第34話 弱さ
「健太くん、大丈夫…?」
朦朧とした意識の中、僕が目を開けると、目の前には美咲ちゃん――橘さんが、心配そうな顔をして僕を見ていた。
彼女の目にはうっすら涙がにじんでいて、なんだか昔と変わらない優しさが伝わってくる。
「橘さん…無事で良かった…」
気づけば、僕の言葉が途切れ途切れに出ていた。
痛みは感じるけど、思ったよりも大丈夫みたいだ。
中野さんが回復魔法をかけてくれているのが見えて、少しずつ傷が癒えていくのが感じられる。
ただ、体がまだ重く、完全に元通りとはいかなそうだ。
「健太くん…私のことを守ってくれたんだね。ありがとう…本当に、ありがとう…」
橘さんの声に、僕の心は温かくなっていく。
懐かしい、幼い頃の思い出が蘇る。
あの頃、僕はもっと彼女に強く言えたし、あの時の僕は、美咲ちゃんを守ってたはずだったのに、何でこんなに時間がかかったんだろう。
「そういえば、『健太くん』って呼んでもらうの、久しぶりだなぁ。小学校以来、かな?」
僕が微笑みながらそう言うと、橘さんの頬が赤くなって、視線を逸らす。
僕も、自然に笑顔がこぼれていた。
彼女の優しい表情を見て、なんだか嬉しくなったんだ。
そこへ山下先輩が、僕を冷静に観察するように見下ろしていた。
「なるほどな。佐藤くん、レベルアップで頑強さが強化されたからここまで耐えられたんだな。俺たちの戦闘力にも追いつくレベルだぜ」
山下先輩から、そんな風に褒められるなんて思ってもみなかった。
驚いて目を見開いている僕に、山下先輩はしっかりとした眼差しを向けていた。
その言葉を聞いて、僕はなんだか照れくさくなり、つい目を逸らしてしまった。
だけど、その時だった。
佐々木くんが少し前に出て、険しい表情で僕たちを見下ろしていたんだ。
「ふん、なんか二人、昔からの友達っていう関係があるみたいで、見てるこっちが呆れるよ。橘さん、そんなに彼が大事なのか?」
佐々木くんの言葉に、周囲の空気が凍りつく。
僕も橘さんも、驚いて彼の方を見た。美咲ちゃんが、驚いた表情で彼を見つめているけれど、彼はその視線を受け止めることなく、そっぽを向いていた。
「佐々木くん、そんな…」
美咲ちゃんがか細い声で佐々木くんを宥めようとするが、彼の顔には複雑な感情が浮かんでいた。
佐々木くんの目はどこか遠くを見ていて、彼が何を考えているのか、僕にはまったくわからなかった。
すると、高木くんがため息をつき、佐々木くんに冷ややかな視線を向けた。
「翔太、今はそんな話をする時じゃないだろ。佐藤くんがここまでして橘さんを守ったんだぞ?」
彼の言葉に佐々木くんが一瞬、目を伏せた。
言い過ぎたと思ったのかもしれないけど、彼の顔には、まだ怒りが残っているのがわかる。
それよりも、橘さんは怪我してないだろうか?
心からそう思った。
橘さんに少し笑ってみせると、彼女も小さく微笑んでくれた。
僕が今まで見てきたどの瞬間よりも、優しい表情だった。
「橘さん、怪我は…ないよな?」
彼女は少し驚いたように僕を見てから、ゆっくりと答えた。
「うん、大丈夫…健太くんこそ、大丈夫なの?」
彼女がそう言いながら、そっと僕の手を握ってくれる。
彼女の手が温かくて、僕は自然とその手のぬくもりを感じ取った。
僕があの頃、思い描いていたようなヒーローじゃないかもしれないけど、少しでも近づけているんだろうか。
「それに、健太くん…また『橘さん』じゃなくて、昔みたいに『美咲ちゃん』って呼んでほしいな」
その言葉に僕は少し戸惑った。
でも、気づけば自然と微笑んで「美咲ちゃん」と呼んでいた。
あの頃の記憶が鮮やかに蘇ってくるようで、心が温かくなる。
彼女も懐かしそうに僕を見つめてくれていて、まるであの小学生の頃に戻ったかのようだ。
そんな穏やかな時間が流れたのも束の間、突然、険しい声が僕たちの温かな瞬間を断ち切った。
「俺…もう、パーティーを抜けようと思う」
その声に、美咲ちゃんが驚いたように目を見開く。
声の主は佐々木くんだった。
彼は僕たちの方を見ながら、険しい表情をしている。
僕たちがそれぞれの気持ちを言葉にし始めた今、彼の心の中にある思いもまた、複雑に交差しているのかもしれない。
「翔太、ここまで一緒にやってきたのに…どうして?」
高木くんが佐々木くんに問いかける。
だが、佐々木くんは視線を逸らし、どこか遠くを見るような目をしている。
そして、その視線を鋭く美咲ちゃんに向け、重い口調で言葉を続けた。
険しい顔で口を開くと、声を低くしながら僕を指差した。
「橘さん…お前は、俺の気持ちなんて全然わかっちゃいないんだろうな。俺だって、あいつと同じくらい命をかけて戦ってきたんだ。佐藤よりも俺の方が強いはずなのに!」
その言葉を聞いて、僕は驚きと動揺を隠しきれなかった。
自分の気持ちがただぶつかっているだけなのか、彼が今こうして話していることに、本当に気持ちを込めているのか、僕にはまだわからなかった。
けれど、彼の言葉の重さがズシリと胸に響く。
確かに僕は弱い。
弱すぎる。
言い返せない悔しさが胸に広がる。
「佐々木、それは見苦しいぞ。俺たちはチームとしてここまでやってきた。個人の強さの話じゃないだろ?」
高木くんが眉をひそめて言うと、佐々木くんはその言葉に反応するように、高木くんの胸元を掴んだ。
「どうせお前は優花と一緒にいて、楽しいんだろう!二人で仲良くやっていけよ、勝手にイチャイチャしやがって!」
その言葉が中野さんにも向けられると、彼女の顔には驚きと、どこか悲しげな表情が浮かんでいた。
「お前だってそうだよ、優花。俺のことなんてどうでもいいんだろ?結局、いつも拓海と一緒にいて、俺なんか必要ないんじゃないか?」
彼女は口を開いて何かを言おうとしたが、その瞳はどこか寂しげだった。
彼女はゆっくりと唇を引き結び、佐々木くんを見つめたまま、言葉を発することはなかった。
そして、山下先輩が二人の間に割って入った。
「やめろ、翔太」
彼は強い声で佐々木くんを制止し、その鋭い視線で佐々木くんを見つめた。
佐々木くんは少しだけ視線を逸らし、悔しそうに息を吐いた。
「連さん、俺は…もうここにはいられない。橘さんのために佐藤がボロボロになってまで助けに来てる。俺はあいつよりずっと強い田中ごとき相手にそんな風にはなれないし、なりたいとも思えないんだ。みんなのために頑張ってきたつもりだったけど…やっぱり、俺は自分がどうしたいか、もう一度考えたい」
そう言って俯く彼の姿に、僕は何も言えなかった。
彼がここまで苦しんでいたことを知らなかった。
僕たちみんな、それぞれに思い悩んでいたんだ。
そんな時、中野さんが少し前に出て、穏やかな声で口を開いた。
「私も、少し考えたい。拓海と相談して、しばらくダンジョンから離れてみるわ。美咲、私たちもそれぞれ、何か見つめ直す必要があると思う」
「そうだな、橘さん」
高木くんが続ける言葉は、冷静で、それでもどこか決意が込められているようだった。
「俺たち、今のままじゃお互いを守り合うこともできない。こうやって傷つけ合う前に、それぞれが立ち止まって、自分自身と向き合うべき時かもしれない。それがきっと、今なんだ」
その言葉に山下先輩も深く頷き、僕の方に視線を向けた。
「俺も、橘、お前が今の状況で無理をしているのは分かっていた。でも、無理をしているのはお前だけじゃない。皆も、気づかないふりをしていただけだ。こうして、チームがバラバラになるなら、それぞれが今一度自分を見つめ直してから、また集まろう。それまでは、一旦距離を置くべきだ」
美咲ちゃんの目には涙がにじんでいて、彼女も同じように、胸に重くのしかかる思いを抱えているのがわかった。
「…ごめんなさい、私のせいで…」
彼女が泣きながら謝るその声が、僕の胸に突き刺さった。
だから、彼女を抱きしめる代わりに、彼女にただ寄り添うように肩に手を置いた。
「美咲ちゃん、無理しないでいいから」
けれど、その言葉をかけるのと同時に、彼女は駆け出していった。
「…ごめん、みんな、本当にごめんなさい!」
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