第六話 今までの経験値

 発表会当日の朝。拓海が校門前に着くと、既に他の部員たちは来ていた。挨拶をしていると白い大型車が姿を現した。顧問の先生が運転席から出て、「集合!」と声を掛ける。

「いよいよだな。じゃあ、何回かにわかれて送迎するから、相談しながら乗ってくれ」

 後部座席のドアを開ける先生。最初の送迎には拓海と梅咲さんたちが乗ることになった。窓外の景色が動き出したとき、隣の席の梅咲さんが話し掛けてきた。

「桜木くんは今までも発表会に出てたの?」

「去年の十一月の発表会からはメインに出て演じてた。でも、いくら経験積んでも、緊張するものは緊張する」

 今までの発表会を思い出す。やっぱり発表というものは難しく、なかなかベストを発揮することができない。

 それから拓海たちは車に揺られ、文化会館に到着した。車を降りて荷物を整理しているうちに、視界に風宮学園の制服が映る。今日も桃瀬は、奇抜なヘッドホンをつけているようだ……と、まもなく目が合い、向こうから話し掛けてきた。

「やあ、桜木くん……って梅咲香里⁉ どうして君がここに⁉」

 梅咲さんを指差して大きな声を出す桃瀬。梅咲さんに「知り合い?」と尋ねると、彼女は遠慮気味にこくりとうなずいた。すかさず話し始める桃瀬。

「梅咲さんとは過去にいろいろあってね。じゃあ、今日は君たちの本気を見せてくれ」

 キザな捨て台詞を残して去っていく桃瀬。梅咲さんは彼の後ろ姿を眺めながら、「あの人ちょっと苦手なんだ」とつぶやいた。


 桜木先輩たちの発表会当日。雪菜はみんなを応援するため、ひとりで文化会館へ向かった。到着すると、垢抜けた雰囲気の女の人が、施設入り口の自動販売機でジュースを買っていた。水色に染まった髪の毛先。ふと彼女はこちらを向き、視界に雪菜を捉えた。

「あれ? あんた、鳳花の一年だよね?」

「そ、そうですけど、私に何か用ですか?」

「いやね、私、美紀の友達のエリカなんだけど、美紀に部活辞めるよう頼んでくんない?」

「え? 部活を辞めさせたいんですか?」

「廃部寸前の部活を守るのに時間取られて、一生に一度の青春無駄にするくらいなら、パーっと遊んで過ごしたほうが絶対得だよ」

 その言葉は雪菜の心にスッと入ってきた。最近の雪菜には、文芸部を救うプレッシャーがのしかかっているが、諦めて退部してしまえば解放されるだろう。

「……だけど、部活じゃないと得られない楽しみもあると思います」

「じゃあ逆に、帰宅部だけが得られる楽しみもあるんじゃないの?」

 詰め寄るように問い掛けてくるエリカさん。香水か何かのしつこい匂いが鼻につく。雪菜が困っていると、エリカさんは肩をすくめるようにして、仕方なさそうに続けた。

「まあ、発表が失敗したら美紀から退部したいって言うかもしれないし、今は黙っておいて、それに賭けるのもアリだけど。そういうことで、私も遠くから見てるからね」

 手を振って去っていくエリカさん。ようやくストレスの原因が遠ざかってくれて、雪菜はホッとため息をついた。


 九時を過ぎた頃、鳳花高校の演劇部員は、文化会館大ホール外に集合した。これからホールで開会式が開かれ、午前中に三作品、そして午後に残りの七作品が上映される。拓海たち鳳花高校の順番は後ろからふたつ目で、ライバルの風宮学園はトリを務める。

 大ホールの中央、指定された席へ。拓海はこの部屋に入るのは四度目だが、いまだに独特な空気感に慣れず、やけに疲れてしまう。舞台を中心として扇型に設置されたイス。下から見上げている今こそ平気なものの、いざ舞台から観客席を見下ろすと、演者たちはただ与えられた役目をこなすことしかできない。開会式になり、地域の演劇協会代表が話し始める。代表の話を聞きながら、拓海はだんだんと自分の身体がこわばっていくのを感じた。

 あっという間に午前の上映が終わり、昼食休憩の時間になる。拓海たちは自分の楽屋へ向かうと、持ってきたお弁当を食べ始めた。

「どの学校もさすがだったけど、桜木くんの演技はあれ以上だよ!」

「誰より誰が凄いとか、今話したってどうにもならないよ」

 割り切ったように話す美紀。ウィンナーを箸でつまみながら、凛とした声で続ける。

「私たちには積み重ねてきた経験値があるんだし、それを発表に反映させるのみよ」

「なんだか、美紀がいると頼もしいな」

 ふたりは意外と緊張していないし、発表もなんとかなりそうだ。拓海は「外の空気吸ってくるね」と残して、楽屋のドアを開けた。

 文化会館入り口の自動ドアを抜けると、桃瀬が施設の外壁に寄りかかって演劇の参考書を読んでいた。すぐに拓海に気付き、「調子はどうだい?」と話し掛けてくる。

「まあまあ。そう言う桃瀬は緊張してる?」

「するわけないだろ? ちょうど話したい気分でね。面白そうな話題はないかい?」

「なら梅咲さんとの過去とか知りたいな。ふたりはどういう経緯で知り合ったんだ?」

 桃瀬は思い返すように「あれは僕が中二の夏のことだった」と話し始めた――。


 桃瀬満が演劇教室に通い始めたのは、中学二年の夏頃だった。当時の満は、なんでも簡単にこなしてしまい退屈していた。そんな彼に母が持ち掛けた習い事が演劇だった。

 スタジオに到着すると、眼鏡をかけた女の先生が出迎えてくれた。奥の練習部屋では満と同級生くらいの少女と、体格のいい男の人が歌の練習をしていた。先生は手を叩いて中断させると、ふたりに細かい指摘を始めた。

「香里さんはお腹から声出して。まだ震えてるよ。実琴みことくんはもっと感情込めてみて。休憩の後、もう一度歌ってもらうから、そのときは意識しながらやってみてね」

 先生が部屋を出ていくと同時に、ふたりの視線が満を向く。実琴と呼ばれた彼は「初めまして」と挨拶してくれた。

「初めまして。俺は梅咲実琴で、こいつが妹の香里。夢は日本一の俳優になること。君は?」

「桃瀬満。自慢みたいになるけど、生まれてから今まで、苦手なことがなかったから、知らない分野への挑戦という意味で見学に来た」

「向上心が高くていいね。それと、俺は年上だから、生意気なこと言ってるとシバくよ」

「年齢でしかマウントを取れないのは惨めだ。実力のある者のほうが凄いに決まってる」

「それもそうだな。ちなみに俺は東大に主席合格するのが目標」

 妹の香里が「ちょっとお兄ちゃん」と実琴の手を引いた。続けて満を睨みながら話す。

「いくら頭がよくて苦手なものが少なくても、人間性が未熟なら意味ないと思います」

 満が返す言葉に詰まったとき、休憩終了のタイマーが鳴り、先生が戻ってきた。再び歌い始める実琴を見ながら、満はこの演劇教室に入会しようと決意した。

 それから満は週に三回、演劇教室に通うようになった。初めは慣れない練習に戸惑ったが、持ち前の才能で食らいついていった。そんなある日の休憩時間、実琴がスマホを見せてきた。画面の左端には楽器の絵が描かれ、そこから右に向かってバーが伸びていた。

「俺、こないだから音楽作ってるんだ。もしよければ聴いてみて?」

 実琴が再生ボタンを押す。聴き終えると、彼は「どうだった?」と感想を求めてきた。

「メロディーがありふれていてパクリみたい。でも、初めてにしてはマシなほうかもな」

 すると、みるみるうちに実琴の顔は赤くなっていき、怒鳴り声が飛んできた。

「なんだよ⁉ せっかく人が見せてやったのに、その態度はないんじゃねえか?」

「喧嘩しないでよ!」と香里が間に入ってくる。彼女は満を向いて放った。

「それなら、桃瀬くんが次のレッスンまでに曲を作ってきて、それがお兄ちゃんのより凄かったら許す、というのでどうかな?」

「面白そうだね。受けて立つよ」

 その夜、満は家に帰ると、スマホに作曲のアプリをインストールした。すると、予想していた通り、すんなりと耳に残る旋律が浮かんできた。満は仕上がったメロディーを打ち込んで、あっという間に一曲完成させた。

 そして、次の演劇のレッスンで、満は梅咲兄妹に自作曲をお披露目した。すると、返ってきた反応は驚きだった。

「これ、ほんとにお前が作ったのか⁉」

「桃瀬くんって才能の塊だと思う!」

「ありがとう。こないだは生意気なこと言ってごめんな。僕は実琴さんの音楽、好きだよ」

「桃瀬の才能は認めるよ。今後もよろしく」

 それから季節が過ぎ、満が演劇教室に通い始めて九か月が経った。満の上達速度は著しく、まもなく梅咲兄妹の練習内容に追い付こうとしていた。

 そんなある日のこと。レッスンの休憩中、満が水筒を飲んでいると、実琴が深刻そうな表情で歩み寄ってきて、満の隣に座った。

「どうしたんだい? そんな暗い顔して」

「俺、今月で辞めるんだ。最近、学校の勉強が難しくて、東大に落ちそうなんだ。だから習い事の時間も勉強に充てることにした」

「あんた、まだ高二だろ? 時間はあるんだし、両立させればいいんじゃないか?」

「それじゃダメだ。音楽を作り合ったとき、満は才能に溢れてる奴だと思った。でも、俺にはお前のような才能がないから、時間を割いて努力するしかないんだ。それと、俺の退会を期に香里も辞める」

 話に出た香里を見ると、彼女は「今までお世話になりました」と満に頭を下げた。

「じゃあ、そういうことで、またいつか会う機会があったら、そのときはよろしく」

 それから一か月が過ぎ、梅咲兄妹は演劇教室を退会した。気にしないつもりだったが、やはりふたりのいないレッスンは寂しく、周りが高校受験の対策を始めたのをきっかけに、満も追うように演劇教室を去った。

 次の春、満は特待生として風宮学園に入学し、演劇部に入部した。そんなふうに、人並みに楽しい高校生活を送っていた満だったが、二年生になる前の春休みに、不幸な噂を耳にした。梅咲実琴が自殺した、と――。


 桃瀬の長い話が終わり、ふたりの意識が文化会館に戻ってきた。

「そっか。思い出させちゃってごめんな」

「大丈夫。今朝の梅咲さんが元気そうで安心したよ。僕が彼女の立場だったら、もっと落ち込んでると思うから」

「そうだな。それにしても、梅咲さんが演劇経験者だったとは、初耳で驚いたな」

「彼女の演技は躍動感があって凄いよね。今日の発表も期待してるよ」

 それから午後の発表が進み、まもなく鳳花高校の番が来た。拓海たちは舞台裏で服装を整えると、幕が上がるのを待った。

 アナウンスが台本名を告げたのち、幕が上がっていく。幕の隙間から観客席を覗くと、大勢の人たちがこちらに注目していた。勇気を出して舞台中央へ歩いていく梅咲さん。初めのシーンは目立ったミスなく終えることができたが、突然、演じていた梅咲さんの動きが固まった。セリフを言おうとして開けた口からは何も出てこない。梅咲さんは逃げるように舞台を去っていった――。

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