最終話 春の遺言
それから三人は宇佐美さんの車に乗って、神無学園大学を出発した。宇佐美さんが運転しながら話し掛けてくる。
「四人の絆には感動したでござる。どんなときも協力して乗り越える姿が素晴らしい。それと、拙者には歌手の事務所に勤める友人がいて、オーディションをしているのでござる。蒼谷殿なら退院できると信じているので、元気になったら挑戦してほしいでござる」
「私たちも、美咲なら大丈夫だと信じています。私、昔、おじいちゃんと喧嘩して、仲直りできないまま、死なせてしまったことがあるんです。実は今朝も、美咲のお見舞いに行ったとき、口喧嘩になってしまいました。でも、今回こそは仲直りしてみせます。傷付けたまま別れるなんて、絶対にさせません!」
それから四人は車に揺られ、美咲の病院に到着した。三人は宇佐美さんに礼を言って降車し、病院の自動ドアを抜けた。
美咲の病室にはご年配の医者と、ふたりの看護師と、美咲のおばさんがいた。美咲の病衣から伸びた何本もの管が、心電図のような大きな機械に繋がっている。おばさんは三人に気付いて、「ほら、みんなが来てくれたよ?」と美咲に声を掛けた。
ひばりが近付くと、美咲は青白い顔をしたまま、両目を閉じて眠っていた。ひばりは泣かないと決めていたが、つい感情が高ぶってしまい、叫ぶように放った。
「美咲、死なないで! 私とデートするんでしょ? 美咲にとってはプレッシャーでも、私には美咲しかいないんだよ? 小学校時代の話、読んだよ。私のアドバイスで美咲が歌を始めて、そんな美咲の弾き語り配信で、私が創作を始めたんだね。私たちはお互いがいなかったら、今の私たちになれなかった。だから、私たちの再会は運命で、まだ終わらせたくないの! お願い、目を覚まして!」
すると、機械が音を鳴らし、医者と看護師が驚いた声を上げた。不意に美咲が両目を開け、ひばりと目が合った。
「私もずっとひばりといたい。月都や亀川くんとも思い出作りがしたい。私、まだ諦めない。絶対に退院してみせるから!」
四人は涙ぐんでいた。お医者さんが機械の数値を確認して、「急激に回復しています」と、美咲のおばさんに伝える。おばさんは「本当によかった」と泣き崩れた。
その後、美咲は医者すらも、「普通じゃ起こらない奇跡」と話すほどの回復を見せ、なんと、クリスマス一週間前に退院できた。美咲が久しぶりに登校した日の放課後。創作サークルの四人は、数か月ぶりに視聴覚室に集まった。前期の頃に、活動していた懐かしい部屋は、昔と雰囲気が変わらず、四人は安心した。美咲は入院中に支えてくれたお返しにと、有名なお店で買ったという高価なチョコレートを渡してくれた。
「今日のチョコには、お泊り会のときみたいにお酒は入ってないよ」
「美咲はアルコールに弱いから、ブランデーチョコ食べると酔っちゃうもんね」
ひばりのいじりに笑う美咲。当たり前のようだが、この平凡な日常こそが、何よりも大切な時間だと、今のひばりたちは知っている。
「体調は完全によくなったみたいだな」
「年内は大丈夫そうだけど、完治はしてないよ。でも、みんなとお花見するまでは、元気でいるって決めたから、春までは一緒!」
「僕はその先、夏も、秋も、次の冬も、蒼谷さんと一緒にいたいな。いつまでだとか決めずに、ずっと四人でいたい」
「ありがと。みんな大好きだよ! みんなは私に、数えきれないほどの幸せをくれた。だから、今度は私がみんなに幸せを返していく番だよ。まずはクリスマスに、ひばりとデートする。そして、来年になったら、この四人でも集まって遊ぼうね!」
「ありがとう。来週のクリスマスデート、楽しみにしてるよ!」
ひばりは長机のチョコに手を伸ばした。ふと窓の外を見ると、雪が降っていた。外がどれだけ寒そうでも、視聴覚室の中は、暖かい空気に包まれていた。
吐く息の白い、クリスマスの朝。色とりどりのイルミネーションが輝く遊園地で、ひばりは美咲を待っていた。この遊園地は、夏の初めに美咲と虎山くんの三人で遊びに来たところだ。今思い返すと、ひばりたちはこの半年で、見違えるほど成長した。
そわそわしながら待つひばりの前を、多くのカップルたちが行き交う。遅いなぁとスマホの時計を見ると、既に約束の時間を三十分も過ぎていた。きっと美咲のことだし、デートだからと張り切って、化粧を頑張っているのだろう。しかし美咲は、それからさらに三十分経っても現れず、ひばりが送ったLINEにも、既読は付かないままだった。
心配を飛び越えて退屈になり、ひばりはSNSを開いた。トレンドのニュース欄をスクロールする。そのとき、不意にひばりの大学付近で起こったニュースが目に留まった。
『工事現場の鉄骨が落下。歩道を歩いていた女性に直撃し、意識不明の重体』
不意にひばりの頭に、文化祭のときのココシガのシュガーの言葉がよぎる――蒼谷の家の裏で、工場建てる工事やってるだろ? ひばりは嫌な予感がして、ニュース本文の「続きを読む」ボタンをタップした。
『事故に巻き込まれたのは、県内の大学に通う蒼谷美咲さん(19)と見られている』
その後、県内の病院にて、美咲の死亡が確認された。その年の残りの数日、ひばりはあまりのショックで記憶がなかった。なぜあのとき、美咲はこれからもしばらくは生きられると、勝手に思い込んでいたのだろう? 余命宣告は「そのときまでは生きられる」という意味ではない。美咲が何度も話していたように、ひばりたちはいつ死んでしまうのか、誰にもわからないというのに。ひばりは立ち直れず、美咲のお葬式にすら、参列することができなかった。
年が明けてから少し経ったある日、ひばりと虎山くんと亀川くんは、美咲のおばさんに呼ばれて、蒼谷家を訪れた。三人ともまともに挨拶すら交わせないほど、気持ちが沈みきっていた。リビングに入って、仏壇に線香を添えると、写真の中の美咲と目が合った。その笑顔はくすんで見え、いつもひばりの隣にあった笑顔とは、まるで別物のように感じられた。三人は美咲のおばさんに案内され、テーブルに向かい合って座った。
「みんな今日は辛い中、来てくれてありがとう。美咲は生前、私に隠れてメッセージビデオを撮ってたみたい。みんなにも見てほしいらしいから、今から見せるね」
おばさんはそう言うと、手元のノートパソコンを開いた。動画を再生すると、病室の白い壁を背景に、美咲が話し始めた。
『久しぶり。みんな、元気してるかな? いや、このビデオを見ているということは、多分、落ち込んでいるよね。私、みんなにまだ伝えてなかったことがあります。私は余命宣告をされた日、自分自身と約束しました。私みたいな普通の人が死んでも、世界は変わらず廻ります。いや、普通の人間じゃなくても、きっと誰が死んでも、明日は当たり前のようにやってきます。でも、それじゃ満足できなくて、代わりに目標を立てました。それは私の死を受けて、誰かの中の世界が変わるような人になることです。私は大学に入って、ひばりたちと出会ったあのときから、その『誰か』が三人になりました。私と関わって、死を乗り越えて、三人の中の世界が変わってくれると嬉しいです。あと、私、できればひばりみたいに、自分で曲を作って歌いたかったな。将来の夢はシンガーソングライターだったんだよね。最後に、寒い日が続きますが、お身体には気を付けてください。皆さんのこれからの人生が、特別なものになりますように。大好きなみんなへ、美咲より』
ビデオが終わる頃には、虎山くんと亀川くんは号泣していた。思い返せば、美咲はいつだって春をまとっていた。冬の終わりとともに、新たな季節を知らせる春を。みんなを優しく包み、幸せを呼び込んでくれる春を。
「創作サークルの皆さん、美咲を幸せにしてくれてありがとう。皆さんと出会って、一緒に作品を作れたことは、美咲の中で、誇らしい思い出になっていると思います。今の美咲の言葉が、少しでも皆さんの未来に役立ってくれると嬉しいです」
おばさんが頭を下げる。顔を上げると、リビングに柔らかい光が差し込んでいた。まだ完全に心の切り替えはできないが、ひばりにはその光が、天国の美咲が「ひばりなら大丈夫だよ」と励ましているように思えた。
大学が春休みに入ったある日。ひばりはアコギのケースを背負って、とあるビルに向かった。ここはシンガーソングライターを目指す学生が挑む、オーディション会場。美咲の様態が急変した日、病院への道中で宇佐美さんが話題に出したものだ。ひばりはボカロを卒業し、自分で歌う活動に移っていた。本当に伝えたいことは、自分自身の歌声に乗せたほうが、想いが伝わると思ったのだ。
「エントリーナンバー最後の方」
自分の番号が呼ばれて控室を出る。ひばりが会場のドアを開けると、サングラスをかけたおじさん審査員が手を挙げて挨拶した。
「こんにちは。今日の意気込みをどうぞ」
「私はこの一年間で、普通の人が味わえないような、刺激的な体験をしました。もう会えないけど、私に大切なことを教えてくれた人に、歌に乗せて伝えたいことがあります」
ひばりはギターを鳴らし、息を吸った。歌いながら、ひばりは一年を振り返った。今年度はコロナ明けにふさわしく充実していた。それは、ひばりのほうから積極的に動き、毎日が輝く努力を重ねたからだ。そして、このことに気付かせてくれたのは美咲だった。美咲のおかげで、ひばりの世界は変わった。だからこそ、今後の人生で出会う誰かの世界を、今度はひばりが変えていきたい。歌い終えると、サングラスの審査員が親指を上に立てた。
「君、才能あるから合格。これからはうちの事務所が全面バックアップするよ」
「本当ですか⁉ ありがとうございます!」
ひばりのはしゃぐ声に、他の審査員たちが微笑む。春の遺してくれた言葉たちは、ひばりの新しい人生の扉を押し開けてくれた。
春の遺言 葉桜 @Hazakura__394
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