第四話 山奥のログハウス

 長らく雨が続いている中、珍しく晴れた七月某日。演劇部は雪菜に先導されながら、バスを二台乗り継いで、二時間かけて目的地の別荘にたどり着いた。県境の山奥にある巨大なログハウス。広々とした庭を眺めていたら、雪菜のおじさんとおばさんが出てきてくれた。拓海が「お世話になります」と頭を下げると、ふたりは嬉しそうに返事を返してくれた。

「なかなか人と触れ合う機会がなくてね。おかげで寂しかったから、久々にこんなに大勢の人と会えて嬉しいよ」

「そうなんですか。確かに街に出ようと思えば、三十分くらいはかかりそうですよね」

「もっとかかるよ。それはそうと、いつも雪菜がお世話になってます」

「もとは大家族だったので、使ってない寝室がたくさんあるんです」と雪菜。人数が多いので心配だったが、この様子だと平気そうだ。

「外だと蚊もいますし、中に入りましょう」

 雪菜がログハウスの中へ案内する。拓海はログハウスに入るのが初めてだが、室内は予想以上に木の家といった感じで、優しい香りと自然の温もりを感じる作りになっていた。

 大広間に到着すると、そこには大きなテーブルと、柔らかそうなソファと存在感溢れる暖炉があった。夏の今こそ暖を取らないが、きっと冬に来たら大活躍するのだろう。

「さっそく集合させたいところだけど、長旅で疲れてるだろうし、しばらく休憩にしよう」

 部員たちに声を掛けると、みんなは解放されたように荷物を降ろした。拓海は雪菜に場所を教えてもらってトイレに向かった。

 トイレは一階のらせん階段の近くにあった。しかし、使用中らしく鍵がかかっている。仕方なく待っていると、水を流す音が聞こえて鍵が開いた。トイレから出てきたのは、驚くことによく知る眼鏡の男子生徒だった。

「月島⁉ どうしてお前がここに⁉」

 すると、月島は当然のように「竹原さんに呼ばれたんだ」と答えた。

「前に竹原さんと話したことがあってね。そのとき、いつか竹原さんの小説について語り合おうって話になって、なかなか話すタイミングがなくて困ってたら、彼女、ツッキー先輩も合宿に参加しませんか、って。そんで、お前らと一緒は迷惑だと思ったから、ひとつ早めのバスに乗って、先にここで待ってた」

「ちょっと何言ってるかわかんない」

 月島はご機嫌そうに「わからなくて結構!」と言うと、大広間に戻っていった。全く、どこまでも自由な奴だ。拓海はトイレに入ってズボンのベルトを緩めた。


 雪菜が大広間で待っていると、ツッキー先輩が戻ってきた。雪菜はテーブルのイスに腰掛け、ポットのお湯で淹れたコーヒーを、自分と先輩の前にひとつずつ置いた。

「今日は遠くからありがとうございます!」

「こちらこそ、関係者でもないのに招待してくれてありがとな」

 ツッキー先輩はカップの取っ手を持ってコーヒーをすすった。

「文芸部を守る話はうまくいきそうか?」

「それなんですけど、今、連載しているのとは別の作品で応募しようと思ってて。だけど、なかなかいい話の案が降ってこなくて……」

「でも、締め切りは九月だろ? まだ時間はあるし、焦らず考えていけば大丈夫だよ」

「ですね……ちょっと心配だけど」

 すると、先輩はコーヒーカップのふちを指でなぞりながら言った。

「恋愛はタイミングが重要だったな。それ、小説書くときにも言えるんじゃねえか?」

「どういうことですか?」

「テレビで見たんだけど、創作をするとき、完成品のクオリティとかけた時間は比例しないんだって。締め切り間際に凄いプロットが思い付くときだってあるし、書きたいときに書くくらいのほうがいいと思う。要は趣味の延長線上なんだから、嫌いにならない程度に頑張れってことよ」

 先輩は話をまとめると、再びコーヒーをすすった。湯気で眼鏡が曇っている。雪菜はティッシュを彼に手渡しながら言った。

「もし、公募の小説が完成したら、それも読んでくださいますか?」

「もちろん。というか、まずは『冬の匂いがした』の感想から語り合わないか?」

 雪菜がうなずいたところで、桜木先輩が大広間に戻ってきた。廊下の大きな置時計を見ると、十一時の音楽が流れようとしていた。


 休憩時間になると、美紀と香里は身体中にスプレーを塗って家の外に出た。ログハウスの外はまさに山といった感じで、美紀たちの街では味わえない自然で溢れていた。

「香里はまだ入部直後なのに、主演に抜擢されていて凄いな。将来の夢は女優さん?」

「昔はそうだったけど諦めたの。無理して有名になるくらいなら、収入が安定していて、そこそこ幸せなくらいの未来がいいなぁ」

 香里は穏やかな声で答えた。山の奥から吹いてきた風が、彼女の髪を揺らしている。

「ライバル校の話は聞いた? 風宮かぜみや学園ってところで、毎回地区上位の成績を収めてる」

「確か、凄く頭のいいところだよね?」

「そう。学力偏差値が県内トップの進学校。あそこの演劇部は三年生がたくさんいるのに、二年生が部長を務めてて、そいつが全統模試で国内一位を取った凄い奴なの」

「へぇー、凄いね! 全国トップなんて、早く会ってみたいなぁ」

「おーい、そろそろ練習始めるぞ」

 遠くから拓海の声が聞こえてくる。ふたりはログハウスの玄関前へ走った。


 それから一時間が過ぎ、雪菜はツッキー先輩に褒めてもらって満足したので、昼食の準備を手伝うことにした。キッチンではおじさんたちが野菜を洗っていた。「何作るの?」と尋ねると、「夏野菜カレーだよ」と返ってくる。

「カレーか、大人数にはピッタリだよね。野菜切るの手伝っていい?」

「いいけど、手洗ってからね。指怪我しないように気を付けてやるんだよ」

 雪菜は石鹸で手を洗った。おばさんが「学校は楽しいかい?」と声を掛けてくる。

「凄く楽しいよ。昔は好きなことがなくて退屈だったけど、今は小説書けるようになったし、褒めてくれる先輩だっている」

 野菜を切っているうちに、大広間が賑やかになっていく。演劇部が練習を終えて帰ってきたようだ。カレーが完成した頃には、大広間の時計は十二時半を示していた。雪菜は並々までルーが入った大きな鍋を、大広間のテーブルに持っていった。スパイスの効いたいい匂いが、広い部屋を満たしていく。

 それからみんなは手を洗って、カレーを配膳した。そして、テーブルの話題は世界旅行の話に変わっていった。雪菜のおじさんとおばさんは海外旅行が趣味で、おじさんは自分の思い出話を交えながら尋ねた。

「みんなは海外に行くなら、どこ行きたい?」

「私はやっぱりハワイかな」と梅咲先輩。松永先輩は「ベトナム行ってみたい」と答えた。

「ベトナムって英語圏ですかね?」

「あそこはフランスの植民地だったからフランス語。ホーチミンって偉人がいるでしょ?」

「私、知ってます」とでも言いたげなアピールをされて、雪菜はイラっとした。桜木先輩はどこに行きたいんだろう? 彼に視線を移すと、なぜか顔色が悪かった。席を立ち上がり、「休んでくる」と大広間を出ていく。

 追いかけようとしたら、ツッキー先輩に止められた。しかし、桜木先輩は昼食が終わっても、置時計が二時の音楽を流しても、大広間には帰ってこなかった。


 美紀は昼食を終えると、皿洗いをさせてほしいと申し出た。竹原さんは邪魔な恋敵だが、家を借りさせてもらっている身として、何も手伝わないわけにはいかない。すると、拓海とよく話している月島という男子も、「俺にもやらせてください」と手を挙げた。

 キッチンの流しで、スポンジに洗剤をしみこませる。黙って皿や鍋を洗っていると、案の定、月島が話し掛けてきた。

「松永って俺と同じ中学だよな? 一年の頃は先生たちから信頼されてたのに、どうしてそんなチャラくなったんだ?」

 美紀は突き放すように「知らない」と答えた。しかし、この男は空気が読めない。美紀の気持ちを無視してしつこく話を続けてきた。

「短いスカート丈、茶色く染めた髪。普通の男からしたら近寄りがたいよ」

「別にあんたに好かれたくてやってない」

 美紀は話しながら、どんな言葉が返ってくるかわかっていた。すぐに「なんでもない」と撤回し、茶碗を乾燥機に入れる。

「いつまで意地張るんだ? それと、江田山えだやまとはあまり関わらないほうがいいよ」

 江田山エリカはクラスの上位カーストグループのリーダーで、髪の毛先を水色に染め、耳に青いピアスを付けている。

「別に、私が誰の隣にいようと、あんたには関係ないでしょ?」

「そうかい。俺もこれ以上は言わねえけど、社会の規律から外れたことはすんなよ?」

 月島はそう言うと、まだ半分ほど残っている皿洗いを美紀に押し付けて、キッチンを去っていった。なんなのあいつ? 美紀は鍋を拭きながら、彼の後ろ姿を睨みつけた。


 午後の練習は二時半から始まった。練習内容は劇のリハーサルで、開始から終了までの約四十分を流しで演じる。劇の序盤はミスなく終わったが、問題は拓海が登場したときに起こった。普段は観る人を惹き込んでくれる彼の演技が、今日はパッとしないのだ。そして、結局みんな集中できないまま、合宿一日目のリハは終わった。

 リハが終わると、美紀はみんなを休憩させ、拓海を連れてログハウスの蔭へ向かった。

「桜木くん、やる気ないんなら帰って⁉」

「ごめん。ちょっとしんどくなってきてさ」

 珍しく辛そうな声を出す拓海。心の中の怒りを心配が上回り、美紀は気付けば、「大丈夫?」と声を掛けていた。

「……蕾と一緒にいたときのこと、思い出したんだ。やっぱり、あいつを死なせたのは俺のせいだし、生前だってひとつも兄らしいことをしてやれなかった」

「拓海は何も悪くない!」

 言ってから、自分が相手を下の名前で呼んだことに気付いた。拓海は「どうしても蕾のことばかり考えてしまう」と語り始めた――。

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