第3話
弥生という少女は勤勉家だった。
成人男性の恋愛観、外国の暮らし、国際結婚について――
アヤメが深く考えてこなかったようなことまで、事細かく聞いてくる。そして、それをきっちりとノートに記す。
金髪碧眼の見た目がそうさせるだけで、アヤメは外国育ちではないのだが、あちこちを旅したおかげで知識は豊富だ。
少し散歩をする。弥生が質問をする。アヤメが経験を交えて答えてやる。
こんなもので果たして物語を書く参考になるのかとアヤメは首を傾げたが、弥生は大いに喜んだ。
そんな日が数日続いたある日、昼下がりの公園のベンチにて。
『質問。あんたは何故、本を書こうと思ったんだ?』
ノートをどうまとめようか考えている弥生に、アヤメは何気なく質問を書いて見せた。
「それはもちろん、本が好きだから」
字を目で追ってから弥生が答える。
「本は、私を知らない世界に連れて行ってくれるから。部屋にいながらにして、いろんな冒険が出来るの。本だけは、昔も今もずっと変わらない友達なんです」
「耳が聞こえなくなってからも」と付け足して微笑む弥生の姿に、アヤメはほんのすこしだけ心が疼く。
――友達、本しかいないんだな。
この数日、アヤメは弥生が家族と話している姿しか見たことがない。
同級生と思われる生徒は寄り付かず、弥生が聞こえないのをいいことに彼女の目の前で陰口を叩く者もいた。
弥生の難聴は後天的なものらしい。「運が悪かったの」と笑っていた弥生だが、その笑顔の裏でどれだけの苦しみを背負ってきたのだろうか。
耳が聞こえなくなると、発音のイントネーションも少しずつ狂っていく。歪な発音で、弥生はゆっくり言葉を続ける。
「私も、私が出会ったような心踊る話を書いてみたくて。好きなものを自由に書いてみたいのもあるけど、誰かが読んで何か心に残るものがあったら嬉しいなって。だから、書くようになったんです」
ノートの整理に疲れたのか、弥生は鉛筆を置くと、アヤメのほうを向いてにこりと微笑んだ。
「貴方の質問に答えたから、今度はこちらの番」
『いろいろ答えているが?』
「それは物語の参考にするための質問! アヤメさんのこと、私全然知らないんだもの。少しぐらいは教えてほしいです。例えば……そうだなぁ……」
もはや拒否権などないのだろう。質問の内容を楽しそうに考える弥生を前に、アヤメは軽く肩をすくめる。
「仕事! お仕事は何をしているの?」
『大学生』
「え? でも、さっきの質問に答えてくれた時に、仕事って言っていましたよ?」
「あ~……」
しっかり覚えていたらしい。面倒なことになったと内心思いつつ、アヤメはぼかしながら答える。
『配達人みたいなもんだな』
「配達人! 郵便局の方ですか?」
「ちょっと違うな……」
「あれっ、違うって顔してる? もしかして自営業ですか?」
『話すと面倒だから割愛。人に物を届ける、配達人みたいな仕事を副業でしている』
「面倒って酷いです~」
そう頬を膨らましつつも弥生は「素敵ね」と感想を漏らした。
「人の想いを物と一緒に届けるお仕事。浪漫があって素敵です」
「そんなたいしたもんじゃないがなぁ……」
アヤメは筆談するのも忘れて苦笑する。
使者の仕事は概要だけ説明すれば綺麗なものだが、蓋を開けてみれば厄介事が多く、一つをこなすのにかなりの労力がいる。
ケースによっては人間の汚い一面を見ることだってあるのだ。実際に使者という役割を担っているアヤメからすれば、到底『素敵』には見えなかった。
「アヤメさん、苦笑してますけど本当に素敵なことですよ。配達人がいなければ、遠い場所にいる人たちに想いや物を届けられないし、届かないんです」
遠い場所。例えば、異国の地。
例えば――彼岸の地。
「自分たちでは届けられないものを、代わりに届けてくれる。縁を、繋いでくれる」
使者は、彼岸に渡った者の想いを、思い入れのある物と共に此岸へと届ける者。
「人に関わる仕事って、私、素敵だと思います」
「……そうか」
アヤメの返事は素っ気ない。黙って立ち上がる。
だが、歩き出したその横顔は、少しだけ笑っていた。
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