第10話 灯火の影裏

 矢が突き立てられた弓丸の脚。白い袴がじわじわと赤く染まっていく。


「な、にを……」

「これで、大丈夫……だから」


 弓丸はひたいに汗を浮かべながら、突き刺さったままの矢を真ん中で折った。するとその矢は、刺した場所へと取り込まれるように消えてしまう。間に合わなかった私の手を、ぬるい雨粒が伝っている。


「これは、己をつらぬくための〈覇矢はや〉だ。動けなくなったとき、僕はいつもこうする。それだけ」

「だ……だめだよ、そんなことしちゃ」

「どうして」

「どうしてって……」

「傷はすぐに治る。ほら」


 弓丸ははかますそつかみ、太腿ふとももの辺りまでたくし上げる。確かに、傷は綺麗さっぱり無くなっていた。


「あんまり使うと反動が大きいから、一日に一回までって決めてる。別に問題はないだろう。今の人間がよく飲んでる、えーっと……そう、エナジードリンクみたいなものだと思ってくれればいい。効果が消えれば、またこの首飾りのところに現れるし。こうやって手首につければ、ブレスレットにもなるから便利だし」

「そういうことじゃないの、私が言いたいのは、そうじゃなくて」


 文字が頭の中でもつれ合って、何を言えばいいか分からない。私が固まっているのを見てとると、弓丸はれたように私の手を引いた。



***


 洞穴ほらあなの中は、ひやりと冷たく湿っていた。外で降りしきる雨音、私達の足音が互いに交差して、このほの暗い空間に響いている。

 右側の壁に灯火ともしびはあるものの、足元まで照らしてくれるほどその明かりは強くない。懐中電灯は持っていないが、スマホなら通学リュックの中にある。


「ねぇ、ライト付けてもいい?」

「うーん……」


 弓丸は壁の灯火を見つめていて、生返事しか返してこない。もう一度尋ねようと口を開いたとき、コツン、とつま先に何かが当たった。


「……胡桃くるみ?」


 拾い上げてみれば、外側のからはぴったりと固くとじていて、その形は胡桃によく似ていた。振ってみると、殻の中から小気味のいい音がする。ただ、これを胡桃と呼ぶには、二つおかしな点があった。

 一つは、殻の色が白いこと。もう一つは、なぜこんな洞穴の中に落ちているのかということ。


 コツン。

 からん。


 さらに一歩踏み出せば、また靴の先で乾いた音が転がる。


「ねぇ弓丸、変なものが……」


 拾おうとしてしゃがんだそのとき、弓丸が太刀を抜きながら鋭く叫んだ。


「そのまま伏せてっ!」 


 ぱあん、と銃声にも似た破裂音が鳴り、何か大きなムチ状のものが頭上の空気を貫いた。揺れる灯火、太刀の軌跡きせきほのおの色に一瞬ひらめき、この空間をぎ払う。断ち切られた物体は、勢いのまま左の岩壁へと突っ込んだ。


「こっちに!」


 打ち砕かれた岩の欠片かけらがつぶてのごとく降り注ぐ。それをかろうじて避けながら、半ば転がり込むように弓丸の側へと身を寄せる。


「な、なんなの今の」

「構えて。次が来る」


 今度ははっきりと視認できた。棘の生えた蔦が幾重いくえにもからみ合い、一本の太いムチとなって振り下ろされる。弓丸に腕を掴まれ、その場から飛び出すように一撃をかわした。


「これ、かすりでもしたら」

「ああ。間違いなく皮は裂け、肉もごっそり持っていかれる。出血多量で死ぬんじゃないか」

「だよねぇ!」


 通路から飛び出した先には、楕円だえん状の開けた空間が広がっていた。学校のクラスルームより一回り狭いくらいで、私でも背を正して立てるほどの高さがある。灯火の数はここまでよりも断然に多く、白く丸い殻をした実がそこかしこに散らばっていて、まるで白骨転がる墓場だ。奥の壁には出入り口があり、その向こうに制服のスカートが見えた。


 弓丸は、太刀をたずさえ一歩前へと進み出る。


「すまないが、道をゆずってくれないか。通れない」


 出入り口の前には、死体のようにうつろな目をした年齢不詳の男が一人——その体を岩肌に投げ出して、うつ伏せに寝そべっていた。男の頭の近くには、手頃な石と割られた殻、取り出された実がいくつも転がっている。 


 穴の空いたTシャツ、ほつれた半ズボン。そこから伸びる両脚は、すでに人の肉の形をしていなかった。


「あ——あぁ。早我見さがみ……藍果ちゃんか」

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