第八話 頼れる先輩

 どこからか小鳥のさえずりが聞こえる。彼女は眩しい光を細い腕で遮りながら、おもむろに目を開けた。視線を掛け時計へやると、九時を指す針が見える。バイト忘れてた、行かなきゃ! 慌ててベッドを降りると同時に、床にスマホが落ちる音。拾って電源を付けると、ホーム画面の日付は日曜日だった。

「今日バイト休みじゃん。助かった」

 ため息をついたつもりが、途中からあくびに変わってしまう。ベッドに身を戻したとき、スマホが通知音を鳴らした。画面を見ると、懐かしい人物からLINEが来ていた――桜木拓海。高校時代、仲良しだった後輩だ。

根室ねむろ元部長、ご無沙汰してます。わけあって春頃から、俺が部長を務めているのですが、演劇に関してご指導いただけたらと思い、連絡させていただきました。先輩は夏休み、いつ頃ならお時間いただけますか?』

 思いもよらない人からの連絡に顔がニヤけてしまう。彼女は画面をタップして返信した。

『いつでも空いてるよ。なんなら今から私ん部屋、来る?』

 すぐに『行きます!』と返ってくる。しかし、ベッドから身体を起こすと、アパートの一室、1Kの部屋は昨夜食べたカップ麺やいらない雑誌で溢れかえっていた……と、再びスマホの通知音が響いた。

『もしよければ、部屋の掃除手伝いますよ?』

『どうして散らかってるとわかった?』

『だって根室先輩、いつも部活で使った衣装を、脱ぎ散らかしたままにしてたじゃないですか。今から三人くらい部の関係者連れて行くので、着いたらよろしくお願いします!』

 やれやれ、行動力のある後輩だな。でも、そういう真面目なところが可愛くて、高校生時代から好感が持てていた。せっかくだしもてなしてやろうと、彼女は薄手のタンクトップに着替え、玄関のドアを開けた。


 夏休み中盤のある日曜日、拓海と梅咲さん、そして美紀と雪菜は、鳳花高校最寄り駅発のバスに揺られ、根室先輩がひとり暮らししている街へ向かっていた。

「ごめんね、みんな。私が電車苦手だって言ったら合わせてくれて」

「大丈夫です。梅咲先輩が体調よく過ごせる行き方が一番ですから」

「なーにが『大丈夫です』よ、竹原雪菜。大体、あんた、演劇部と関係ないくせになんで着いてくるわけ?」

「別にいいだろ、美紀。雪菜には先月の合宿のときもお世話になったし、もう充分、部の関係者と呼べるんじゃないか?」

 拗ねるように「知らない」と窓の外を向く美紀。梅咲さんがため息をついて、「喧嘩しないでよ」と間に入る。

「ところで、今日私たちが会いに行く先代の部長さんってどんな人なの?」

「根室。私たちが一年の頃の、七月の発表会まで仕切ってた女の先輩で、女子からは菜ノ葉先輩って慕われてる。髪型はショートカットで、ボーイッシュなサバサバ系。接しやすくて凄く頼りになる人よ。私たちの代の後輩だと、拓海を一番に可愛がってたな」

 美紀の説明に「面白そうな人だね」とうなずく梅咲さん。そのとき、不意に雪菜が「そう言えば」と、気付いたような声を上げた。

「そう言えば、桜木先輩たちって、いつから下の名前で呼び合うようになったんですか?」

「髪色を直したのをきっかけに、昔の面影が戻ってきたから、『美紀』で呼んでる。そしたら美紀も俺を『拓海』って」

「そんな感じだけど、それが何かしら?」

「うるさい! このお調子者女!」

「あら、まな板チビスケが何か言ってる」

「だから喧嘩しないでって!」

 再び梅咲さんが嫌そうな声を上げる。続けて呆れたように、ふたりに聞こえない声量で「仲がいいんだから」とつぶやいた。

 四人はそれから一時間近くかけて、ようやく根室先輩のアパートに到着した。まだ建てられてからあまり経っていないらしく、建物の外壁は汚れのない白。外の階段を使って二階へ上がる。拓海たちはそのまま階の奥まで進んで、先輩の住む部屋に向かった。

 部屋のインターホンを鳴らすと、バタバタという音ののち、玄関のドアが開いた。タンクトップ姿の根室先輩と目が合った瞬間、彼女は跳ぶように拓海に抱き着いてきた。

「拓海、ずっと会いたかった!」

 大声で言いながら、ごしごしと背中を撫でてくる根室先輩。ふと、後ろから殺意のようなものを感じて振り向くと、美紀と雪菜が凄い剣幕でこちらを睨んでいた。

「松永先輩、さっきサバサバ系って言ってましたよね? なんでこんなにべっとりしてるんですか?」

「私と意見が被るなんて珍しいね、竹原雪菜。確かに、他の人の前でこの行動は苛立つわ」

「あの、根室先輩。ここじゃ外の人に丸見えで恥ずかしいので、続きは中でしませんか?」

「それもそうね。さっきコンビニでラムネ買ってきたから、ゆっくり飲みながら話そう」

 やや狭い1Kの部屋で、ちゃぶ台サイズの円テーブルを囲んで、五人で座布団に座る。美紀の後方にベッドがあって、その反対側に座る雪菜のそばには散らかった雑誌類。いかにも話し合うスペースを作るために、無理やり邪魔なものをどかしただけといった感じで、相変わらずのガサツさがうかがえる。

 ラムネを飲みながら、近況報告のような会話を交わす。拓海が事情を説明すると、根室先輩は「なるほどね」とうなずいてくれた。

「つまり、鳳花の演劇部を守るラストチャンスのために、どうしたらうまく演じられるかアドバイスがほしいってことね」

「そんな感じです。もしイチオシの練習法とかあったら教えていただきたくて」

「私に考えがある。近所の公園に行こう」

「ありがとうございます! でも、その前にまずは部屋の片付けをしましょう」

「わかったよ」と片付けを始める根室先輩。拓海たちが手伝ったおかげか、三分もしないうちにまともな部屋に整えることができた。


 眩しい日差しの下、五人でセミの鳴き声をBGMに歩く。目的地らしき公園に到着すると、根室先輩はコホンと咳払いした。

「さっそくだけど、今からみんなには即興演劇をしてもらう。第一ラウンドの割り当ては、拓海が退部を考えているバスケ部員、美紀がそれを止めようとするマネージャー。シナリオはあえて用意しないから、アドリブで頑張って。はい、じゃあスタート」

 パンと手を叩く根室先輩。いきなりの無茶ぶりに拓海たちは戸惑いかけたが、すぐに切り替えて与えられた役を演じ始めた――。

 そののち、三分ほどの即興劇が上手に進み、キリのいいところで根室先輩が再び手を叩いた。「どうでしたか?」と尋ねる拓海に、先輩は「百点!」と満足そうに拍手した。

「さて、観ていた梅咲さんたちに質問。今のふたりの演技のどこがよかったでしょうか?」

「ふたりともいつも以上に伸び伸びと演じられてた気がしました。失敗を恐れないで、自分らしさとその役らしさをちょうどいい配分で出せていた感じがする」

「いいところつくね、梅咲さん!」

 感心した声の根室先輩。続けてわかりやすく解説を付け加える。

「そう。つまり、アドリブには明確な正解がないってこと。演技中に身体がこわばっちゃう人の共通点は、自由さを失っているところだと思うんだ。だけど、演技というものは本来、与えられた役の行動を、自由に考えて表現する活動のはず。要するに、今の練習は演劇の本来の姿を思い出す訓練ってことよ。じゃあ、この調子で第二ラウンドやってくよ。次は梅咲さんと竹原さんの番」

「えぇ? 私、演劇部員じゃないんですけど」

「大丈夫。これは遊びみたいなものだから、自由に演じればいいのよ」

 それからふたり一組の即興劇は第十ラウンドまで続いた。最後の設定は、梅咲さんが『拓海に告白する女子』で、拓海は『告白される人』。梅咲さんは真剣な顔で口を開いた。

「桜木くん、私、ずっと前から伝えたかったことがあります。私、桜木くんのことが好きです。五月の、まだ私が登校できるようになったばかりの頃、桜木くんは部活に入らないか提案してくれたよね。私、あのとき演劇部を選んでよかった。おかげでみんなと出会えたし、充実した毎日を送れてます。もしよければ付き合ってください!」

 演技が終わると、根室先輩が拍手しながらコメントしてくれた。

「心が熱くなったよ。確認するけど、今の梅咲さんの告白は演技だよね?」

「はい。ほんとに恋愛感情ありません。桜木くんは大切な友達で仲間です!」

 梅咲さんははにかんで言うと、誰に向けるとでもなく「ごめんね」と謝った。微妙な空気を誤魔化すように、根室先輩が提案する。

「練習頑張って疲れたし、アパート戻ってお昼にするか。でも、さっきラムネしか買ってこなかったし、グッパーで買い出し組と帰宅組にわかれるしかないな」

「グッパージャス!」の結果、拓海と梅咲さんが買い出し組、他が帰宅組に決まった。

「じゃあ、お金渡すからテキトーに買ってきてよ。コンビニはここを真っすぐ行ったところにある。何か困ったことがあったらLINEよこしてね。では、また」

 根室先輩は指示を飛ばし、美紀たちと去っていった。「行こう?」と梅咲さんに声を掛けられ、拓海は言われた道を歩き始めた。

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