第7話 代償

 それからは学校でも彼女が近づいてくるようになった。さすがに学校では、と言うと、

「放課後限定の友達?とかありえないんですけどー」

と批判され、渋々他愛ない馴れ合いに付き合うこととなった。彼女と関わると、自然と他の子とも話す機会ができてしまって、僕はいつの間にかその輪の中に組み込まれてしまっていた。あっち系のことは誰にも言ってないから安心して、と彼女は小声で囁いてきたが、そういう問題じゃない。何だか自分が変に目立っている気がする。そう言うと、

「自意識過剰なんじゃない?」

と辛辣な一言。ユイじゃない。これはアヤだ。彼女は多分ユイと一番仲が良い。眉毛が吊り上がっていて、かなり凛々しい顔立ちをしている。ユイとは対称的な外見だが、歯に衣着せぬ発言は似通っていて、それ故この二人がやけに仲良く見えた。この前聞くと、彼女たちは中学校も同じだったらしく、まぁ通りで、と思った。


 名前と顔を薄っすらと認知していた程度の人たちの解像度が、ここ最近ぐっと上がってきている。それがいいことなのか、悪いことなのかは分からないけど、退屈しないからよかった。興味もない本を惰性で読むよりかはマシだった。そんなことを言ってみたら

「素直に楽しいって言えばいいのに。ほんと捻くれてるんだね」

とアヤに笑われた。これを楽しいと言っていいんだ、ということに気づいて、感動を覚えた。彼女にありがとう、と言うと、

「は、何急に、きもいんですけど」

と冷たい声で返され、理不尽も一緒に学んだ。


 *

 家に帰って、ふぅっと溜息を吐く。こうも騒がしいと独りの時間が恋しくなってしまう。別に独りですることなんて何もないんだけれど。例のごとくテレビを点けた。            

 午後七時のニュース。キャスターが淡々と話している。今日もまた何処かで人が死んでいた。この近くでも死亡事故があったようだった。事故自体は昨日あったもので、その被害者の男性が病院に搬送されたが、つい先程死亡したということだった。飲酒運転の車が突っ込んできたらしい。被害者の身元が写真とともに報じられた時、僕は息を呑んだ。あの人だった。ミヤマ……先日、僕が相手をした男。男遊びはこれっきりにする、そう言って去った彼が、死んだ。モザイクで隠された家族写真の中、一つだけはっきりと映った穏やかに微笑んでいる彼。その微笑みの奥にある秘密。墓場まで持っていく話が早くも封印されてしまった。神様がいるのだとしたら、そいつはとんだサイコパスだ。彼にはこれからしなければならないことがあったのに、守るべき妻も子どももいるのに。こんなにもあっけない形で命を奪ってしまうなんて。それもとびっきり救いようのない結末。これが代償なのだろうか。彼は、変わろうとしていた人だったのに。それなのに、更生さえも踏み躙る。彼の夜は、もう二度と、明けないものになってしまったのだ。ああ、クソ野郎、殺すなら僕を殺せよ、ちくしょう。

 ただただ悔しくて、悲しくて、客に感情移入しないということは決めていたのに、それでも溢れる涙を止めることはできなかった。共犯者という以上に、普通からはみ出した者同士、ある種の仲間意識みたいものが芽生えていたのかもしれない。それでも馬鹿な感情であることには変わりなかった。何泣いてんだよ、馬鹿。ほんとに、馬鹿だ。馬鹿野郎だ。僕も、彼も。


 *

 それから数日、何にも手をつけられなかった。仕事をする気も起きない。僕が思っている以上に、彼の死は僕にダメージを与えていた。

 ろくに眠れないまま学校に行く。授業中も、内容がさっぱり頭に入ってこない。アヤにこづかれて、やっと我に返るぐらい。自分でも呆れるほど、上の空になっているのだ。彼のことばかり、考えてしまう。彼が最後、僕に言った言葉を思い出す。


僕に機会を与えてくれて、ありがとう――。


全部吐き出して、憑き物が落ちたような顔。


頭の中で彼の声が何度も、何度も、木霊した。



 放課後、アヤたちと別れて僕らは駅に向かった。

「今日、元気ないね」

彼女は僕の異変に目ざとく気づいたみたいだった。歩くペースを早めて、彼女より前を歩いた。彼女に顔を見られたくなかった。昨日から寝れてないし、何度か泣いたし、今も泣きそうだ。多分本当に酷い顔をしていると思う。

「別に、いつもと変わらないよ」

精一杯の嘘をついてみたけれど、嘘だ、と彼女はすぐに否定した。そうして僕のペースに無理やりついてこようとする。

「ねぇ待って」

「待たないよ」

「何かあるなら、あたしに話してよ」

あたしに話して――。ああ、そうだ。最初に会ったときも、そうだった。彼女は僕の口から言わせようとした。あの日問い詰められたことを思い出して無性に腹が立ってきて、僕は歩くのをやめて振り返った。突然のことだったからか彼女も驚いた顔をしている。

「君は、なんでいっつもそうなの。どうして、何から何まで人に語らせようとするんだ?」

いつもいつも、そうやって僕に白状させようとする。疚しいことも包み隠さず話すよう、彼女は問い詰める。

「僕が見るからにしんどそうだって思うなら、もう放っておいてよ。君に何か打ち明けたところで、何にも変わらないんだ。状況は何一つよくならないんだから」

言ってしまって、しまったと思った。色んな感情でぐちゃぐちゃで当たるべきじゃない相手にまで、間違った感情をぶつけてしまった。冷たい風が僕の肌を切り裂くように掠める。でも、彼女は僕がそんなことを言っても、穏やかな顔をしていた。そうだよね、と彼女は口を開いた。

「確かに、関係ない人に打ち明けたって、何も変わらない。何もよくならないよ。でもね――」

頬に優しげな微笑を湛えて続けた。


「誰かに話したらね、楽になることってあるんだよ」


風が前髪を攫ってゆく。彼女の黒髪も靡いた。それがどうしようもなく美しく見えた。


「人に話すとね、自分の胸のうちにある混沌とした感情を整理できるの。そしたら、自分がどうすればいいのか見えてくることもある。直接的な解決にはならないけどね、ちゃんと意味があることだって、あたしは思うよ。だからね」


あたしを頼っていいんだよ、シュンくん。


彼女の優しい言葉に、僕はもう、救われた気がした。


 *

 駅のベンチで、僕は彼女に打ち明けた。彼女には総てを語らなかった。必要なことだけでいいから、そう彼女は言ってくれた。死んだ人の性指向に触れなくてはいけない。それから、彼の犯罪行為についても。いくら信用のおける相手だからといって、不必要なアウティングは避けたかった。彼につながるようなことは一切除いて話した。これは僕の、墓場まで持っていかねばならない秘密だと思ったから。

 春を売った人が死んだ。僕はこの前会ったばかりだった。そのとき、彼は過去のことを僕に懺悔した。それだけ。

「ありがとうって、あの人はそう言ったんだ。僕なんかに」

彼女に話してみて気づいた。僕は何を求めていたのだろう。ただあまりにもセンセーショナルな話だったから興奮してしまっただけなのだろうか。いや、そうじゃない。僕は知りたかったんだ。僕は、僕は――彼を救えたんだろうか、ということを――。せめて彼が、晴れやかな気持ちになれたのなら――。そんなことは、彼の去り際から明らかなことだった。でも、僕は僕のことを信じることができなかった。だから、誰か同調してくれる人が欲しかったのだ。貴方は役に立ったのだと、ただそう言ってくれる人が、必要だった。


「彼はきっと、君に救われたんだと思うよ。今の君とおんなじだよ。話すことで、気持ちに整理をつけることができた。きっとそうだよ。君は充分その人のためになってる」

彼女の言葉を聞いて、安心する。ほっと胸を撫で下ろす。同時に、また、目頭がブワッと熱くなった。

「でも、僕らは共犯者なんだ。あの人にそんな綺麗なこと、できるわけがないんだ」

「君たちがいけないことをしたのは事実だよ。それは決して綺麗なことじゃないし、綺麗な思い出に仕立てるのも間違ってると思う。いけないことを擁護するつもりはさらさらないわ。でもね、彼がずっと、誰にも言えない悩みをたった独りで抱えていたのも事実。それをあなたが解き放ってあげたのも事実。今、君が向き合うべきは、そっちの方じゃないかな」

彼女は僕を諭すように、落ち着いた声でそう語る。

「そう、なのかな」

うん、きっと、と彼女は言う。彼は、救われたんだろうか。希望を持って前に踏み出せたのだろうか。本当のところなんて分からない。分かりはしないけど、彼女の言葉で、心が軽くなった。もう、そういうことにしてしまってもいいんじゃないかと、少しだけ、そう思えた。



 彼女はそれから暫く席を立った。僕をそっとしておいてくれたみたいだった。おかげで少しだけだが、気分が落ち着いてきた。彼女の言う通りだ。さっききつく当たったことを申し訳なく思った。

 戻ってきた彼女から、はい、と手渡されたのはコーンポタージュ。缶からじわりと温もりが広がる。すぐそこの自販機で買ってきたようだ。最後の粒まで飲みきれないタイプのものだった。彼女も同じものを持っている。

「ちょっと肌寒かったから」

蓋を開ける時に彼女が言う。


ここ最近夕方になるとめっきり冷え込む。コートは必須だった。


「ちょうどあったかいものが欲しかったんだ」

「選んだあたしに感謝だね」


またそういうことを、と言って僕らは笑い合う。くだらない。くだらないからこそ良かった。楽しかった。こういう何気ない時間を欲していたのだと今気づいた。他人からは無駄だと思われる、僕らからしても特段大きな意味はない、けれど大切な時間。何もかもに明確な理由なんてきっとない。漠然としたものだけれど、そういう心の安寧こそが幸福なんじゃないか、そんな気がした。あわよくばこんな時間がいつまでも永遠に続いてほしい、そう思った。そんな永遠などないのだと昨日思い知らされたばかりなのに、僕はそれでも願った。缶の蓋を開け、ポタージュを流し込む。とろりとした濃厚な味わい。心が解けていくような、そんな感覚になるのはこのコーンポタージュを飲んだからだろうか。それとも君が隣で笑ってくれるからだろうか。彼女のことが眩しく見えて、腫れぼったい目を拭った。


【続】



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る