第2話
青年、アヤメは時を旅する旅人だ。
やや跳ね癖のあるプラチナブロンドの髪が覆うは、ギリシャ彫刻のように美しい線の顔立ち。瞳は聖なる泉の碧、涼しげな目元には魅惑の涙黒子。
まるでお伽噺から飛び出たかのような外見の彼は、その素性もお伽噺のようで、謎に包まれている。
――『存在しない』のだ。
生来時間概念から外れ、生きる時代に縛られない彼は、時を越える力をもつ代わりに人の記憶に残らない体質をもつ。
普段は時空を超えて死者と生者の想いを繋ぐ『使者』という役割を担っているのだが、いっぽう趣味ではいろんな時代をふらついて旅をする。
今は活動拠点としている現代から、五十年ほど遡った時代を気ままに歩いていたのだが――
『嫌だ』
「そこをなんとかお願いします! 異国の恋愛ものが書きたいんです! そのためには、貴方みたいな異国の方の協力が必要なんです~!」
『しつこい』
「こんなに素晴らしい巡り合わせ、しつこくもなります! 将来有望な作家の命を助けると思って!」
「……本当にしつこいな」
「何か言いました? あっ、もしかして良いお返事が……!」
「してない」
不機嫌そうに首を振るアヤメに少女が肩を落とす。
ベンチに腰を下ろしてからというものの、さっきからずっと押し問答だ。
小説を書く想像力を働かせるために、時間を取って付き合ってほしい――弥生と名乗った少女が礼の次に述べたのは、そんな突拍子もない頼みだった。
弥生とは、彼女の本名ではなくペンネームらしい。
即座に断ったアヤメだったが、弥生がなかなか諦めず今に至る。
メモ帳とペンまで取り出して、筆談で説得を試みているものの、微動だにしない壁を前にアヤメが折れそうだ。
頭痛を覚えたアヤメは、ひとまず説得をやめて先に気になっていたことを尋ねた。
『お前さん、琥珀っていう知り合いはいないか?』
「いますよ! いつ行っても図書館にいる、不思議な雰囲気の外国の人。アヤメさんもご存知なんですか? ……そういえば、雰囲気が少し似てるかも?」
『ちょっとした縁でな』
やはり、とアヤメはペンを置いて息をつく。
弥生と初対面のアヤメだが、彼女のことは知っている。
現代に生きる知り合いのお人好しな高校生――結城カンナが琥珀という怪異の頼みで探していた少女がこの弥生だ。
なんでも琥珀は『一緒に文字を勉強して、本を読めるようになろう』という弥生との約束を、健気に何十年も待ち続けていたらしい。
少女に関する手掛かりがほとんどない中、困り果てるカンナに手を貸してやったのがアヤメだった。
だから、初対面でも彼女を知っていたのだ。
最も、彼女が難聴持ちで、文字書きであると知ったのは今日が初めてだったが。
緋色の紐で結わえた三つ編みのお下げが愛らしい、セーラー服に身を包んだ弥生。
あどけなさの残る顔は少し大人びていて、漆黒の目は懇願するようにアヤメを見つめている。
彼女の手には一冊の本。赤い表紙に銀文字の分厚い長編の上巻。
五十年後の未来で、琥珀が手にする本だ。
アヤメは、もう一度深くため息をつく。
縁とは、思いもよらないところで繋がるものだと思う。
それが、この上なく鬱陶しく厄介だとも。
それでも。
「仕方無いな」
ため息と共に、弥生には届かない言葉を吐き出すと、再びペンを持つ。
『俺の知っている範囲で話くらいならする。だが、それ以上のことはしない。この条件でいいなら』
流れるような達筆を目で忙しく追う弥生。言葉の意味を理解したのか、徐々にその目が輝き出す。
「いいんですか!? 本当に!? 本当の本当!?」
「本当。協力するから近寄るな」
――つくづく甘いな、俺は。
距離の近い弥生から身を引きつつ、アヤメは内心苦笑する。
説得するほうが面倒そうで折れたのもあるが、何より知りたくなったのだ。
琥珀という土地神が、何十年も待ち焦がれ続けた彼女のことを。
「帰れるのは、いつになることやら……」
帰りなど待つ人もいないが、と心の中で付け足して、アヤメはしばらくこの時代に滞在することにした。
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