30.貴族の陰謀とギルドの決断 ①

 パサージュと肉匠館にくしょうかんの視察を終えたヴォルフは、肉屋ギルド本部へ戻ってきた。

 執務室の重厚な扉を押し開けると、慣れ親しんだ静けさと整理された書類の山が迎えてくれる。


「ヴォルフさん、お帰りっす!」


 軽快な声が響き、視線を向けると、ソファにだらしなく腰を下ろしたハルトが手を振っていた。

 木製のジョッキを片手に、いかにも気楽そうな顔をしている。


「なんだ、お前、昼間っから飲んでいるのか?」


 ヴォルフは眉を上げ、呆れた声を漏らす。


「ヴォルフさんが追い出すからじゃないっすか、ちょっとやけ酒っすよ」


 ハルトは肩をすくめながらジョッキを掲げた。

 その態度は完全に開き直っている。


「やけ酒? ふん、お前がそんな玉かよ。で、何か用か?」


 ヴォルフは鼻で笑いながら問いかける。

 ハルトは頭を掻きながら、少しだけ気まずそうに目をそらす。

 それから声を落として囁くように言った。


「あの人が来てますよ」

「あの人?」


 ヴォルフの眉間にしわが寄る。


「やだな~。エリオット様ですよ」


 ハルトは大げさにため息をつきながら答えた。


「あぁ、モンクレール伯爵のところの坊ちゃんか」


 ヴォルフは短く息を吐き、視線を応接室の方に向けた。


「ヘンリーさんが早く来てくれってぼやいてましたよ」


 ハルトが付け足すように言うと、ヴォルフは軽く首を振った。


「ふぅ、仕方ないな……いくか」


 そう呟いて足を応接室に向けた。



 応接室の扉を開けると、中には予想通りの光景が広がっていた。

 エリオット・フォン・モンクレールは一人用ソファにふんぞり返り、机を指先でトントンと叩いている。

 その退屈そうな態度が、不機嫌な空気を部屋全体に漂わせていた。

 その対面には、ヴォルフが座るソファを見下ろす形でヘンリーが立っていた。

 疲労の色が濃く滲んだ表情は、ため息をつきたいのを堪えているようにも見える。

 ヴォルフは扉を閉めながら軽く一礼し、言葉をかけた。


「すみません。お待たせしました」

「遅いよ、いつまで僕を待たせるんだ」


 エリオットは苛立ちを隠そうともせず、すぐさま不満を口にした。

 その態度に、ヴォルフは心の中でため息をつきながらも表情を崩さない。


「ヘンリーも待たせたな」


 ヴォルフが横に目を向けると、ヘンリーは小さく頭を下げた。


「お疲れ様です」


 短いながらも、その一言に滲むのは厳しい状況の重みだった。

 ヴォルフはゆっくりとソファに腰を下ろし、目の前のエリオットに向き直った。


「それで、わざわざこんな田舎まで何しに来られたので?」


 冷静な声色だったが、その奥には明確な警戒が含まれている。

 エリオットの来訪にろくな理由がないことは、これまでの経験で嫌というほど分かっていた。


「何しにって決まってるじゃないか」


 エリオットは面倒くさそうに手を振りながら、苛立ちを隠そうともせず話し始めた。


「いつになったら領主城を襲撃するのさ。なんかこの前の夜会で女男爵夫が目立っちゃってさ、ギデオン閣下も相当お怒りなんだぞ」


 その無茶な発言に、ヴォルフの目が一瞬だけ冷たく光る。


「領主の襲撃なんて契約は結んでおりませんが」


 淡々とした口調だったが、その言葉には棘があった。


「何言ってんだよ」


 エリオットは身を乗り出し、怒りを露わにする。


「食料不足を引き起こして民衆に暴動を起こさせる契約になっていただろう!」


 ヴォルフは無表情のままエリオットの言葉を聞き流し、冷静に応じた。


「食料不足が引き起こせていないのですから、暴動なんて起きないでしょう」

「なんだと?」


 エリオットの声が低くなる。

 苛立ちが頂点に達しようとしているのが見て取れた。

 ヴォルフは少しソファに背を預け、肩の力を抜いたように見せながら言葉を続ける。


「そもそも、貴方様が送ってきた遊撃士フィールダーが仕事をこなせていないせいではありませんか? どんな困難な仕事でも金次第で請け負うという話は眉唾でしたな」


 冷徹な指摘に、エリオットの顔が真っ赤に染まる。

 その様子を横目で見ながら、ヴォルフは内心でため息をつく。


(相変わらず、何も分かっていない坊ちゃんだな……)


「そ、それは仕方ないだろう」


 エリオットは声を裏返しながら反論した。

 必死に取り繕うように、さらに続ける。


「まさか元王家の人間が盗賊討伐に加わるなんて思っても無かったんだから」

「おっしゃる通りです。我々もまさか王家から降嫁された淑妃陛下が、ここまで出来る人間とは思っておりませんでした」


 ヴォルフの言葉は丁寧だが、冷ややかさを隠しきれていない。

 その余裕のある態度が、エリオットの苛立ちをさらに煽る。


「それで?」


 エリオットが少し間を置いて問いかけた。


「それで、とは?」


 ヴォルフはわざと首をかしげながら返す。


「だから、それで君たちはどうするんだ? 慈善活動でお金を提供しているわけじゃないんだぞ」


 エリオットは苛立ちを抑えきれず、机を軽く叩きながら吐き捨てるように言った。


「払った分の仕事はしたまえ」


 その要求に対し、ヴォルフはわずかに口元を緩めた。


(こいつはいつもこうだ。自分の言葉が絶対だと信じて疑わない。だが、この状況でそれを言われてもな……)

「どうもこうも、今日で肉屋ギルドは店じまいしますよ」


 その一言を口にした瞬間、室内の空気がピタリと静止したかのように凍りついた。

 エリオットの顔が真っ赤になり、唇がわなわなと震える。

 その様子をちらりと見たヴォルフは、予想通りの反応に、内心で苦笑する。


(この坊ちゃんには、金さえ出せば全てが動くと思っている節がある。だが、現実はそんなに甘くないんだよ)


「はぁ!」


 突然、背後からハルトの声が響いた。

 驚きと困惑が入り混じったその声に、ヴォルフは肩越しに振り返る。


「おいおい、マジかよ……」


 ヘンリーが眉間を押さえながら呟く。

 その目は信じられないという色に染まっている。

 ヴォルフは軽く肩をすくめ、再びエリオットに視線を戻した。

 目の前の男は、何か言おうとして口を開くものの、声にならない様子で口をパクパクさせている。


「な、な、な……ふ、ふ、ふ……」


 ヴォルフは少しだけ顔を横に振り、深く息を吐いた。


「というわけで、お帰りはあちらです」


 彼は扉の方を顎で指し示す。


「ふざけるな! 僕にこんな態度を取って、ただで済むと思っているのか!?」


 エリオットはソファから身を乗り出し、机を乱暴に叩いた。

 その音が部屋に響き渡る。

 横で立っていたヘンリーが一瞬身を引き、困ったようにヴォルフとエリオットを交互に見やる。


「エリオット卿、落ち着いてくださいよ。ここで騒いでも――」

「黙れ、ヘンリー!」


 エリオットはヒートアップした勢いのままヘンリーを一喝する。

 そしてヴォルフを睨みつけ、鼻を鳴らした。


「君たちは僕たちの資金で成り立っているんだぞ。それを分かっているのか? 今の発言、どういう意

味か分かっているのか!」


 ヴォルフはその怒りを正面から受け止めることもせず、淡々とヘンリーに目を向ける。


「副ギルド長、お客様が怒っているようだ。水でも出してやれ」


 ヴォルフの冷静な一言に、エリオットの顔がさらに赤く染まった。


「水なんかいらない!」


 エリオットは机を再び叩きながら声を荒げた。

 その音は先ほどよりも大きく、怒りを余すところなく表している。


「君たちの態度が問題なんだ! 僕はこの状況を改善しろと言っているんだぞ!」


 ヘンリーが再び口を開こうとするも、エリオットの剣幕に遮られる形で押し黙る。

 ヴォルフはわずかに眉を上げたが、それ以上は表情を動かさず、静かに問いかけた。


「それで、何をどう改善しろとおっしゃるのですか?」


 その抑揚のない声が、逆にエリオットの苛立ちをさらに掻き立てた。


「だから、君たちがやるべきことは分かっているだろう!」


 エリオットは荒れた呼吸を整えようと深く息を吸ったが、勢いに任せた言葉は止まらない。


「暴動を起こす計画を遂行しろ! こっちはそれを実現するために金を払っているんだ!」


 ヴォルフは一瞬目を閉じ、深い息を吐く。

 そして、そのまま何事もなかったかのように口を開いた。


「では、その金を使って、もっと有能な遊撃士フィールダーを雇われては如何ですかな?」


 その静かな言葉に、エリオットは一瞬言葉を詰まらせる。


「……何だと?」


 低い声で問い返すエリオット。

 だが、ヴォルフは動じることなく、無表情を保つ。


「約束通りの条件が揃わないのであれば、こちらもできることは限られる――ただそれだけの話です」


 ヴォルフは冷静にそう言い切ると、わずかにソファを揺らした。



◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまで読んで頂きありがとうございました。


エリオットがざまぁされるところ見てみたい!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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