第15話 真実
本当のあたしを解放することができたのは貴方だけだった。みんな、優し過ぎるの。きっと幸せな人生を送ってきたから。辛い目に遭ったこともなく、のうのうと生きてきたから。だから必ず、あたしの身の上話をすると、同情が先に出る。ゴミ屑の価値もない同情。滑稽なことに涙を流す人もいる。頼んでないのに。あたしが欲しいのは、ただの肯定、承認。この先に進んでいいかどうか。けれど、そういう人たちは皆口を揃えて否定する。警察に通報して対処して貰えばいい。大体の人が最初にそういうわ。分かってない。あたしのことを全然分かってないって、もう興醒め。あの人が法の裁きを受けたところで、あたしのこの憎悪は収まらない。この感情に決着を着けたい、そう思っているのに。あの人が捕まったら、どうすることもできない。あたしがあたしの意志で、あたしの力で道を切り開こうとしているのに、彼らはそれを許さない。他の方法がある、とか平気でそんな事を言うの。その上、哀れみだとか情けだとか、余計なものを押し付けてきて、さも自分を聖人と見せようとする。偽善者の分際で。人の気持ちも知らずに、人を殺すのは愚かなことですよって吹聴する。そんな腐り切った一般論が今更あたしに通じるわけがない。あたしが期待したのは、そういう幸せに満ちた人達、期待外れの人たちばかりだった。あたしは絶望した。誰もあたしを後押ししてくれない。あたしはただ殺せと一言言ってほしいだけ、それだけなのに、それすらも皆拒む。同情付きの承認なんて何の力にもなりはしない。欲しくない言葉に対してはあたしは心を開かなかった。そういう時は砂の城も都合よくコンクリの城になった。もうあたしは一生この殺意を秘めたまま、あの人を恨み続けたまま生きていくんだろうかって、そう悲観していた時。そんな時に君に出会ったの。
最初は君を軽蔑してた。どうせカネ欲しさで春を売ってるんだろうって、結構腹が立った。あたしはやりたくてやってるわけじゃない。それなのに、この人は自分からこの道を選んだんだって。自分で自分の道を選ぶことのできる君を内心羨ましいとも思った。けれど、君の事情はそんなに単純じゃないってことに薄々気づき始めた。あの虚ろな目はおカネ以上の何かを求めている目だって分かった。ちっさい頃から荒んだ世界に生きてるとね、大体察しがついちゃうの。あたしの直感がそう告げていた。君なら、あたしを救ってくれるかもしれない。そう思って近づいたの。案の定君は失恋で病んでた。正直ね、失恋ごときで、なんて思っちゃったの。今だから言える話。あたしが愛というものを知らずに生きてきたからかもしれないけれど、馬鹿みたいって内心鼻で笑ってた。だけどね、君の話を聞いて、やっぱり君なら分かってくれるんじゃないかって思った。あたしにしてみればたかだかそれだけのことで、こんなにも自暴自棄になれる人間がいるんだって、驚いたわ。君はきっと何処までも堕ちて堕ちて、際限なく堕ちていくタイプでしょ。そんなただでさえ自分のことでギリギリな君に同情なんてする余裕がない。君ならあたしを受け止めてくれる、あたしの砂の城を一撃で砕き壊してくれるって、そう考えた。
あたしはね、最低だよ。君を利用した。利用するために、君に近づいた。でもね、君に売春をやめてほしいと思ったのは本当。ただ君に認めてもらいたかっただけなのに、いつの間にか君に情が沸いちゃった。君のことも受け止めてあげたいなんて、恩着せがましくも思ってしまった。あたしみたいに取り返しのつかないほど歪んでしまう前に、真っ当な道に戻ってほしい、本心でそう思ってた。馬鹿みたいだよね。馬鹿だ、あたし。
一緒に夜景を見た、君と過ごした最後の日。久しぶりにあの人が帰ってきた、一人で。チャンスだと思った。余計な誰かを巻き込みたくはなかった。あたしの憎むべき相手は、あの人ただ一人だから。あの人が電話をかけてきて、あたしはすぐに家に帰った。準備をするために。その後、君に、最後のひと押しをしてもらおうとして呼び出したの。そして予想通り君はあたしを解き放ってくれた。君はただ黙って聞いてくれた。同情の言葉を挟むわけでもなく、真剣に聞いてくれた。もうそれだけで嬉しかった。明けない夜はないってのは綺麗事だ。君が言った言葉、今でも覚えてる。そして君は肯定してくれた。夜明けを迎えるために、たとえどんな行為に及んだとしてもいいか。君は頷いた。あたしの砂の城は、その瞬間見るも無惨に崩れ去ったの!あたしの殺意は、その時、解放された!
あの人を殺したのはあたしです。あの人が寝た後、あたしはガス栓を開いてパイプを捩じ切った。経年劣化が激しくって、管は呆気なく切れた。ガスの匂いに気づかれたらいけないから、とびっきりきつい香水を部屋中に噴霧しておいた。あの人はヘビースモーカーだから何でもついでにタバコを吸う。だから寝起きにタバコを吸おうとライターに手をかけた時、あの人は死ぬ。私はそれを実行した。そして、あの人は死んだ。これが、あの夜の真実です。
あたしは兎に角遠くに逃げた。あの人が貢物のために蓄えていたものを軒並みかっさらって、逃げた。終電でうんと遠くまで行った。行き着いた先はまた別の歓楽街。その街に解けた。街で生きるすべは小さい頃から染み付いていたから、思いの外簡単に馴染めた。誰かのためなんかじゃない。強制されたわけでもない、あたしは自分でその道を選んだ。あたし自身のために。生き抜くために。
それから先のことは、もういいでしょう。あたしは生きた。生き抜いた。君のお陰で、あたしはこうして生きている。ありがとう。ただそれだけを言いたかった。シュンくん、ありがとう。あたしは、君に生かされてる。
やっぱり最後くらいは丁寧に書くね。
どうしてあたしが君に総てを話したのかというと、それは君に総てを委ねるためです。これはあたしの告白、懺悔です。この手紙が公開されたなら、事故として処理されたあの日の出来事は殺人に様変わりするでしょう。この真実を君に委ねます。君が手紙をどうするにも、君の自由です。どうしてこんな手紙を僕に寄越したのか、今にも君が聞いてくるんじゃないかって、これを書きながら妄想しています。天邪鬼なあたしからの最後の意地悪、とでも思っておいてください。君がこの手紙をどうしようが、あたしは構いません。自暴自棄になってるわけじゃない。あたしの人生の舵を、君に委ねてみたい。託してみたいと、思ったからです。思うに、まだあたしは、あたし達は、夜闇を駆けているのかもしれない。まだこれは真夜中の延長なのかもしれない。あたしにとって夜明けとは何か、まだ分からない。それでもいい、どんな方向でもいいから我武者羅に走っていたい。その先に本当の夜明けがある、そんな気がするのです。
あたしたちが出会った春から、五年が経ちました。季節は何度も巡り、そしてまた春が回って来ました。この季節になる度、あの頃が、君のことが、愛おしくなるのです。決して良い思い出だったなんて単純に懐かしむことはできないけれど、あの頃のことは何一つ後悔していない。その先に、今のあたしがいるのだから。道は違えど、君も。あたし達の人生が重なるのも、これで最後です。もう君と会うことはないでしょう。この手紙を投函した後、あたしは此処を去ります。あたしのいるべき場所に帰ります。そこは君の来るべきところじゃない。来てほしくない。だから足跡を残してしまわぬよう、自分の手でこの手紙を投函する予定です。君とあたしの道はもう交わらない。あたし達が見ている世界はきっと違ってる筈だから。君は、真っ直ぐ、美しい世界を見ている筈だから。それでいいと思っています。死に別れるわけじゃない。それぞれの人生に戻るだけ。それぞれの春に還るだけ。それでも、時折思い出してほしくもあります。あたし達が世界を重ね合った、あの頃を。我儘でしょうか。君の記憶の隅に少しでも留まっていられるなら、それで充分です。あたしは、春風に運ばれたコーヒーの香りで、君のことを思い出すでしょう。ほろ苦いじゃ済まされないくらいに苦くって、それでいて綺麗だったあの頃を。それではこの辺で筆を置くことにします。最後まで付き合ってくれて、どうもありがとう。シュンくん、さようなら。どうか、お身体に気をつけて。
敬具
追伸
最近揚げたカレーパンにハマってます。
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