第一部 幼少期~少年時代
第一話 プロローグ 川崎武雄(事故当時45)の場合
「はぁ、今日は寒いなぁ」
つい独り言が出てしまった。空はどんよりとした曇り空で心なしか湿っぽい。そう言えば今朝のニュースで午後からの降水確率は六〇%だったな……。俺はコートの襟を立てながら取引先の玄関を出て最寄りの駅に足を向けた。新宿駅で一四時四五分に部下と待ち合わせだ。
今は一三時三五分、最寄り駅から新宿駅までは電車で約四〇分かかる。
小腹が空いていたので新宿駅で立ち食い蕎麦でも啜る時間はあるだろう。
駅に着き、新宿行きの快速電車に乗り込む。平日の昼下がり、且つ先頭車両のため車内はガラガラに空いており問題なく座れる。乗客は二〇人ちょっとだろうか。
丸々空いていた先頭車両最後尾のベンチシートの端に腰掛け、次の取引先の担当者を思い浮かべる。
昨年、部下に引き継ぐまでは俺が担当していた顧客で、俺は結構気に入られていたと思う。
だからわざわざ部下に引き継いだんだが。それが今年度から微妙に数字を落としている。心配だ。
なんとか今日の打ち合わせで数字が落ちてきている原因でも掴みたい。
原因が解らなければ対策の打ちようもないしな。
顧客の需要が急に減ったとは思いにくいので、他社にシェアを食われているのは確実だ。
問題はその理由。
まぁ今は何を考えても回答を得ることは出来ないのでここでこれ以上心配してもしょうがない。
疲れているのかなんだか少し眠い。眠い頭で週刊誌の中吊り広告をぼんやりと眺める。
・・・・・・・・・
高校を卒業した俺は学費がかからず、給料も貰えると言うだけの理由で防衛大学校へ進学した。高校までと違って大学校での成績は特に優秀という訳でもなく、中の上程度の成績で卒業し、すぐに幹部候補生学校へと入校した。
防衛大学校卒業者であったため、当時は入校半年で部隊に配属された。
田舎の駐屯地で普通科連隊に配属され任務に就いた翌年の暮れに事件は起こった。
年末年始の休暇の際、実家へ帰省する前に都内在住の高校時代の友人宅へ転がり込んだのが発端である。
友人と居酒屋で酒を飲んだ後、気が大きくなったのかチンピラに絡まれている女性を救おうとした友人がチンピラの持っていたナイフに刺されたのだ。
必死で脳内にこれは正当防衛行為だ、と言い聞かせ自衛隊仕込みの徒手格闘術で応戦を開始する俺。
任官して一年以上が経ち、碌に格闘訓練をやらなくなっても防衛大学校と幹部候補生学校の四年半に及ぶ訓練で鍛えられた格闘戦技術と、任官してからも行っていた体力練成の成せる業か、体はごく自然に動いた。
結論として友人は刺されたものの重要な臓器は無事で命に別状はなく、逆に刺した相手を含め、ほぼ全員を病院送りの状態にまでしばきあげたところで駆けつけた警官に取り押さえられた。
夜の繁華街で目撃者も多く、当然怪我を負った友人を置いて逃げる訳にもいかず、怪我人の山で一人無傷の俺には警官に同行して最寄りの警察署まで行くしかなかった。
――現役自衛隊幹部が民間人に暴行
当時の自衛隊員は日陰者もいいところの扱いであり、また俺が3尉の階級を有する陸上自衛隊幹部であったこともいい餌になったのだろう、マスコミはこぞって報道した。
裁判で正当防衛を主張し、件の女性が証言してくれたこともあって、無罪を勝ち取ることが出来たが隊に迷惑をかけた俺は辞職するしかなかった。
上官は半分泣きながら、すまん、本当にすまん、と頭を下げてきたが当時の状況では辞職を免れることは無理だった。
残念だなぁとは思ったものの、どんな事情でもやってしまったことはやってしまったこと。俺は自主的な辞職という形で自衛隊を離れた。
別に罪を犯したわけではないし、まだ若く一九九〇年代前半という当時の社会情勢では次の就職に困ることもなかった。特にがつがつと就職活動をしなくてもあっさり零細と中堅の中間程度の食品を主に扱う商社に再就職する事が出来た。恐らく自衛隊援護協会の働きもあったのだろう。
あ、救った(?)女性との間には別段何も芽生えることはなかった。
車内の中吊り広告の「三・一一の裏側であった自衛隊の活躍」という雑誌広告の記事目録をぼーっと目していたら昔の記憶がちょっと蘇ってしまった。
もう既に後悔や未練などは消えているが、あの震災の時、あのまま隊に残っていたなら俺も……と言う気持ちがあったのは嘘ではない。
そんなことをつらつらと考えながら眠りに入った。どうせ終点の新宿までまだ時間があるしな。
・・・・・・・・・
「俺と結婚してくれ!」
目の前に若い女がいる。女房だ。でもこれは一体何だ?
ああ、夢か。
結婚して一九年経っている筈で、女房も今はこんなに若くないし、小じわだってある。
しかし、目の前の女房はどう見ても二〇代で……って二七の筈だ。俺が女房にプロポーズした場面だしな。
この時俺は二五歳。二つ上の女房にプロポーズしたのが一九年前か。懐かしいな。夢と解っていても若い女房はいいな。惚れ直しそうだ。
二七でも若く感じるのは俺が既に四〇を超えて久しいからだろう。
「はい」
やっぱりあの時の光景だな。返事まで一緒。しっかり俺の目を見てちょっと微笑みながら返事をする。うんうん、いいもんだ。
揺れる。
・・・・・・・・・
「え?」
「誠に残念ですが、奥様の進行状況ですと子宮を摘出する必要があります」
殴られたように目の前が暗くなる。主治医の伊東先生が下唇を噛みながら俺に宣告する。
子宮癌と診断され、手術後に女房は子宮を失った。
彼女は泣きながら「ごめんね。ごめん」と繰り返す。結婚二年目のことだ。
がたん、ごとん、揺れる。
・・・・・・・・・
俺の一番重要な顧客にちょっかいを掛けている会社があるらしい。中国産の安価な食品を主力に価格攻勢を掛けられているようだ。
①価格的には対抗手段が無い
②俺の担いでいる商品は味と安全性で優れている
こちらの優位点を再度主張した上で可能な限り価格を引くしかあるまい。後は……当社の優位性は近郊に倉庫を確保しているから納期的には小回りが利くと言う辺りか。
自衛隊時代に叩き込まれた物事を単純化して考えるやり方は既に俺の思考方法の根幹を成していると言っても良い。
問題点などのリストを脳内で作り(勿論書き出してもいい)、一つ一つその対策を行うのだ。すぐに出来ない事は後に回し、可能な事に対してプライオリティを付け、順番通り丁寧に実行する。
③パッケージの見直し(単純な包装の記載内容だけでなく、小分けなども考慮に入れる)
➃宣伝広告費用の援助(販売キャンペーンやマネキンなどの支援)
最終的には人と人になる事が多いが、それまでに流した汗の量は評価して貰える事が多いのは確かだ。
がった、ごっと、揺れる。
・・・・・・・・・
「きれい、ありがとう」
指輪をはめた手を居間の電灯にかざし、喜ぶ女房。
スイートテンダイヤモンド。
結婚一〇周年の記念日に女房に贈った。
ちまちまと小遣いを貯め、同僚や上司から得意の麻雀でカモって増やしたへそくりをはたいて買った指輪。
(やっぱりこいつ、可愛いな。結婚してよかった)
深い満足感を得て目を瞑る。この時、俺は三六歳。女房は三八歳。流石に可愛いは言い過ぎか。でも世界一可愛いと思った。
がたん、ごとっ、揺れる。
・・・・・・・・・
「はじめまして、○ィ名と申します……。よろしくオネガイシマス」
こいつ、語尾が小さいな。なんとなくうつむき加減で、顔もよく見えない。ああよく聞こえなかったけど、これ、椎名の面接じゃないか。椎名はこれから待ち合わせをしている部下だ。
まだ夢が続いているんだな。これ、何年前だっけ? 七〜八年前かな?
がたっ、ごとん、揺れる。
・・・・・・・・・
俺様@聖誕祭: 俺、今日誕生日(・∀・)アヒャ
junya: おお!
junya: たんじょうび
junya: お
junya: め
junya: で
junya: と
junya: う
junya: !
俺様@聖誕祭: べっ別に、何かお祝いして欲しいとかじゃないんだからねっ///
junya: .o゜*。o
,/⌒ヽ*゜*
∧_∧ /ヽ )。*o
(・ω・)丿゛ ̄ ̄' ゜
ノ/ /
ノ ̄ゝ おめ..
俺様@聖誕祭: そんなAA探してこなくていいよ、ズレてるしpgr
junya: ・・・
junya: がんばったのに・・・
junya: 44歳!
junya: おめでとう!
俺様@聖誕祭: さんくー
junya: 偉い(ノ´∀`*)
俺様@聖誕祭: あと、44じゃない、45ちゃいになりました
俺様@聖誕祭: まじおっさんもいいとこ
junya: 完ぺきな中年ですね!
俺様@聖誕祭: おう、熟年とも言うがな
junya: (*´∀`)ケラケラ
俺様@聖誕祭: おまいも人のこと言えないですよね?
junya: 30歳児ですが、なにか?
これは……、去年の俺の誕生日の夜のチャットだろうな。
椎名とは妙に馬があい、親しくなった。
新卒で配属されてきたあとの2年間は仕事に慣れるためにいろいろ小間使いをさせ、その後正式な営業として鍛えたんだ。
釣りは俺が教えたが2ちゃんねるやお勧めだというゲームとか教えてもらったし、たまに2人で飲みに行くこともあった。
がたっ、ごとっ、揺れる。
がたん、ごとっ、揺れる。
がたん、ごとん、揺れる。
揺れる。
・・・・・・・・・
車内を劈く自動車とは別種の硬質で派手なスキール音。
すぐに何かと衝突したような物凄いショックと音が響く。
うおっ、体がズレ……飛ぶ!! 車両の乗客も飛んでる!!
衝突でもしたのか!?
まずい、このままじゃ……!
車両の構造材がひしゃげ、同時に金属などが裂けるような音が響き渡る。車両の端に叩きつけられる!!
ポールでも掴めれば!!
やっとポールを掴んだと思ったら俺に突っ込んで来る人影がある。既に把握しているが多分脱線事故かなにかだ。
ああ、ポールを掴んでいたが、そこに突っ込んできた人によって引き剥がされる。
ちらっと見えたが子供もその後に突っ込んで来るみたいだ。
まだ一四時頃の筈なのになんで子供がいるんだ?
まだ幼稚園に通うような年代のようだ。
反射的に俺に突っ込んできた人ごと、子供を抱える。
大きな衝撃が右肩にかかった。
どこかにぶつけたんだろう。そろそろか?
そろそろ車両の端に叩きつけられる頃か?
「ぐえっ!!」
変な声が出た。
既に車両の端に叩きつけられた人に重なるようにして俺も叩きつけられたようだ。
痛い。まじで。
俺は……死ぬのか……?
体が動かない。俺が抱えている人(大人の男)は首が変な方向を向いている。一緒に抱えている子供の泣き声が聞こえる。
目の焦点が合わない。
「美紀……」
最愛の家族の名を何とか発声できた。
最期に女房の名前を呼べたのでちょっと満足した。
二〇一五年の二月半ば、俺は電車の事故で死んだ。
未練は無いと言えば嘘になるが、子供はいないし、両親は年を取ったとは言え、まだまだ健在だ。
女房は仕事をしているし、自活能力もある。
当然俺には生命保険金も掛かっているし、色々あったがいい人生だったと総括する事もまぁ出来るだろう。
短い人生なのは確かだが。平均寿命の半分以上は生きることも出来たしな。
うん、今期の数字の件や週末に女房と飲もうと残してあった高級酒などつまらない未練はあるがしょうがない、これもまた人生だろう。
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