神に触れしは鎖の少女
戸浦みなも
第1章 ヤドリ蔦の羨望
第1話 つかんだ手首
カツン、カンカンッ。
通学用リュックを背負い、
「はぁっ、もぐ、うんっ……と」
階段を上りきって、歩きながら水筒のフタを開けた。欄干の向こうに公園が見える。もう散った桜の木には藤が絡んでいて、身を寄せ合った白い花がブドウの房のように垂れ下がっていた。冷えた麦茶を喉の奥に流し込む。ほんのり舌に残る甘さは、熱と一緒に消えてしまった。
高校二年、五月六日。先生は、今日までにオープンキャンパスの行き先を決めろと言う。けれど、私の手元にある申込用紙は白いまま。
抜ける風は軽やかで、どこまでも空っぽだった。そんな
「え……」
歩道橋の真ん中、
「ねぇ、ちょっと。危ないよ」
声をかけてはみたものの、その子は私を振り向かない。そっと歩み寄りながら、彼の変わった装いをもう一度よく見直した。
古風な服だ。首元の詰まった、
その子が、ひょい、と欄干の上で立ち上がった。淡い、薄花の青の袖が、風に
欄干に屋上の
その足元に、内履きシューズが重なって見えて。
「だ、だめ……」
あの子が次にすることを、多分私は知っている。
喉がひりつき、
私にとって、今この場所は七年前の屋上だった。
「死んじゃだめ!」
ダッ、と
けれど、そんなことは関係なかった。
「待って……っ」
下を通る車の音、店のシャッターを上げる音。いつもなら聞こえる日常の音が、今の私にとっては遠い。足がもつれ、つんのめって転びそうになる。それでも私は、彼の手首をつかんだ。
つかむことが、できてしまった。
「はっ、はあ、ハァッ……」
つぅ、と
「そん、な」
つかんだ手首に、人肌の温もりはなかった。
かろうじて生ぬるいような気はするが、それだけだ。普通の人間の体温ではない。
おそるおそる顔を上げると、その少年は欄干に立ったまま、静かに私を見下ろしていた。
「痛い」
「あ、ご、ごめんなさい」
手首を握る力を緩め、改めてその少年を見上げる。
頬の
「君も、何か僕に願いごと?」
「あ、いや、えっ、と……」
別に、お礼や見返りが欲しくて引き留めたわけじゃない。この子に死んで欲しくないと思って、それでこの子の手首をつかんだ。
その不思議な瞳を見つめ返す。まだ幼いが、見惚れるほどに整った顔だ。そんな中に、ひっそりと身を隠すような孤独がにじんでいる。
この子はこうして、願われ、叶え続けてきたのだろうか。そう思ったとき、私の答えは決まってしまった。
「私に、貴方の願いを教えて」
学校の方角から、始業のチャイムが聞こえてくる。完全に遅刻だ。今から走っても間に合わない。
「それが、君の願いごと?」
「うん」
少年は、私の言葉に瞬きを繰り返す。金の
「それは、叶えられない。せっかく声をかけてくれたのに、すまない……ただ」
少年は、欄干から降りて
「これからしばらくは、日が落ちる前に帰れ。日没後には外に出るな。それができない時は、これを必ず持っていろ。何かに出くわしたら……」
少年は私の手を振り解き、その筒を両手で掴む。ぐ、と力を入れて引くと、そこに現れたのはスラリとした刀身。薄く、鏡にもなりそうなほどの刃が、日の光を反射して鋭く光った。
「この短刀は
金属の部分が合わさって、
「この守り刀の音を鳴らせば、たいていの害意は立ちどころに払える。もし、それでも危険が去らなかったら、
「えっ、あのっ、大事なものなんじゃ」
「これ以上、僕に関わったらろくなことにならない。どうか、帰り道には気をつけて」
僕みたいになっちゃうかも、と彼は意味深なことを呟いた。私が足を踏み出す前に、その少年は跡形もなく姿を消す。
ハッと我に返って、通学用リュックを拾いに行った。欄干の向こう側、葉桜に絡みついた白い藤の房が、ざわざわと風に揺れていた。
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