第五話 似た者同士

 拓海が小学五年生の頃、蕾は本を読むのにハマっていた。特にお気に入りは世界の有名人の伝記シリーズ。昔の凄い人たちの人生を、絵本チックにわかりやすく綴った本だ。蕾はそのシリーズを毎週のように図書室で借りては、夜になるたび家のリビングで開いて、舐めるようにじっくりと読んでいた。

 ある日、拓海は気になって、蕾に今日は誰の本にしたのか尋ねてみた。すると、蕾は楽しそうに「大航海時代だよ!」と答えた。

「大航海時代?」

「そう。昔、ヨーロッパの人は香辛料がほしかったんだけど、陸を旅してインドまで取りに行くと、途中で違う宗教の人に襲われるから、船を使って海のほうを通って、遠回りして取りに行ったの」

「コロンブスわかるよね?」と蕾。拓海がうなずくと、蕾は「面白いんだよ」と話し始めた。蕾の話によると、コロンブスはヨーロッパを出発し、アメリカの西海岸に到着したらしい。しかし、そこが目的地のインドだと勘違いしたまま、一生を終えたのだという。

「他にもマゼランとか、いろんな人が船で世界の海を旅したの!」

「その頃は地球は丸くないって言われてたんだろ? 昔の人は命がけで冒険してて凄いな」

「そうなの! だから、私も命がけではないけれど、大きくなったら世界を旅して、有名な建物を見て回ろうと思ってる。そのためには、今からいろんなことを勉強しなきゃ」

 蕾は活き活きと話した。「お兄ちゃんはどこか行きたい国とかあるの?」と訊かれて、「ごめん。詳しくないんだ」と答える。

「それなら、私がいろいろ教えてあげる!」

 それから一週間が過ぎたある日、拓海が目を覚ましてリビングに向かうと、テーブルに大きなケーキが置かれていた。すっかり忘れていたが、今日は自分の誕生日だっけ。

 キッチンにいた母が「蕾が手伝ってくれたの」と話す。そして、テレビを見て待っていると、蕾が起きてきた。リビングに来て「おはよう」と挨拶する彼女の手には、一冊のスケッチブックが握られていた。

「おはよう。それ、どうしたの?」

「これね、お兄ちゃんへの誕生日プレゼントなの。読んでみて」

 蕾ははにかみながら、スケッチブックを手渡してくれた。拓海が表紙をめくると、そこにはたくさんの写真と、その下に簡単な説明が書かれていた。

「凄い! これどうしたの?」

「学校の先生に協力してもらって、世界遺産をまとめた本を作ったんだ。お兄ちゃんが少しでも興味を持ってくれたらいいなって」

 拓海は感動して言葉が出てこなかった。代わりにスケブのページをめくる手は休めずに、そこに貼られた写真と蕾の顔を見比べた。蕾は嬉しそうに「大人になったら、一緒に海外に行こうね!」と微笑んでくれた。


「……へぇー、そんなことがあったんだ」

 拓海が話し終えると、美紀は感心するように相槌を打った。

「だから後悔してる。あんなにいい妹を死なせて最低だなって」

「桜木くんは悪くない。あれは蕾ちゃんを見放した私の責任!」

 そのとき、後ろから声がした。振り向くと、梅咲さんが建物の蔭に立っていた。

「遅いから心配で見に来た。桜木くん、この後の練習に出れそう?」

「今日は休むことにするよ。明日は出るから」

「わかった。じゃあ美紀、戻ろう」

 美紀はこちらを一瞥すると、「じゃあね」と梅咲さんと去っていった。


 午後四時。雪菜が大広間でノートパソコンのキーボードを打っていると、桜木先輩が外から帰ってきた。雪菜は手を止めて、パソコンを閉じながら話し掛けた。

「大丈夫でしたか? 夕飯、外でバーベキューすることになったので、おじさんは薪を買いに行きました。先輩は参加しますか?」

「ごめん。今はそういう気分じゃないんだ」

 先輩は謝りながら去っていった。

 それから雪菜はおじさんとツッキー先輩とバーベキューの準備をして、日が落ちるのを待った。五時半頃、演劇部の練習が終わって、梅咲先輩たちが合流する。

 そして、六時になると松永先輩の司会でバーベキューが始まった。金網の上で買ってきた肉や野菜を焼く。今日用意したのは高めの豚肉なんだとか。しかし、桜木先輩がいない食事は寂しく、雪菜はおいしいものを食べているのに、ゴムを噛んでいる気分だった。

 バーベキューが終了してからは各人部屋で待機しながら、浴室が空くのを待った。シャワーまでは貸さなくてもと反対したのだが、おじさんはどこまでも寛大な人だ。汗かかせたまま寝てもらうわけにはいかない、と許可してくれ、ひとり十分間という制限の中で、交代でシャワーを浴びることになった。

 雪菜のシャワー時間は夜の九時からだった。浴室の隣の部屋で服を脱いで待っていると、ひとつ前に使っていた松永先輩が、スタイル抜群の身体にバスタオルを巻いて出てきた。

「こんばんは」と挨拶すると、松永先輩はからかうように「小さいね」と言った。

「女は見た目じゃなくて中身ですよ?」

「いくら髪染めても、振り向いてもらえないんじゃ無意味だしね」

 意外と素直な返事が返ってきて驚く。そんな雪菜を見下すように、先輩は尋ねてきた。

「小説、書いてるって言ってたね。いつか私にも読ませてよ」

「スノウ・ウーマン。『ときめき小説ランド』ってサイトに投稿してるので、もしよければ」

 松永先輩は「ふーん」とうなずくと、Tシャツと短パンを身に着け、髪をまとめながら部屋を出ていった。もしかすると案外いい人なのかな? しかし、雪菜がシャワー室に入ると、シャワーのヘッド部分が、背の低い雪菜じゃ届かない場所に戻されていた。


 その夜、拓海は二階奥の広い部屋で布団を敷いて、男子部員で集まって休んでいた。同室の部員たちはすぐに寝てしまったが、拓海だけは蕾のことを思い出してしまって、どうしても寝付けなかった。

 スマホの電源を付けると、時刻は十一時半。拓海はタオルケットを剥いで部屋を出た。らせん階段を降りると、ソファで梅咲さんが横になっていた。静かに隣を通ると、不意に「桜木くん?」と彼女が口を開いた。

「なんだ、起きてたのか」

「私の部屋、みんな喋っててうるさくてね。今から外で星見てこようと思うんだけど、桜木くんも来る?」

 拓海が「行く!」と答えると、梅咲さんはソファから起き上がった。

 ログハウスの玄関のドアを開けると、外には涼しい風が吹いていた。街に吹く風は生ぬるいのに、山だとこんなに心地いいのか。拓海は大きく伸びをしながら、昼頃部活をしていた場所へ歩いた。

 その場所に着くと、急に梅咲さんがしゃがみ込んだ。そのまま地面に身を預け、あおむけになって夜空を眺める。

「見て、星空が綺麗だよ! 桜木くんも横にならない?」

 拓海はうなずいて梅咲さんの姿勢を真似した。しっとりとした土の感触が心地いい。ほんのりと草の匂いが鼻をかすめ、耳を澄ませると虫の鳴き声が聞こえてきた。

「それで、桜木くんは体調よくなった?」

「少しはね。前話した、亡くなった妹のことで落ち込んでたんだけど、やっぱり過去は変えられないしな」

「桜木くんも辛い思いしてたんだったね」

 梅咲さんは寄り添うような声で言った。虫の鳴き声がBGMのように鳴り響いている。

「私も桜木くんの仲間だよ」

「そうだな。演劇部同士、頑張らないと」

「私が言った『仲間』は別の意味。実は、私も数か月前にお兄ちゃんを亡くしてるの」

 拓海は頭の中で、線と線が繋がるような感覚を覚えた。梅咲さんは不登校だったが、それには家族の死が関わっていたのか。

「お兄ちゃんは辛い思いをしたんだ。だから、その気持ちには寄り添いたいけど、私はどうしても許せない。残された家族のことも考えてほしかった。一生癒えない傷を負って、残りの人生を歩まなくちゃならないんだって。それを考えてくれてたら、自ら命を絶つなんて選択はしなかったと思う。まあ、私なんかが言えることじゃないんだけどね。話聞いてくれてありがと。まとめると、私たちは似た者同士だってこと」

「似た者同士、か」

 拓海は言葉を反芻しながらも、心のどこかでは正反対だと思った。梅咲さんのお兄さんは自ら死を選んだ。対して、蕾は望まずしてこの世を去った。ふたりの死は似ているようでいて全くの別物だろう。

「話したらスッキリしたよ。美紀たちも静かになったかもしれないし、私は部屋に戻るね」

 拓海は梅咲さんが草を踏みしめる音を聞きながら、南の空に輝く三角形を眺めた。


 翌朝、拓海たちは大広間で朝食を食べると、外に出て部活を始めた。一晩明けたことで拓海は心の切り替えができ、いつも通りの凛とした演技で部員たちを安心させた。

 そして、大広間に十時の音楽が流れる。演劇部は練習を終わりにし、玄関前に荷物をまとめた。拓海たちはお世話になった雪菜のおじさんとおばさんに、部員全員で「ありがとうございました!」と頭を下げた。

 帰りはみんな疲れきった様子で、行きと比べて口数も少なかった。そんな感じでバスに揺られて、演劇部と雪菜と月島は鳳花高校に帰ってきた。拓海は手早く帰りのミーティングを済ませ、解散の合図を掛けた。

 帰り道、拓海は腹が減って仕方なかったので、例のハンバーガーショップに寄って昼食を食べていくことにした。

 店内に入ると、いつもの窓際の席に、大きなヘッドホンをつけた男性客がいた。拓海は彼の近くの席を選んだが、注文を済ませたときに、目が合ってしまった。

「僕の顔に何かついてるのかい?」

 拓海は疲れた脳を動かしながら、「そのヘッドホン、大きいなと思って」と答えた。

「ああ、これかい。演劇の音声講座を受けていたのだが、さすがに奇抜すぎたか」

「演劇ですか? 実は俺も演劇部なんです」

「変だね、県内の演劇部員で僕の顔を知らないなんて。ももみつるという名をご存知かい?」

 ふと、拓海は思い出して、大声を出した。

「お前、もしかして風宮学園の、いつも模試で全国トップの!」

「仲良くもないのに『お前』呼ばわりするなんて失礼だね」

 彼――桃瀬は前髪をかき上げながら答えた。そう言えば、この顔は何度か見覚えがある。今まで接点こそ少なかったが、確かに地区発表会で、桃瀬は毎回大活躍を収めていた。

「そう言う君は何者かい?」

「鳳花高校の桜木拓海だよ」

「鳳花ってことは、少し前まではかなりの演劇名門校だったところだよね? 来週の発表を楽しみにしてるよ」

 桃瀬はコーヒーを飲み干すと、ヘッドホンをカバンにしまって立ち上がった。拓海がスマホに視線を戻すと、店員がテーブルにてりやきバーガーを運んできた。

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