疑似マンジャロ

春夏秋冬 万花

疑似マンジャロ


 ふと、見上げた天井に既視感を覚えた。

 一本の木から切り出して来たような無骨な梁に、洒落た雰囲気を演出するアンティーク調の照明。そんな両者の間を取り持つようにツタが絡んでおり、そのどれにも見覚えがある気がした。あれはきっとフェイクグリーンだという確信があったし、ろくに外食もしないような輩がこうでしょという固定観念でチョイスしたような、いかにもなものばかりで――。

「どうかした?」

 天井をまじまじと見つめる男を不思議に思い、前に座る彼女が声をかける。

「あぁいや、何だか見覚えがある気がしたんだ。ここに来たことがあるような感じもして……」

 男がそう言うと「初めて来たカフェ、そうでしょ?」と呆れたように言って彼女は窓の外を見やる。どこかそんな冷たい態度に気圧されて「そうだね、あぁそうだ……」と口をついて同調の言葉が漏れた。

「あんまり君は外に出たがらないから、こうやってゆっくり外でお茶ができる何て今日は良い日だよ」

「そう」

 興味がなさそうに短い返事がされる。

「今日は外に出る気分が乗ってくれて良かった」

「そんなこともあるわ」

 また素っ気ない返事がされた。

 それでもそんな彼女のことを愛していた。いつもこんな風に少しばかり愛想がないし、熱のない声色で淡々と会話をするものだから、人からは敬遠されがちだけど、君のそんな全てが愛おしい――、

「でも本当に君と過ごせるのが幸せだよ」

「そう」

 と思っていたのだが、口から零れるのは自分でも驚くほどの、心にもない言葉ばかりだった。

 いや、もちろん彼女を愛する気持ちはあるのだ。実際にこうして一緒に過ごせるのも嬉しく思うし、言葉に偽りはないはずだった。けれど、何故か誰かに体を乗っ取られたように、心にもない感情が湧き上がり、安っぽいセリフがすらすらと口から流れ落ちている、そんな感覚に苛まれているのだ。

あぁ非常におかしい。何だか彼女は、想いを向けるような相手にも思えない気がしてきた。愛おしいはずなのに。愛おしいはずで、そうでなくてはいけないのに。

「僕はいつまでも君の傍にいる。これからもそうだと約束するよ」

「そう。ありがとう」

 それを見透かしたように、彼女は表情一つ変えずに軽やかにいなす。そんな無為な会話のラリーが続いた。

 正直、逃げ出したいような心地がした。彼女へ上手く気持ちや言葉が通じているように感じないからではない。いや、きっと少しそれもあるだろうが言い知れぬ、本能が告げるような正体が分からない危機感がずっと蝕んでいるのだ。

 でも、周囲を見渡したところとて他の人間に変わった様子はない。むしろ自分と同じようにこの暇(いとま)を楽しんでいる。相反する感覚が心を駆り立て、もっと彼女へ愛を囁かなければいけないのに言葉が――。

「あれ――?」

一度落ち着こうとコーヒーを口に含んだところで違和感を覚える。

「どうかしたの?」

「……おかしいんだ、コーヒーの味がしないんだ……」

 自分でも分かるくらいに声が震えて動揺した。あんなに、あんなに好きで飲むなら絶対これだと決めていた、あの味がしないのだ。

「やはりダメね」

そう小さく呟くと彼女は立ち上がって席を立つ。

「ま、待ってくれ……! 一体どういう――ッ!」

 後を追おうと立ち上がると、カウンターに座っていた二人の男が行く手を阻むように目の前に立つ。そんな彼らを押しのけようとしたのも束の間、片方の男が椅子を振り上げているのが目に映る。反射的に両腕を頭の上へ持ち上げ、慌てて防御姿勢を取るも、間もなく体へ大きな衝撃が走って、成す術なく男は床へと転がる。

「っ……何なんだ……!」

 そんな男の問いに彼らはもう一度、椅子を振り上げて答えて見せる。慌てて倒れた体を起こそうとするも、何故か、上手く起き上がれなかった。力が入らないというよりは、そこにあるべきものが作用していない、そもそもないような感覚である。

「っ――!」

 不思議に思って見てみると、綺麗に両腕が消えていた。いや、腕の付け根だけ残ってはいたものの、ただ根元にただ塊がぶら下がっていただけだったが、

「あ、あぁ……っ‼ 何なんだよ、これ‼」

 もっと衝撃的だったのは床に転がった、自分の腕と思しきモノだった。

 確かに自分の腕、手や爪が付いたソレからは損傷した箇所からいくつもの無骨な金属の骨組み、色取り取りの配線コード、挙句に血管の代わりとでも言うように細い管からは透明なオイルが滴っていた。

 直後、頭が真っ白になったが振り上げられた椅子の第二波に意識が戻る。

「た、助けてくれ‼ 助けてくれよ……っ‼」

 周りには多くの他の客がいた。だから、誰か一人くらいはこんな騒動が起こって、ヒトがヒトリ滅多打ちになっていれば助けてくれるものだと思っていたが、誰も無言で淡々と見つめるばかりで助ける素振り何てない。

「っ――――‼」

 成す術なく、男はそのまま脳天に椅子の打撃を食らい、意識を手放した。


 ◇


「社長、ご報告に参りました」

「おっっつかれ~!」

 カフェを後にした彼女を迎えたのは、一際テンションの高いご機嫌な声色だった。同時にぐるりと椅子が回転し、これまた機嫌の良いことが窺える、笑顔を浮かべた少女――社長が姿を見せる。見た目こそ幼いが、それなりに歳を取っているという噂だ。

「それでそれでっ、彼、どうだったっ?」

 恋バナでもするかのような、弾んだ語調で彼女へ問う。

「やはり、四十数年も生きている年数がある人間の脳を再利用するのは難しいですね。いくら記憶を処理したところで、長年の蓄積されたものから不意に違和感に気が付くようです」

「そうなの? 何か気が付いてた?」

えぇと小さく彼女は頷いて続ける。

「長年、仕事の傍らで飲んでいたキリマンジャロコーヒーの味がしない、とひどく動揺していました。その他にも、仕様のセリフを言った後は目が泳ぎ、自身の思考と言動が乖離していることに気付いていたようで、再利用は不可と見なし、先ほど処分用の炉へ投入されたのを確認致しました」

 その映像がこちらです、と彼女は手元のタブレット端末を社長へと見せる。そこには再起が不能なほどに破壊された、カレだったモノがベルトコンベアで運ばれて行き、煌々と輝く海に沈んでいく様子が映し出された。

「良かった良かった! でも、ウ~~ン、やっぱりある程度の若い脳じゃないとダメなんだねぇ。今回はその実験も兼ねてたから、カレも報われたことでしょうっ」

 犠牲なくして人類の進歩はないからねっとご機嫌な様子で言い放った。

「にしても、イヤァ、カレも全くもって愚かだったねっ。こんなに素晴らしいサービスを私は提供して、世間の! 社会の! 総じては人類の! 役に立っているっていうのにねぇ」

 表情と声色をころころと変えながら、まるで独唱するように語り、レスポンスを欲するように彼女をちらりと見やる。なので、渋々彼女は「アイデアと技術は面白いですし、素晴らしいものだと思います」と熱のない声で返す。

「そうだろうともっ! 増える自殺願望者! 圧迫する終身刑者! そして人の愛に飢える人間の急増! そしてひいては人類を苦しめるであろう人口増加問題に先手を打ったこの素晴らしい私の案! 一石二鳥どころじゃないぜっ☆」

 昨今、こうした数々の問題を同時に解決しているのが人の心を持ったアンドロイドの普及である。家事を専門とする家庭用のアンドロイドが、一般家庭でも使えるほどに安価になってしばらく。今度は日々の生活で疲れ切った、人の心を癒すものを作ろうと、アンドロイドを提供している企業は企画したのだが――。出来上がるのは無機質な抑揚のない声で応答する、優しい言葉を特定の言葉や、ユーザーの表情から読み取って投げかけるだけの、とても癒しを与えられるとは思えないアンドロイド。AIがいくら発達しようと機微や感情を持って接することはできなかった。

「イヤ~~やっぱり私って天才だよねぇ。感情がないなら、じゃあ人間使えば良いじゃんって思い付いちゃうんだもんっ」

 そこで、そもそも家庭用アンドロイドを提供していたGIZIテクノロジーズの跡取り娘が「人の感情――心は脳にアリ!」と断定し、数多のコンプラを無視して秘密裏に進めたのが、人の脳とアンドロイドの融合だった。記憶を処理し、機械と人の脳を繋ぎ、疑似的に人格を形成し、プログラムで心地の良い言葉を吐く、手間のかかる高級品を作り上げたのだ。

「上手く笑ったり相手を想ったりできるよう、脳のありとあらゆる回路を繋ぎまくって試したのは超大変だったけど、開発初期も販売中の今も不要な人――脳はいっぱいあるからねっ」

 そうして上手く感情表現をし、相手を想う言葉や行動を自発的に行えるようになったアンドロイドは想定以上の売り上げを誇り、前社長をその座から見事に蹴落とし、今の彼女が社長となった。

「だって言うのに、どうしてカレは人の脳みそ使ってます! ってリークしようとしたんだろうねぇ? 開発チームの結構良いポジションでお給料だって困るくらい渡してたんだよ?」

 そんなことしようとしなければ、自分もよく立ち会った実験場で実験台にならなかったのに、と嘆いたが声色だけは変わらず嬉々としていた。

「彼は必要以上にさまざなことを心配して不安に思うタチでしたので、おそらく呵責に――」

「でもねぇ、それを分かってた上でどうして開発部長の君が上手くケアできなかったのかなぁ? さっきの実験も見させてもらったけど、君仕事はできるのに人と接するのがちょっと不器用なんじゃないかなぁ?」

 ワントーン落とした低い声色で刺すように彼女にそう言い放つ。

「申し訳ありません……」

「まっ、今回はちゃんと責任を感じて君が直々にカレを使った実験に立ち会ってくれたしっ? 何歳ぐらいまでの脳が再利用可能かのデータ収集の一助になってくれたしっ? どうなるか、開発部門以外にも分かって色々貢献してくれたからヨシとしましょう。これからも貢献、お願いしますね?」


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