33.誘拐犯の大脱走 ①

 ユーリたちは、ギデオンの呼び出しを受け、玉座の間へと繋がる控えの間で待たされていた。

 部屋全体に漂う静かな緊張感が、見えない糸のように全員を縛りつけている。

 ユーリはふと手首に嵌められた鉄の輪に目を落とし、軽く指先で触れてみた。


(手かせなんて初めてだけど……新しい扉が開いたらどうしよう……)


 自分が『誘拐犯』であることを認めたわけではない。

 ただ、ギデオンの茶番に合わせてみただけで、この鉄の輪もたいした枷にはならない。

 むしろ、アクセサリー感覚でつけてみた方が面白いと思ったのだ。

 隣に立つリリアーナが、ちらりとユーリの鉄の輪に目を向ける。

 その毅然とした表情の奥には、ほんのわずかな不安の色が見え隠れしていた。


(リーナもやっぱり緊張してるよな……)


 ユーリは気を紛らわせるように、視線を部屋の中へと移した。

 高い天井にはアーチ状の装飾が施され、ランプの柔らかな光が静かに降り注いでいる。

 壁に飾られた豪華な絵画と、重厚な長椅子が並ぶこの空間は、「控えの間」というにはあまりにも威圧的だ。

 室内にはセルツバーグ子爵とその部下たちの姿があった。

 誰も一言も発せず、ただ無言のまま立ち尽くしている。

 部下たちの鋭い視線がユーリに注がれ、まるでこちらの一挙一動を監視しているかのようだ。


(まぁ、初対面だし仕方ないよね。それより……ロッテたちはちゃんと動いてるかな?)


 ユーリは心の中で軽くため息をつき、計画が順調に進んでいるか気を配っていた。

 その時、リリアーナが静かに声をかけてきた


「旦那様……」


 一瞬、目を伏せた後、リリアーナはまっすぐに彼を見た。


「……大丈夫ですか?」


 その問いかけに、ユーリは肩をすくめて笑みを浮かべた。


「大丈夫だよ。この鉄の輪、意外とアクセサリーっぽくて悪くないしね」


 軽口を叩く彼に、リリアーナは一瞬だけ戸惑った表情を見せたが、すぐに小さく息を整えるように胸を上下させた。


「それより、リーナこそ大丈夫? さっきからちょっと緊張してるみたいだけど」


 ユーリが首を傾げると、リリアーナは視線を落とし、少し間を置いて答えた。


「緊張などしていませんわ。ただ……これからのことを考えていただけです」

「まぁ、最終的には何とかするか任せてよ」


 ユーリは軽く肩をすくめ、いたずらっぽい笑みを浮かべる。

 すると、リリアーナが微かに眉を上げ、視線をわずかに外しながら淡々と言い返した。


「旦那様のその軽さが、不安の原因でもありますけれど」


(えっ、不安の種って僕なの! ギデオンじゃなくて?)


 ユーリは内心で驚きながらも慌てて問い返した。


「ちょ、待ってよリーナ。それどういう意味?」


 彼の困惑した様子を見て、リリアーナは小さく微笑み、口元に手を添えた。

 その仕草には、どこか安心感が滲んでいる。


「その通りの意味ですわ。でも……まぁ、それが旦那様らしいとも思いますけれど。だから、どうかこれ以上心配させないでくださいませ」


(まぁ、リーナが少しでも落ち着くならいいか)


 彼女の柔らかな笑みを見ながら、ユーリは内心で胸をなでおろし、穏やかな苦笑いを浮かべた。



 控えの間の扉が軋む音を立ててゆっくりと開く。

 先ほどまでの和やかな雰囲気が一変し、部屋全体に重い緊張感が広がる。

 入ってきたのは、ギデオン派に属する案内役の下級貴族だった。

 彼は二人に視線を向けることもなく、形式的な口調で告げる。


「辺境伯様、玉座の間の準備が整いました。どうぞこちらへ」


 その言葉を受け、ユーリは深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。


「さぁ、いよいよだね」


 手首の鉄の輪を軽く鳴らすように動かし、隣のリリアーナに目を向けて小さく微笑む。


「行こう、リーナ。君がどんな敵にも屈しない人だって、ギデオンに見せつけてやろう」


 リリアーナは短く頷き、毅然とした足取りで控えの間を出ていく。

 その背中を追いながら、ユーリは軽く肩をほぐし、内心でつぶやいた。


(さて……ギデオンに一発お見舞いしに行きますか)



 玉座の間に足を踏み入れると、ギデオンが玉座に深く腰を沈めているのが目に入った。

 椅子に深く腰を沈め、上半身をわずかに傾けて片肘をひじ掛けに投げ出している。

 まるでこの場全体が自分のものだと言わんばかりの傲慢さだった。


(あいつ……もう自分が領主だとでも思ってるのか?)


 ギデオンの勝ち誇った笑みと、こちらを値踏みするような冷たい視線がユーリの神経を逆なでする。

 目が合った瞬間、ギデオンはさらに態度を崩し、挑発的な笑みを浮かべた。


「おぉ、リリアーナ。無事でなによりですぞ」 


 玉座の左右にはギデオン派と思われる貴族たちが大勢控えている。

 そのほとんどが嘲笑の表情を浮かべ、リリアーナを侮蔑する視線を隠そうともしない。


(こいつら、全員が味方ってわけじゃなさそうだけど……まぁ、ギデオンにはお似合いの取り巻きだな)


 ユーリは軽く鼻で息をつき、状況を見渡した。

 リリアーナが一歩前に出る。

 彼女の背筋は凛と伸び、まっすぐにギデオンを見据えるその姿は、この場において誰が最も相応しい存在かを示しているかのようだった。


「叔父様、これは一体どういうおつもりですか?」


 彼女の澄んだ声が場を制し、玉座の間全体に張り詰めた空気をもたらす。

 ギデオンは指先を軽く振り、嫌味たっぷりの笑みを浮かべて言葉を返した。


「領主が不在の間、領地の秩序を保つために動いていただけのことですぞ。これもすべて、未熟な領主を補佐する家族としての務めですぞ」


 その言葉に合わせるように、ギデオン派の貴族たちがくすくすと含み笑いを漏らす。

 その中から、モンクレール伯爵がゆっくりと前に進み出た。

 冷ややかな視線をユーリに向け、ゆっくりと口を開く。


「それでは誘拐した首謀者、レーベルク女男爵夫をこちらへ引き渡していただけますか? 姫様」


 リリアーナはその言葉に微かに眉を動かし、視線をまっすぐ伯爵に向けた。


「それはお断りします」


 低いながらも確固たる口調で彼女が言い放つと、モンクレール伯爵の表情に微かな変化が現れた。

 眉がわずかにひそめられ、その視線が鋭さを増していく。

 ギデオンは背もたれに預けていた体をわずかに前に乗り出し、薄笑いが口元から消えた。


「お断り、と言ったかですぞ?」


 問い返すギデオンの声には、抑えきれない苛立ちが滲んでいた。


「レーベルク女男爵夫が誘拐の首謀者だという根拠がどこにございますか?」


 リリアーナはまるで剣を突きつけるような眼差しで二人を睨む。

 モンクレール伯爵は冷たく目を細め、口元に薄い笑みを浮かべる。


「根拠、ですか……面会記録によれば、最後に姫様と面会していたのは女男爵夫。その直後から姫様が行方知れずになられたのです」


 伯爵の声は低く抑えられつつも、冷たさと侮蔑が滲んでいる。


「外出記録も一切ございません。姫様が外に出られた形跡がない以上、内部の者が関与しているのは明白。それが面会した女男爵夫だというのは、当然の結論でしょう」


 ざわめきが玉座の間を満たす。

 集まる視線が次第にユーリとリリアーナに集中していく中、伯爵は挑発的な笑みを浮かべて続けた。


「さらに、姫様。この間、あなたがどこで何をされていたのか、記録が一切残っておりません。説明もない中で、誰がそれを信じられるというのです?」


 モンクレール伯爵は挑発するような笑みを浮かべ、リリアーナを見つめる。

 リリアーナはその視線を受け止め、わずかに視線を落とすような仕草を見せたが、すぐに毅然と顔を上げた。


「女男爵夫が私を連れ出したのは事実ですわ。ですが、それは私自身の意志で行ったことであり、誘拐などではございません。むしろ、誘拐を企てているのは、そちらではありませんの?」


 モンクレール伯爵の顔が一瞬固まり、わずかに目を見開いた。


「そ、それこそ出鱈目ではありませんか!」


 リリアーナはまっすぐ伯爵を見据え、視線を外さずに言葉を重ねる。


「そもそも、私を誘拐された“被害者”とするならば、なぜ私が無事に戻り、自らの意志で話していることを無視なさるのですか? それこそ、私を侮辱しているのではありませんか?」


 さらに間を置かず、冷たい目で伯爵を見つめながら続けた。


「それとも、何か隠したい事情があるからこそ、私の言葉を信じられないとでも?」


(確かに誘拐を企ててたのはギデオンたちだよな……リーナじゃなく、ロッテのだけど)


 ユーリはふとアメリアから聞いた話を思い出した。

 モンクレール伯爵は肩を大げさに上下させ、ため息をつきながら嘲笑を浮かべる。


「執務を放棄して無断で出かけられる姫様を、誰が信じられるというのです?」


 その声には皮肉と冷淡な響きが込められており、伯爵は少し顔をゆがめながら冷笑を浮かべた。


「我々がどれほど心を砕き、多くの者を動員し、どれほど手を尽くしたか……姫様にはご理解いただけないでしょう」




◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまで読んで頂きありがとうございました。


リリアーナ、頑張れ!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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