31.とある密偵の結末 その2 ②

 その言葉にアメリアは顔を上げ、鏡越しにクロエの姿を捉える。

 表情は冷静だが、どこかその言葉に含みがあるようで、胸がざわめく。


「それは……?」

「ここで洗いざらい吐いた後に旦那様に優しく花を散らしていただくか、ここで吐かずにお仕置きされながら花を散らすか。どちらがいいかしら?」


 クロエのあまりにも淡々とした口調に、アメリアは凍りついた。

 胸を押さえたまま、震える声で言い返す。


「わ、私……男だったのよ……」


 しかし、その戸惑いを打ち消すかのように、フィオナの軽快な声が響く。


「今はめっちゃ可愛いから大丈夫! これなら旦那様もメロメロだよ~!」

「そんな……」


 アメリアは愕然としたまま顔を伏せた。


「旦那様が隣でお待ちだから、喋らないなら、連れて行くわよ」


 クロエが鋭い声で告げると、アメリアは慌てて手を振った。


「しゃ、喋ります! 話しますから! どうか許してください!」


 その必死な様子にクロエは肩をすくめたが、その目は厳しいままだ。


「それは無理よ。セリーヌ様が、貴女を女性にして、旦那様にプレゼントすると決められたのだから」

「そ、そんなぁ……」


 アメリアは声を失い、力なくその場に膝をつきそうになる。

 信じられない運命に抗おうとする気持ちと、どうにもならない現実が頭を埋め尽くしていく。


(……ギデオンに逆らえなかったとはいえ罪を犯したのは私……女神様が生まれ変わるように罰をくださったのですね……)


 アメリアの胸中には、後悔や自己嫌悪が渦巻き、視線が自然と床に落ちる。

 その思いを断ち切るように、フィオナの明るい声が耳に飛び込んできた。


「ほらほら、さっさとこっちに座って全部しゃべっちゃってよ! 大丈夫、旦那様に任せておけばあっという間に極楽だから!」


 フィオナの軽さに釣られるように、アメリアは足を引きずるように椅子に着く。

 羞恥と罪悪感に押しつぶされそうな顔を伏せたまま、小さな声で話し始めた。


「今回の盗撮騒ぎは……ギデオンからの命令で、リーゼロッテ様を脅して誘拐することが目的でした。そもそも、私がここに来たのも……リーゼロッテ様をギデオンの元に連れて行くことが目的だったのです」


 震える声で吐き出したその言葉に、部屋の空気が一瞬静まり返る。


 ◇ ◇ ◇


 庭の奥にある東屋に、柔らかな風が吹き抜けている。

 木漏れ日が柱に影を落とし、花々の香りがわずかに漂う中、爽やかな静けさが場を包んでいた。

 セリーヌ、リーゼロッテ、リリアーナ、ロザリー、エリゼが円卓を囲むように座り、それぞれの態度でクロエの報告に耳を傾けている。

 セリーヌは椅子に身を預け、指先で肘掛けを軽くなぞりながら、報告の内容を静かに聞いていた。

 隣のリーゼロッテは脚を組み、無表情を保ちながらも、視線の先には考えを巡らせている様子が見て取れる。

 リリアーナは緊張した面持ちで背筋を正し、ロザリーとエリゼはその横で静かに視線を伏せていた。


「病気になっている妹の治療費を稼ぐためにギデオンの密偵をしていた。以上が、アメリアから聞けた話です」


 クロエの声が静かに響く。

 内容の重さに、東屋の空気がぴんと張り詰めた。


(ギデオン卿も随分と姑息な手を使ってくるものね。あの男らしいといえばそうなのでしょうけど)


 セリーヌは思考を巡らせながら、視線をクロエから庭の景色へと移した。

 風が木々を揺らし、緑の葉がささやき合う音が耳に心地よい。


「そう……妹さんが人質に取られているのね」


 自分の声がひどく落ち着いていることを、セリーヌは半ば客観的に感じていた。

 その冷静さの裏には、アメリアの告白をどう扱うべきかという計算が渦巻いている。

 リーゼロッテの言葉が横から聞こえてきた。


「まさか、まだ諦めていなかったのですね……ギデオン卿も本当に懲りない方です」


 その声には呆れが滲んでいる。

 セリーヌは一瞬目を細め、娘の言葉に無言で同意した。


(対策を考える必要があるのは確かね――でも、その前にアメリアをどう扱うかが問題だけど)


 内心でそんなことを考えていると、リリアーナの控えめな声がその流れを断ち切った。


「でも、アメリアさんも被害者なのでは? 妹を守るために仕方なく……」


 その声には優しさと心配が入り混じっている。

 セリーヌはちらりと彼女に目を向けた。

 その純粋さが愛おしくもあり、少し物足りなくも感じる。


(リリアーナらしい意見ね。だけど、それだけでは世の中は動かないわ)

「確かにそうかもしれないけど、それだと面白くないじゃない」


 軽く言い放つと、リリアーナが驚きのあまり目を見開いた。


「えっ、そ、そんな理由なのですか?」


 その戸惑いを含む声が、東屋の静けさをわずかに破る。

 セリーヌはその反応を楽しむように微笑を深めた。


(リリアーナのこういう素直なところ、ついからかいたくなるのよね。でも、それも彼女の魅力だわ)

「ここに忍び込めるほどの腕を持つ密偵を、ギデオンに返してしまうなんて勿体ないわ」


 セリーヌは軽やかな声で言い放つ。

 その言葉の裏には、静かな満足感が広がっていた。


(ふふ、旦那様ならきっちりと堕としてくれるでしょうし)


 心の中でそう呟きながら、セリーヌはそっとカップを手に取り、紅茶の温かさを指先で感じた。

 茶葉の上品な香りが鼻腔をくすぐり、自然と目元が緩む。


(彼女をこちらに取り込めば、ギデオンへの牽制にもなるし、密偵としての能力も活かせる。あとは旦那様次第ね……どんな風に仕上がるのか、楽しみだわ)


 静かにティーカップをテーブルへ戻した瞬間、目の前のリリアーナが小さく視線を揺らしているのが目に入った。

 その困惑した表情が、セリーヌには愛おしく感じられる。


「ですが……お仕置きまでは不要なのでは?」


 リリアーナがためらいがちに口を開く。


「男でなくなっただけでも、十分に罰を受けているのではないでしょうか?」


 その言葉に、セリーヌは柔らかな微笑みを崩さず、首を軽く振った。


「それは駄目よ」


 きっぱりとした言葉に、リリアーナは驚きのあまり目を見開く。

 その反応を視界の端で捉えながら、セリーヌはゆっくりとティーカップの縁を指でなぞる。


(優しさだけでは、この世界を動かすには足りない。それを教えるのも、私の役目ね)

「責任は取らないとね」


 穏やかに響くセリーヌの声に、リリアーナはさらに困惑した様子を見せた。

 目を泳がせ、かすかに唇を噛む仕草が、何かを言い返したいのに言葉を探せない葛藤を物語っている。


「そ、それは……そうなのですが……」


 彼女のか細い声に、セリーヌは満足げに微笑を深めた。

 そして、わざと軽い調子で言葉を付け足す。


「旦那様が」

「えっ?」


 リリアーナの驚きが小庭園に響く。

 その純粋すぎる反応に、セリーヌは思わず柔らかく笑いを漏らした。


「ふふ、冗談よ」


 その一言に、リリアーナは明らかに戸惑いながらも沈黙した。

 視線をさまよわせる彼女の様子が可愛らしくて、セリーヌは心の中で思わず笑みを浮かべる。


(これでリリアーナも少し肩の力を抜くことができたかしら。彼女の優しさは美しいけれど、それだけではいつか自分を苦しめる)


 そのやり取りを黙って聞いていたロザリーが、ふわりと微笑みながら口を開いた。


「……ご主人様のお仕置きを受けられるなんて、羨ましいですわ」


 頬を薄く染めながらのその一言は、静けさをまとっていた東屋の空気をわずかに揺れる。

 セリーヌはロザリーの様子を見て、小さくくすりと笑みをこぼす。


「ふふ、ロザリーさんは本当に素直ね。そんなことを堂々と言えるのは、あなたくらいよ」


 ロザリーは満足げに微笑み、手に持った紅茶を一口飲む。

 その動作に迷いはなく、紅茶の香りを楽しむように目を伏せる彼女の姿に、セリーヌは再び小さな微笑みを浮かべた。

 その無邪気な振る舞いが場の空気を和らげたのか、リリアーナもようやく肩の力を抜き、ぽつりと笑みを漏らす。


(ふふ、思わぬところでロザリーが役に立ったわね)

「それで、アメリアは?」


 セリーヌが問いかけると、クロエは短く答えた。



◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまで読んで頂きありがとうございました。


アメリア、強く生きて!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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