第九話 力の貸し合い

 美紀たちは公園を去ると、アパートまでの道を引き返した。美紀はさっきの設定を割り振った理由が気になって、菜ノ葉先輩に尋ねた。言葉を選びながら答えてくれる先輩。

「梅咲さんが拓海に好意を持っていない確認かな。だって、ふたりは好きなんでしょ?」

「そうですけど、もし香里の告白がガチだったら、どうするつもりだったんですか?」

「いや、あの子も自分で言ってたけど、私には大切な友達くらいの関係に見えたな。というか、私、勘のよさには自信があるから、友情か恋愛感情かなんて、すぐ判断付くよ」

 すると、今度は雪菜が口を挟んだ。

「あの、私には菜ノ葉先輩も、桜木先輩に恋してるように見えるんですが?」

「もう既にいろいろあった後の関係よ」

「ちょっ、いろいろってなんですか? 部のみんなに内緒で付き合ってたとか? だとしたらどこまで進んだんですか?」

 矢継ぎ早に尋ねる美紀。菜ノ葉先輩は遠くを眺めながら答えた。

「ううん、無理だった。受験が終わってから告白したら、拓海、『先輩が県外の大学に行ったら、なかなか会えなくなるから』って」

「……そう、ですか」

「何が言いたいかというと、美紀と竹原さんには今しかない時間を大切にしてほしいの。受験のせいにして逃げてたけど、私が動いたタイミングは遅すぎた。でも、ふたりにはまだチャンスがある。拓海は鈍感な子だし、ただ隣にいるだけじゃ想いは伝わらないよ?」

「わかりました。伝えられる今のうちに、伝えてみますね!」

 雪菜の声を聞きながら、美紀は数週間前のことを思い出していた。月島が説いてくれた、私が本当に選ぶべき居場所。あのとき拓海たちを取って正解だった。でも、拓海の隣で過ごせる時間も有限だよな。

 菜ノ葉先輩のアパートに到着する。三人はセミたちの賑やかな鳴き声を聞きながら、外の階段を上っていった。


 拓海たちがコンビニに到着すると、入り口のところにソフトクリームやかき氷ののぼりが立っていた。「夏らしいね」とつぶやいた梅咲さんに、拓海がうなずく。

「夏らしいといえば、今日の雪菜、ベレー帽かぶってたし、お洒落だったよな。オフショルダーっていうんだっけ、ああいうの」

「そういうのは本人に言いなよ。細かい違いに気付いてあげないと、女の子は傷付くよ?」

 梅咲さんはもどかしそうに言いながら、入り口の押しドアに手を掛けた。

 店内に入り、パスタやグラタンが並ぶコーナーで、適当な商品を選んでかごの中へ。すると、梅咲さんは唐突に拓海に近付いて、耳元でささやくように言った。

「さっきの告白だけど、あのとき演劇部に誘ってくれたこと、凄く感謝してる」

「こちらこそ梅咲さんが入ってくれて助かってるよ。俺だって、梅咲さんも美紀も雪菜も、みんな大切な仲間だと思ってる」

「あのふたり、個性的で面白いよね」

 梅咲さんは楽しそうに話すと、「みんな待ってるし早く行こう?」とレジへ並んだ。

 買い物が終わって店を出る。日陰を選んで歩き始めると、梅咲さんは「ちょっと変なこと話していい?」と尋ねてきた――。


 香里は高校二年になる前の春休みに、兄の実琴を亡くした。夕暮れどきの駅のホームにて、線路に飛び込んだのだ。あまりのショックに香里の脳内からは、その後のお葬式からゴールデンウィークまでの記憶が、ぽっかり穴が空いたかのように抜け落ちている。

 そして、香里はある夕方、久々に外着に着替えて、ホームセンターへ最後の買い物に出掛けた。店の自動ドアを抜けると、香里は迷いなく工具売り場へ歩いて、ロープを手にした。ふと周りを見回すと、やはり誰も香里に興味など持っていないようだった。香里は人通りの少ない通路を選んでレジへ向かった。

 買い物を終えた後、香里はお腹が空いたので、近くにあったハンバーガーショップに立ち寄った。不意に、小銭が床に散らばる音で我に返る。音のしたほうを向くと、隣のテーブル席に座る高校生くらいの男の人が、落とした小銭を拾って自分の財布に入れていた。香里はイスを立ち上がり、小銭を拾い集めるのを手伝ってあげた。

「あの、顔色悪いですけど大丈夫ですか?」

 急に声を掛けられ、香里はビクッと肩を震わせた。彼と目を合わせないようにして、なるべくそっけなく答える。

「お気遣いありがとうございます」

 イスに座り直すと、彼も自分のテーブルに戻っていった。ホッと胸を撫で下ろして、安全な場所から彼の様子をうかがう。そのとき、香里はあることに気付いた。彼の着ている制服は、香里の高校のものと同じだった。

「……鳳花高校の人なんですね。私も鳳花の生徒なんです」

「それならまた会えるかもしれませんね。俺は桜木拓海。君の名前と学年は?」

「梅咲香里。二年です」

「綺麗な名前だね。俺も同級生だから梅咲さんと仲良くなりたいな」

 私と、仲良くなりたい? ただの社交辞令の言葉なのに、やけにスッと心に入ってくる。香里が顔を上げると、彼はこちらを気遣うように声を掛けてくれた。

「もし何か悩みがあるのなら、ひとりで抱え込まないで相談してね。じゃあ、また学校で会える日を楽しみにしてるね」

 そう言って去っていく桜木拓海。彼の後ろ姿が見えなくなる頃には、香里はロープを捨てようと考えていた――。


 梅咲さんは話し終えると「ごめんね」と謝った。

「別に謝ることじゃないよ。梅咲さんが死なないでくれてよかった」

「ありがと。その後の演劇部に入ってからは、さっきの告白で話した通り。つまり、桜木くんの言葉に、私の人生は救われたってこと」

 拓海は昔、雪菜に話した言葉を思い出した――もし周りの力になれたら、妹に何もできなかった気持ちが晴れる気がするから。

「……よかった。知らないところで梅咲さんの力になれてたんだね」

「ほんとに救われたよ。私なんかが言えることじゃないけど、生きることって力の貸し合いだと思う。私は桜木くんや、美紀や竹原さんから借りたぶんを返すために生きてる。まあ、借りを返すっていうのも、ただ生きてるだけで充分できてることだと思うけどね」

「どういうこと?」

「私はみんながそばにいて、楽しそうに過ごしているだけで幸せだってこと」

 梅咲さんがそう話したとき、根室先輩のアパートが見えてきた。拓海たちは外の階段を上がって、先輩の部屋のドアを開けた。


 部屋の掛け時計が午後二時を示す。雪菜たちが昼食を済ませてひと休みすると、菜ノ葉先輩は部屋の奥から一冊のクリアファイルを引っ張り出してきた。

「これ、私たちの代の最後の発表会で演じるつもりだった台本。ちょっと難しすぎて、本番には違う台本で臨んだんだけど、今の拓海たちなら演じこなせるはず」

 そう言ってファイルから数枚のプリントを取り出す菜ノ葉先輩。プリントには細かいセリフや動きの数々が、びっしりと隙間を埋めるように書かれていた。

「ありがとうございます! 今度こそ絶対優勝してみせます!」

 すると、菜ノ葉先輩は「違うぞ」と桜木先輩をデコピンした。

「そういう『絶対』っていう考え方がよくない。みんなにはプレッシャーを感じずに、演技を伸び伸びと楽しんでほしいの」

 不意に、雪菜のスマホが通知音を鳴らした。電源を付けると、母からLINEが来ていた。

『さっき掃除しに雪菜の部屋に入ったら、ジロウの様子がおかしかったの。動物病院とか連れて行ったほうがいいのかしら?』

 送られてきた写真のジロウは、母の言った通り、目に見えて衰弱していた。

『遅れて行くから、先に連れて行って!』

 慌てて文字を打って送信する。すると、梅咲先輩が「何かあったの?」と尋ねてきた。

「飼っているハムスターが大変なんです!」

「それなら、私と話してなんかいないで、早く帰ったほうがいいよ!」

 四人は急いで持ってきた荷物をまとめると、菜ノ葉先輩のアパートを去った。

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