神に触れしは鎖の少女〜子どもの姿をした神様が、歩道橋から飛び降りようとしていました〜

戸浦みなも

第1章 ヤドリ蔦の切望

第1話 つかんだ手首

 カツン、カンカンッ。


 通学用リュックを背負い、さびた歩道橋の階段を一段飛ばしに上がっていく。いつものように朝ギリギリで出発した私・早我見さがみ藍果あいかは、階段を上りきるとその場でしゃがみ込んだ。


「はぁっ、はぁ、はぁ……っ」


 私はくに市立高校に通う、二年生の女子生徒だ。そして今日は五月六日。ゴールデンウィークも終わって、先生たちは受験の話を始めようとうずうずしていることだろう。でも、私は。


 夢なんてない。将来なんて知らない。私に、未来を選ぶ資格なんてない。


 いつもフラッシュバックする。小学生の頃に、私のクラスメイトが一人死んだ。二時間目の屋上、日食で光が消えたその一瞬に、飛び降りてしまった女の子。私はその子を守れなかった。


 先生が、中学までは義務教育なんだよって言っていた。だから私は中学校にかよった。

 家族が言ってくれた。県内一位の高校に進学してくれたら嬉しいなって。だから私は勉強して、県内一位の高校に入学した。


 けれど、これから先は、私の自由なんだって。先生も家族も、あとは自分で選べって言ってくる。叶えたい夢。欲しい将来。そんなもの、今さら手に入れようなんて思えない。


 抜ける風は軽やかで、どこまでも空っぽだった。そんな隙間すきまはさまるように、その少年は現れた。


「え……」


 歩道橋の真ん中、手すりの上。水色の和服を着た、七歳くらいの男の子が、そこに腰掛けてふらふらと足を遊ばせている。


「ねぇ、ちょっと。危ないよ」


 声をかけてはみたものの、その子は私を振り向かない。そっと歩み寄りながら、彼の変わった装いをもう一度よく見直した。


 古風こふうな服だ。首元のまった、そでの長い和服を着ている。履いているのははかま。腰には刀まで差していて、ひもでくくられた髪が色白のうなじをくすぐっている。


「あ……」


 その子が、ひょい、と手すりの上で立ち上がった。淡い、紫陽花あじさいの青の袖が、風にあおられたのようにはためく。いていた草鞋わらじから、わずかにかかとが浮いた。


 歩道橋の手すりに屋上のふちが。

 その足元に、内履きシューズが重なって見えて。


「だ、だめ……」


 のどがひりつき、鼓動こどうが速くなる。嫌な汗が胸の間から腹へとつたう。私にとって、今この場所は七年前の屋上だった。


「死んじゃだめ!」


 ダッ、とけ出して精一杯に手を伸ばす。あと少し。衣の袖がひるがえって、翠玉すいぎょく色の内着うちぎがのぞく。こんな変わった格好で、刀まで差していて、明らかに普通の子どもじゃない。でも、そんなことは関係なかった。足がもつれ、つんのめって転びそうになる。それでも私は、その子の手首をつかんだ。


 つかむことが、できてしまった。


「はっ、はあ、ハァッ……」


 つぅ、とほおに流れた汗が、輪郭りんかくをたどって足元に落ちる。せいぜい二、三メートル走っただけなのに、なかなか動悸どうきが収まらない。そして私は、手の中にあったに気づく。あまりの衝撃で、周りの音が完全に消えた。


「な、え、ええぇぇっ……!?」


 冷たい。普通の人間の体温ではない。


 おそるおそる顔を上げると、その少年は手すりの上に立ったまま、静かに私を見下ろしていた。湖面こめんに張った氷のようにえざえとした視線。黄金をいだ欠片のようなきらめきが、瞳の中に散っている。キュ、と絞られた瞳孔はわずかに縦長で、それはきょをつかれた蛇を思わせた。


「痛い」

「あ、ご、ごめんなさい」


 手首を握る力を緩め、改めてその少年を見上げる。


 頬の輪郭りんかくはまだ柔らかい。顔の右側には少しくせのある前髪がかかっており、後ろ髪の毛先にもくるりとウェーブがかかっている。目のふちには赤みが差しており、長いまつげがちらちらと影を落としていた。その声は幼いながらに気だるげで、私よりずっとずっと長く生きているように感じる。


「何? 君も、僕に願いごとがあるのか」

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