なら、日向さん、と、呼び……ますね」


 もう、意識が持たない。とんでもない激痛の足音が、ひたひたと血をしたたらせながら近づいてくる。おそらく、出血量も限界だ。献血で抜ける量の血はとっくに超えている。残った力を振り絞って、私はその問いを投げかけた。


「日向さん。誰が、お前の主人あるじか」


 男の表情がこおりつく。壊れかけの機械人形から、歯車が外れた時のように——がくりと口を開けて。


「マガツヒメ」


 男がその名を告げた瞬間、私の腹からずるりと蔦が抜け落ちた。あらわになった血濡ちぬれの空洞を、ふっと風が通り抜ける。れ落ちていく全ての蔦。腕や足の拘束こうそくも消え、私は体の支えを失う。


 岩肌へと身を投げ出す最中さなか、視界に映ったのはひたいに矢が突き刺さった男の顔。そして、大樹たいじゅのように矢をつがえ、私にできた直径二十センチに風を通した弓丸は——その瞳を煌々こうこうとぎらつかせ、静かに弓を下ろした。

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