第一話 暗い顔の少女

 月曜夕方五時。国道沿いに新しくオープンしたハンバーガーショップは大賑わいを見せていた。拓海は窓際のテーブル席に腰掛け、スマホをなぞりながら注文が届くのを待っている。この頃は木々の緑が色濃くなり、街に吹く柔らかな風が葉っぱを揺らしている。

 拓海はスマホの画面をスワイプすると、アプリを閉じて端末をテーブルに置いた。さっきまで読んでいたネット小説がひと段落着いたのだ。同じ高校の後輩文芸部員の小説。二作品目にしてあまりに完成されすぎていて、毎度更新されるたびに驚かされる。

 いいタイミングで、店員が注文した商品を運んできた。包み紙を開けて、てりやきバーガーにかぶりついたとき、ふと窓越しの歩道を歩いている少女が拓海の目に留まった。

 その少女はホームセンターの大きな紙袋を持っていた。服装は地味で、表情もやけに暗めだ。何かあったのかなと考えていると、少女は拓海のいる店に入り、拓海の隣のテーブル席に座った。拓海は自分のバーガーを食べながら、彼女から目を離すことができなかった。さっきより近くで見るその顔が、昔死んだ自分の妹にそっくりだったからだ。

 ふとスマホがLINEの通知を鳴らした。送り主は竹原たけはら雪菜ゆきな――さっきの小説の作者で、要件は新作小説の感想を教えてほしい、とのことだった。『時間のあるときに話すよ』と送ると、ハムスターのスタンプが返ってきた。雪菜いわく、これは彼女の飼っているハムスターに似ているんだとか。

 テーブルの包み紙を丸めながら、スマホをカバンにしまう……と、そのときだった。カバンのチャックから財布が滑り落ち、中の小銭が派手に音を立てて床に散らばった。

 慌ててカバンを降ろし、しゃがんで小銭を拾い集める拓海。近くのものを拾い終えて顔を上げると、さっきの少女が同じようにしゃがんでいた。少女は暗い表情のまま、立ち上がって拓海に小銭を手渡した。

「これ。落ちてたので、どうぞ」

「ありがとうございます」

 礼を言いながら小銭を受け取る。気にしないつもりだったが、それでもやっぱり気になってしまったので、拓海は続けて話し掛けた。

「あの、顔色悪いですけど大丈夫ですか?」

「お気遣いありがとうございます」

 少女はそっけなく答えて、イスに座り直した。拓海が財布の中身を確認していると、不意にさっきの少女がボソッとつぶやいた。

「……鳳花ほうか高校の人なんですね」

 尋ねているのかどうかわからない大きさの声。拓海は「そうですけど?」と返答した。

「……やっぱり。私も鳳花の生徒なんです」

「それならまた会えるかもしれませんね。俺は桜木拓海。もし学校でお互い見かけたら、そのときはよろしくお願いします」

「どうでしょう? 多分、もう会えないかも」

「いや、同じ学校にいるなら会えますよ。君の名前と学年は?」

うめさき香里かおり。二年です」

「綺麗な名前だね。俺も同級生だから梅咲さんと仲良くなりたいな」

 ああ、今のはさすがに言いすぎたかもしれない。しかし、気のせいか彼女の表情が、少しだけ明るくなったように思えた。

「無理強いはしないけど、もし何か悩みがあるのなら、俺でも他の友達でもいいから、ひとりで抱え込まないで相談してね。じゃあ、また学校で会える日を楽しみにしてるね」

 梅咲さんのテーブルにバスケットが届く。拓海は彼女の足元の紙袋を眺めながら、邪魔にならないようにお会計のレジへ進んだ。


 次の日、拓海は鳳花高校に登校すると、下駄箱の名簿を調べた。すると、驚くことに梅咲香里は、自分のクラスにいた。下駄箱に靴はないため、まだ来ていないみたいだ。

 教室に着くと、眼鏡をかけた隣の席の男子・月島つきしまが来ていた。拓海はイスに座りながら、気になっていたことを尋ねた。

「月島は梅咲香里って子、知ってるか?」

「不登校の奴だろ? 始業式以来、一度も来てなかったはず」

 思えば、そんな子もいた気がする。拓海はカバンの教科書を引き出しに移し替えた。

 その日の昼休み、拓海は月島と昼食をとると、ひとりで一年の階へ向かった。教室のドアの隙間から中を覗くと、髪を低いところでふたつ結びにした、小柄な女子生徒と目が合った。この一見普通の彼女こそが竹原雪菜。小説投稿サイトで十万PVを達成した新人作家だ。処女作の「冬の匂いがした」は、投稿直後から大反響を呼び、瞬く間にその名は有名になった。雪菜は「桜木先輩!」と、目を輝かせながら廊下に出てきた。拓海は雪菜を連れ、小説のことを話しながら歩き始めた。

「読んでくださってありがとうございます!」

「雪菜の小説、面白いよ。創作って難しそうだから、趣味にしてる雪菜は凄いと思う」

 休憩室に着くと、そこには誰もいなかった。この部屋には自動販売機があって、生徒たちは自由に利用できるのだが、その反面、部屋の存在を知っている生徒は少なく、それが拓海たちにとっては「秘密基地」のようでありがたかった。拓海は自販機で缶コーヒーを二本買うと、一本を雪菜に手渡した。ふたりで円テーブルの席に座り、話の続きをする。

「先輩は最近、部活どうですか?」

「うーん、頑張りたい気持ちはあるんだけど、サボってばかりだな」

 拓海は演劇部に所属している。鳳花高校の演劇部は地区の発表会で、いつもトップクラスの結果を収めているのだが、今の代は難しいだろうとささやかれている。

「せっかくここまで練習してきたんですし、もっと本気でやってみませんか? 先輩の名演技なら、初めて見た人は絶対驚きますよ」

「今年は部内の人間関係に問題があって、優勝狙うの厳しいかも。でも、やれそうな範囲で努力はしておかないとな」

「先輩は真面目ですね。弟か妹がいそうです」

「半分正解。妹がいたんだけど、事故に遭って亡くなった。そのとき思い返したら、兄らしいことは全くできてなくて、俺は次こそ、誰かを支えられる人になりたいと思ったんだ。もし周りの力になれたら、妹に何もできなかった気持ちが晴れる気がするから」

「そうだったんですか」と雪菜。やはり恥ずかしい気持ちが膨らんできて、拓海は「今のは忘れてくれ」と謝った。時計を見ると、まもなく昼休みが終わるところだった。


 放課後、拓海が多目的ホールに着くと、明るい茶髪の女子生徒がスパルタ教育をしていた。彼女は松永美紀。妹の事故に居合わせた幼馴染だ。あれから違う中学を経て、また高校で偶然同じ学校になり、春から同じクラスになったのだが、彼女は教室では、上位カーストグループの女子たちとつるんでいる。

「今のセリフ、全然感情こもってないよ!」

 槍のような言葉におびえながら練習する部員たち。美紀は今の演劇部の部長を務めているのだが、上の代が卒業してから、演劇部はずっとこんな感じだ。そもそも今年の演劇部には三年生がいない。入部希望者がいなかったため、今年は拓海たちの代が中心に活動している。演劇部が出場する発表会は三月と七月と十一月。去年――拓海が一年生だったときの三年生は、七月の発表会を期に引退し、以降は拓海たちがメインに出場していた。

 結果はともに惨敗だった。しかし、美紀はやり方を変えず、かたくなにスパルタ教育を続け、その結果、たくさんいた演者は次々と部を離れていった。すると、美紀が拓海に気付き、パンパンと手を叩いた。

「今から桜木くんがお手本を演じてくれるから、みんなよく見てて。桜木くん、待ってあげるから、その間にセリフを暗記して!」

 そう言って拓海に台本を手渡す美紀。たちまち拓海の演者スイッチはオンになり、台本を熟読し始めた。数分後、美紀が小道具を与える。すると、拓海の凛々しい声が多目的ホールに響き渡り、見ていた同級生や後輩たちは、その迫力に思わず息を呑んだ。

 演じ終えると、拓海は「トイレ行ってくる」と噓をつき、玄関までの帰り道を歩いた。雪菜には頑張りたいと言ったが、拓海は近いうち、退部届をもらいに行こうと考えた。


 水曜日、拓海が登校して教室に着くと、梅咲香里が来ていた。華奢な後ろ姿に、肩までくらいの長さの黒髪。細い腕をせっせと動かして、カバンの中の教科書類を、机の引き出しに移し替えている。と、不意に目と目が合って、彼女は話し掛けてきた。

「桜木くん、話したいことがあるんだけど、今から時間あるかな?」

「いいよ。静かな場所のほうがいいよね?」

 カバンを手にうなずく梅咲さん。拓海は彼女を連れ、いつもの休憩室に向かった。部屋に着くと、ふたりはイスに座って話し始めた。

「私、これからは毎日登校することにしたんだけどね。昔を思い出して辛くなるの」

「別のことをして気を紛らすのはどう? 梅咲さんは何か興味持ってる部活とかある?」

「強いて言えば、演劇部かな」

「ちょっとそれは勧められないな。俺も演劇部員なんだけど、今の部長が自分勝手でね」

「でも、部活で気を紛らす案はいいと思う」

 そう言う梅咲さんは前向きな表情をしていた。さっきまでは暗かった眼差しにも、今は挑戦してみたいという意志が感じられる。

「それなら俺たちで演劇部を変えよう。今の部長は幼馴染だから、どうにかできるかも」

 その日の放課後、拓海と梅咲さんはふたりで多目的ホールに向かった。美紀は到着に気付くと、前のめりに話し掛けてきた。

「その子ってもしかして入部希望⁉」

「彼女は同じクラスの梅咲さん。見学に来たんだけど、松永の指導じゃ入部は勧められないよ。ひとりで台本作ってるけど、このままだとみんな辞めて廃部の危機だよ。だから、入部してほしいのなら、先代の部長のときみたいなやり方に戻してくれないか?」

 すると、みるみるうちに美紀の顔は真っ赤になっていき、すぐに反論が飛んできた。

「みんな台本作れないから、私が全部やってるんじゃない! 文句があるならあんたが台本作りなさいよ⁉ 締め切りは次の月曜!」

 美紀は拓海たちを部屋の外に押しやった。「どうする?」と困り顔で尋ねてくる梅咲さんに、拓海は肩をすくめながら答えた。

「やるしかなさそうだな。俺の後輩に文芸部員の子がいるんだけど、協力してもらいながら仕上げてくるから待ってて」

 拓海は優しい声で、梅咲さんを安心させた。

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