第9話 誘う洞穴、あるいは悪癖(佳境へ突入)

「ただ、その前に」


 弓丸はおもむろに太刀たちを抜き、その先で足首の肌を突いた。


「なっ、え……」


 弓丸の柔らかくきめ細やかな肌に、玉のような血が浮かんで太刀の先へと移る。赤い薄衣うすぎぬを身に絡め、薄暗がりで背を向ける白刃。


「それ、外して。下に置いていいから」


 うろたえるわたしとは正反対に、弓丸は落ち着き払って太刀で社の外を指した。


「こ、このつたのやつ?」

「そう。早く」


 言われた通り、短刀から蔦の切れ端を取り外して石畳の上に置く。弓丸がその断面に血を垂らせば、蔦の切れ端は水を得た魚のように動き出す。


「うわっ、わっ、わ」


 さながらトカゲの尻尾しっぽだ。雨で湿った地面の上をかなりのスピードでい、石段の方へと向かっていく。


「追うよ。その先に本体がいる」



***



 昔あったらしいお堂の跡地。その岩陰にかくれていた洞穴の中へと、その蔦は消えていった。


「ここは……」


 入口の上部には太い木の根が張っている。地面が掘り下げられていて、洞穴の高さは百四十センチほど。私が入るにはかがむ必要がありそうだが、弓丸にその必要はなさそうだ。ご丁寧なことに、壁のくぼみには火皿と芯が置かれており、それには火がともされていた。揺れる炎の小さな明かりが、点々と奥へ続いている。


「ねぇ、弓丸……さん、ここに入る……」


 どさっ。かちゃん。

 子どもの体が、地に崩れ落ちたような音。それから、金属のれ合う音が。


「弓丸……っ!」


 弓丸は、腰が抜けたようにその場でへたり込み、きゅうっとすぼまった縦長の瞳孔どうこうを洞穴の奥へと向けていた。顔面蒼白そうはく茫然ぼうぜん自失——元々色白な顔からさらに血の気が引いていて、金色の欠片かけらが散る瞳、それを縁取ふちどる長いまつげがくっきりと際立つ。まるで人形のようでさえあったが、小刻みに震える肩、切れぎれの呼吸が、そんな戯言ざれごとを否定していた。どう見たって普通の状態ではない。


「ね、ねぇ弓丸、ゆっくり息……」

「か、ひゅ、わからない、な、なんで、こんっ……な」


 弓丸が激しくむ。せめて背をさすってあげようと手を伸ばしたが、にべもなく払われた。弓丸は目を見開いて下を向き、自分の体を手でかき抱くようにしながらかすれた声でぽつぽつとつぶやく。


「……拒むんだ。この、体は……どういうわけか、ここに入ることを拒否している」


 口元をぬぐって、弓丸は目の前の洞穴をにらみつけた。ぽっかりと開いたその空間からは、何の物音も聞こえてこない。ただ、等間隔に奥へと続く小さな炎が、おいでおいでと揺れている。


「……行こう。ここまで来たんだ、逃げられる前に打って出る」

「で、でも、体調悪いんじゃ……」

「大丈夫」


 弓丸は、首元から首飾りを取り出した。どうやら、衣の下につけて隠していたらしい。赤と青、二種類の透き通った玉が紐に通されていて、弓丸は青い方の玉を引き抜いた。


「あの、何を」

「いいから見てて」


 弓丸はそれを指に挟み、手品でもするように軽く手を振る。すると、その玉は一本の長い矢へと姿を変えた。矢羽は青く、先端には丹念たんねんみがかれた鋭いやじりが光っている。


「そ、それ……!」

「僕、神様だからね。こういう、ことも……できるわけ」


 ばた、ばたた、と再び雨足が強まってきて、岩や草木に身を打っては砕け散る。その矢を両手で逆手に持ち、弓丸はゆっくりと息を吐き出した。矢を握る手が、かすかに震えている。


 まさか!


 私がその手をつかむよりも一瞬早く、弓丸は矢の先端をはかまの上へと振り下ろした。

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