第3話 日常の喪失
クラスメイトたちが、我先にとカバンやリュックを持って教室から飛び出していく。
——これからしばらくは、日が落ちる前に帰れ。
あれから二日。私は、あの子の言いつけを守って日没前には帰っていた。今のところは、特に何も起きていない。返却された英単語テストも、いつもと変わり映えしない点数だ。
宙ぶらりんの気持ちを吐き出すように、机の上で突っ伏した。
「部室、そろそろ行かないと……」
体を起こそうとした瞬間、突然誰かに両肩を掴まれた。後ろからギューッと強く揉まれる。
「わっ」
「どしたの藍果! オープンキャンパスの行き先、決められないって前言ってたけど。どこにしたか聞いてもいい?」
「えっと、とりあえず一番近くの大学にしたよ。どっかは書かないといけないし」
「えー、なにそれ。どうせなら東大って書いときなよ」
「そんな簡単に言われても……この前の中間テスト、学年一位だったんでしょ? すごいよ」
「まぁね。勉強してるし」
背中に
瀬名とは中学生の頃からの仲だ。地頭が良く、記憶力もいい。その上、勉強する才能——忍耐力と自制心に恵まれている。親からもかなり期待されているはずだが、あまりしんどそうな顔をしないのもすごい。
ただ、その指先には赤いマニキュアが塗られている。ガーネットのように上品な輝きは、瀬名によく似合っている……が、実は校則違反だ。
「ねぇ見て、このアイシャドウ。トレンドカラーなんだってさ」
校則違反その二。ぱっちりとした二重の
私はにっこりと瀬名に笑いかけた。
「かわいい。似合ってる」
「え、嬉しいー! 藍果好き!」
抱きつかれる。その体にギュッと腕を回してから体を離した。
瀬名は中学生の頃から真面目で、こうして校則破りをするようになったのは最近のことだ。でも、このおしゃれが瀬名の心のバランスを保ってくれているんだと思っている。
「ねぇ瀬名、部室で見せたいものがあるの」
***
デスクトップ型パソコンが並ぶ情報室B。ここが、うちの新聞部に割り当てられた部室だ。広さは情報室Aの半分ほどだが、これで十分間に合っている。
瀬名をカウンターの裏に呼び、その中に潜り込んだ。他の部員が来るまで、あと五分はある。
「で、見せたいものって」
「それが……」
スカートのポケットから、あの短刀を取り出した。実際に測ってみたところ、長さは二十三センチ。ネットで調べてみたが、これは
問題は、これを持っていると銃刀法違反になってしまうこと。もしバレたら、高校二年にして逮捕。正直、絶対に避けたい事案だ。
「これ、通りすがりの人に、お礼としてもらった刀……なんだけど。警察に届けた方がいいのは分かってるの、でも」
「ちょっと待って。藍果の手の上、何も見えない」
「えっ?」
私の右手には、例の短刀が乗せられている。それなのに、瀬名はこれが見えないと言う。
「持ってみる?」
「うん」
瀬名の細く白い手に、ずっしりとした守り刀を乗せる。瀬名は、小さく息を呑んだ。
「……重さは感じる。何なのこれ」
整った眉をひそめ、珍しく険しい目つきで私を見た。私は視線を落とし、膝の上で拳を作る。説明したいのは山々だが、信じてもらえるかどうか。
迷いつつも口を開こうとしたそのとき、ガラガラガラ! と大きな音が遮った。
「お疲れ様です。あれ、藍果先輩に瀬名先輩……
カウンターから首を伸ばして入口の方を見る。そこには、新聞部唯一の後輩、
「そ~なんだよアヤちゃん。藍果さ、なんか知らない人から変なもの受け取っててさ、隠してたわけ。気にくわないよねぇ」
「え、や、違うから! これはほら、相談事があって」
「じゃ、お邪魔します」
アヤは、心底どうでもよさそうに切れ長の目を細めた。きっちりとドアを閉め、いつもの席に座ってパソコンの電源をつける。
他のメンバーは幽霊部員と化していたり、たまにしか来なかったりと適当だが、アヤは毎回来てくれる。入部してから一月もたたないうちに、ほとんどの仕事を覚えてしまった。しかも、画像編集やレイアウトがとにかく上手くて、色選びのセンスも良い。
「それで、編集した春季大会の写真をクラウドに上げておいたんですけど。ちょっと見てもらってもいいですか」
「あ、あぁごめんごめん、今チェックするね」
一度作業を始めてしまうと、あっという間に時間が過ぎる。次に時計を見たのは、完全下校時刻を知らせるチャイムが鳴った後のことだった。
もう、外はすっかり暗い。
***
「ねぇ瀬名、忘れてたんだけど……あの刀、返してもらってもいい?」
アヤは用事があると言ってダッシュで帰っていったが、私は瀬名と一緒に歩いていた。五月といえど、夜七時を過ぎれば辺りは暗い。横断歩道の信号が赤に変わり、私達は足を止める。
日は、完全に落ちていた。
「返せない」
「……え」
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