第七話 本当の居場所

 演劇部発表会が終わって一週間ほど経ち、鳳花高校は夏休みを迎えた。夏休み初日、雪菜は梅咲先輩と買い物をすることにした。

 待ち合わせのショップモールに到着すると、梅咲先輩がフリルのTシャツに膝丈スカートを着飾って、雪菜を待ってくれていた。

「こんにちは。先輩ってお洒落ですね。今日は励まそうと思って来たのですが、想像より大丈夫そうで安心しました」

「ありがと。ついでに竹原さんが桜木くんとデートするときの予行練習にもなるしね」

「からかえるほど元気じゃないですか!」

 声を出して笑う梅咲先輩。雪菜は「さっそく行きますか」と入り口のドアを抜けた。

 雪菜たちが一番初めに訪れたのは、安めの商品を売りにしている洋服屋だった。

「梅咲先輩って、服買うときにどんなことを意識してるんですか?」

「自分が着て、違和感が少ない服かな。初心者はマネキンを真似れば、お洒落に見えるよ」

 棚近くの数体のマネキンを指差す梅咲先輩。雪菜は若緑色のオフショルダーと黄色のスカートを着飾ったマネキンをチョイスした。

「いいね。竹原さんは小柄だから似合うと思うよ。試着してみよう?」

 数分後、雪菜が試着室を出ると、梅咲先輩は「凄く似合ってるよ!」と褒めてくれた。

「ありがとうございます。桜木先輩と出掛けるときがあったら着ていきますね!」

「いいと思う! マネキン任せになっちゃったから、これ、プレゼントするね!」

 先輩は背中に隠していたベレー帽を差し出した。雪菜は「もとの服に着替えてきます!」と、嬉しそうに試着室に戻っていった。

 次にふたりが向かったのはゲームコーナーだった。入り口近くの目立つ場所に、ハムスターのぬいぐるみのクレーンゲームを見つける。梅咲先輩は「私が取って、竹原さんにプレゼントする」と豪語して、小銭投入口に二百円を入れたが、成果は得られなかった。

「全然大丈夫なので、気にしないでください」

「でも、いいリフレッシュにはなったと思う。発表会でミスしたこと忘れて没入できた」

「それならよかったです。桜木先輩も『梅咲さんは悪くない』って言ってたので、あまり気にしすぎなくていいと思います」

「緊張は練習が足りていない証拠。演劇教室に通ってたときに先生が言ってたんだ。私たちは舞台に上がったとき、足の震えが止まらなかったから、練習不足だったってこと」

 ふと、雪菜の脳裏にエリカさんの声がよぎる。確か、発表が失敗したら美紀から退部したいって言い出すかも、とか言ってたな。

「松永先輩の調子はどうですか?」

「それなんだけど、あれから一週間、部活に顔出してないんだ」

「松永先輩、五月までは部長だったんですよね? 演劇一筋だったのにどうして?」

 雪菜は不安だった。せっかくまとまってきたのに、また、部が崩壊に近付いている気がする。そのとき、ゲームコーナーに他の客が入ってきた。先輩は「邪魔になるから、他のところで話そう」と、雪菜の肩を叩いた。


 雪菜たちが買い物をした同日、モール三階のフードコートで、美紀は友達と過ごしていた。美紀には、この時間の使い方が正しいのかわからない。しかし、断ると突き放されてしまうので、舟の上で冷めたタコ焼きを転がしながら、エリカの話を聞いていた。

「……それでね、その人、半日付き合うだけで三万円もくれたんよ!」

「私もやろうかな。なんて商売だっけ?」

「パパ活。大人の男の人とデートして、代償にお金をもらうの」

 楽しそうに話すエリカ。スマホの画面をみんなに見せて、アプリの使い方を説明する。

「美紀もやってみなよ。私、三回やったけど、一度も怖かったことないから!」

 美紀は今日もため息を我慢して、操られるようにうなずいた。

 家に帰り、自室のドアを開けたら、勉強机の隣のカレンダーが目に留まった。七月のある日に「発表会」と丸が付いている。自分が部長だったときは、あんなに熱中できていたのに、この頃は感情が冷めてきている。

 かといって、エリカたちとの時間が正解だとも思えない。あそこにいるときの自分は、仮面をつけている感じがする。でも、不安要素はあるものの、やってみたら楽しいかもしれない。美紀はアプリの設定を済ませ、条件を指定して「募集中」の状態まで進めた。

 次にアプリから通知が来たのは、美紀が夕飯を食べているときだった。画面には「イケポンさんが『会いたい』しました」という通知。確認すると、希望日時は明日の夕方五時半。料金も一万円と、少し会うだけにしては高めだった。美紀は安心して返信を返し、スマホをテーブルに置いて、夕飯の続きをした。


 翌日。美紀は夕方に支度をして、自宅を出た。待ち合わせ場所は薄暗い公園前。美紀が到着すると、体格のいい男の人がスマホを片手に待っていた。美紀は近付いて頭を下げた。

「おお、君がマツボちゃん?」

「はい、マツボックリです! 今日はよろしくお願いします!」

 すると、イケポンさんはさっそく「手、繋いでいい?」と声を掛けてきた。ややためらったが、仕方なくうなずく美紀。

「マツボちゃんってどこの学校通ってるの?」

「秘密です。初めて会った人に個人情報晒しすぎるのも違うので」

「僕、もうアプリで出会った回数、二桁いってるけど、これくらいはみんな言ってるよ?」

「でも、ちょっと嫌なのですみません」

「わかった、言わなくてもいいよ」とイケポンさん。先導するように歩いてくれたので、美紀もつられるように歩き出す。

「そう言えば、マツボちゃんは何回目かな?」

「初めてなので緊張してます」

「へぇー、まだ処女なのか」

 処女? 冷たい汗が美紀の背中を流れた。

「今、どこ向かってるんですか?」

「僕のアパートだよ。お金ほしくないの?」

「嫌だ!」

 美紀は遮るように叫び、手を振りほどいて逃げ出した。後ろから無言で迫ってくる足音。こんな怖い思いをするなら、初めからやらなければよかった。美紀は必死に走り、なんとか大通りまでたどり着いた。

 しかし、ここで美紀の体力も限界に達する。もうダメかと思ったとき、美紀の目の前に一台の車が姿を現した。助手席の開いた窓からは同じクラスの月島。「早く乗れ!」と大声を出す。美紀は後部座席のドアを開けると、倒れ込むように座席に身を預けた。

 車が発進して数分経つと、ようやく美紀の呼吸が落ち着いてきた。死に物狂いで逃げていたが、落とし物はなかっただろうか。美紀がポケットを触ると、スマホと財布は無事見つかった。そのとき、助手席から声がした。

「携帯触る前に、何か言うことがあるんじゃねえのか?」

 仕方なく「ありがとう」と答える美紀を、月島はバックミラーで一瞥した。

「兄貴のドライブについていったら、偶然、男の人から逃げてる松永を見つけてさ。まあ、どうして逃げてたのか、察しはつくよ」

「私の人生は私のもの。何しようとしたって私の自由じゃない?」

「松永がいつも本心で行動してるのなら、そうかもしれないな」

 月島は眼鏡に手をやり話した。窓の外を見ると、日はいつの間にか暮れ、道沿いの建物から黄色い灯りが零れていた。月島は再び、ひとりごとのように話し始めた。

「俺たちが何をしても、神様は全部見てるよ。ズルをしても、誰かに親切をしても」

「……宗教染みた話ね」

「それなら別の人に置き換えてみな。失礼だけど、おじいさんおばあさんはご存命かい?」 

 バックミラー越しに月島と目が合う。美紀の耳の奥では、あのときの蕾の声が響いていた――私の代わりに美紀ちゃんがお兄ちゃんのお嫁さんになるの!

「あと、前から思ってたけど、松永って江田山のグループにいる割には勉強できるよな」

「それって褒めてるつもり?」

「褒めてもけなしてもいないけど、中途半端な生き方してるなって。身体はこっちにあるのに、頭だけあっちに突っ込んでる」

 美紀は心では潮時とわかっていた。無理に強がって化けの皮を被っていたが、初めからそんなことをする必要はなかったんだ、と。

「今日のこと、桜木には黙っておくよ」

 車が鳳花高校の近くのコンビニに着く。明るい髪色は、今日で最後にしよう。美紀は月島の車を降り、歩き始めた。


 夜十一時。雪菜の部屋の時計が音を立てる。そろそろ寝ようかなと思っていたら、いつもの小説投稿サイトから通知が来た。

「マツボックリさんから『いいね』と新しいコメントが来ました」

 妙に心当たりのあるユーザーネームだ。画面をタップして、もらったコメントを確認すると、こう書かれていた。

『スノウ・ウーマンさん初めまして。主人公の、憧れの人へのひたむきな気持ちが伝わってきて感動しました。私事ですが、主人公の憧れの人が、私の気になる人に似ていました。女は見た目だけじゃなくて中身も重要らしいので、これからは今まで以上に頑張ります』

 つまり、これはあの人からの宣戦布告ということだな。今日寄せられたコメントは、最近の中ではずば抜けて嬉しいものだった。

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