28.とある密偵の受難 その4 ①

(くそ、なんで俺がこんな任務を……!)


 アメリアは、後宮御殿の廊下を風呂場の清掃道具を抱えながら歩いていた。

 動悸がひどくなるのを押さえ込むため、深呼吸を一つ。


(堂々とするんだ……こういう時は、かえって堂々としている方が疑われないってもんだ)


 女装し侍女として潜入してから数週間が経つものの、慣れるどころか危険が増す一方だ。

 そして、今回の任務は、その中でも最も命知らずなものであろう。


『リーゼロッテ様の裸体を魔導具で撮影してこい』


 ギデオンからの命令を思い出すたび、胃の奥がきしむような嫌悪感が押し寄せる。


(裸の写真で脅して従わせる? 本気でそんあ手が通じると思ってるのか、あのバカは)


 憤りと嫌悪感を押し込めながら、アメリアは目的地の風呂場へ向かう。


 後宮御殿には二つの内風呂がある。

 一つは侍女や来客用、もう一つは後宮の主(華楼公)――ユーリとその夫人たちのためのものだが、どちらも露天風呂に繋がっている。

 ただし、ユーリ専用とされてはいるものの、実際には「お手付き」と呼ばれる侍女たちも利用しているらしい。


(フィオナ様が、「マンティコアの口からお湯が出るのよ! すっごく素敵じゃない?」なんて無邪気に話してたけど……いや、派手すぎだろ)


 そう心の中で呟きながらも、アメリアはユーリの気遣いに感心していた。

 露天風呂の利用を侍女たちにも許可するなど、後宮の主としては異例の寛大さだろう。

 とはいえ、客人や侍女と露天風呂で親密な時間を過ごすためだと噂されている。

 そのため、彼のお手付きを目指す侍女たちが、入浴時間に合わせて姿を現すのだとか。


(ご苦労なことだよな。俺には一生縁のない話だけど)


 とはいえ、露天風呂の内側には閂があり、ユーリやリーゼロッテらが入浴している間は、侍女たちが入ることはできない。

 さらに、ユーリ専用の内風呂側には別の閂が設けられており、露天風呂から直接内風呂に入ることも不可能だ。


(まったく……ネズミ一匹通さない徹底ぶりだな)


 幸い、今は領主一家がそれぞれ外出中だ。

 ユーリとオフィーリアはイシュリアス辺境伯領へ、リーゼロッテとフィオナたちは市場の視察に向かい、セリーヌは執務室で領内の書類に目を通している。

 後宮には誰もいないことを確認済みだ。


(掃除のついで、って建前なら問題ない……はずだ)


 息を呑み、アメリアは掃除道具入れの奥に隠しておいた魔導具を取り出した。

 それは手のひらに収まるほど小さなもので、黒曜石のように鈍い光沢を放っていた。

 触れるたびに指先に冷たい感触が伝わり、肌の奥にじわじわと不安が広がる。

 中心に埋め込まれた円形の小さなレンズは、光を受けるたびに虹色の輝きをちらつかせる。

 そのきらめきが視線を絡め取るようで、まるで覗かれているような気持ち悪さが腹の底から這いずってくる。


(……本当に動くんだろうな)


 アメリアは魔導具をじっと見つめた。

 軽くても、手の中に収めているだけで異様な重みを感じる。

 起動すれば目の前の映像をそのまま記録するという――まるで人間の目そのものを封じ込めたかのようだ。

 その仕組みを思うたび、胸の奥から寒気がじわじわと広がっていく。

 こんな物を手にしているだけで、自分の手が穢れていくような錯覚さえ覚えた。

 罪悪感が胸の奥に根を張り、じっとりと絡みついてくる。


(俺、こんなことして本当に大丈夫か?)


 何度目かの自問自答。

 しかし、答えは変わらない。

 ギデオンの命令は絶対だ。

 断れば自分も妹も命はない。


(……さっさと終わらせて立ち去るか)


 不快感を振り払うように頭を軽く振り、アメリアは露天風呂へと足を踏み入れた。

 まずは侍女用内風呂に繋がる扉に閂をかけ、誰も入ってこられないようにする。

 これで少しは安心だ。


(頼むから、誰も来るなよ……)


 足音を忍ばせながら、アメリアは浴槽の周囲をじっくりと見回した。

 最適な設置場所を探しつつ、時折背後を振り返る。

 心臓がやけに早く脈打ち、無人のはずの風呂場に漂う静寂が耳を圧迫してくるようだった。

 やがて目に入ったのは石灯籠。

 その足元に、魔導具を隠せそうなわずかな隙間を見つけた。


(ここなら湯気に紛れて見えにくい。これ以上の場所はなさそうだな)


 アメリアは慎重にしゃがみ込み、周囲を警戒しながら魔導具を取り出した。

 小型のそれをそっと滑り込ませると、近くの石を動かしてさらに目立たないように隠す。

 最後に隙間の具合を確認し、問題がないことを確かめようとしたその瞬間――。


「アメリア? そこで何してるの?」


 柔らかいながらも好奇心を含んだ声が背後から聞こえる。


「――っ!」


 心臓が喉元まで跳ね上がり、思わず反射的に振り返る。

 目に飛び込んできたのは、華楼公用の内風呂から現れたフィオナだった。

 薄手の湯浴み着を纏い、濡れた髪を肩に垂らしたフィオナの頬は湯気でほんのり赤らんでいる。

 その無邪気な笑顔からは「これからお風呂を楽しむぞ!」という意気込みがひしひしと伝わってきた。

 だが、そんな彼女の光景がどこか幻想的に見えたのは一瞬のこと。


(フィオナ!? なんで戻ってきやがった!? パサージュに行ったはずだろ! ……早すぎないか?)


 混乱する頭を必死に冷やしながら、アメリアは咄嗟に魔導具を背後に隠した。

 慌てて笑顔を作り、ぎこちない声を振り絞る。


「な、何でもない……わよ。でも、め、珍しいわね……朝からお風呂だなんて」


 フィオナは首をかしげながらも、屈託のない声で答えた。


「ちょっと冷え冷えの部屋で冷えちゃったから、温まろうと思ってね! それに、もうすぐお昼だし!」


 軽やかに湯船へ向かうフィオナ。

 一歩ごとに湯浴み着の裾がふわりと揺れるたび、アメリアの心臓は不快なほど速く脈打った。


(まずい……まだ設置の確認ができてないのに! 見つかったらどうする!?)


 アメリアの焦りをよそに、フィオナは湯気漂う露天風呂を見回しながら声を弾ませた。


「ここ、すごくいい眺めだよね~! 私、露天風呂大好きなの! ¥湯気がふわふわしてて可愛いし~、お湯も気持ちいいし~!」


 そのまま浴槽の縁に腰を下ろそうとするフィオナに、アメリアは反射的に声を張り上げた。


「ちょ、ちょっと待ってください! そんなところに座ったら危ないですよ!」

「えっ、そうなの?」


 フィオナが少し驚いたように振り返る。

 だが、そのまま腰を下ろしてしまった。

 水面に広がる波紋が陽光を反射し、湯気が彼女の身体を柔らかく包み込む。


「ふぁ~、気持ちいい~!」


 湯船に浸かり目を閉じるフィオナ。

 その幸せそうな声が耳に届くたび、アメリアの頭の中で警報が鳴り響いた。


(くそ……なんでこんなことに……!)


 額に滲んだ汗を拭いながら、アメリアは辺りを警戒するように見回す。

 魔導具はうまく隠したはずだが、長居すればそれだけリスクが増す。

 何より、こんな状況で見つかれば一巻の終わりだ。


(ここからさっさと抜けるべきだ。だが……)


 そんなアメリアの葛藤をよそに、フィオナが湯船の中でくつろぎながら口を開いた。


「そういえば、アメリアは何してるの? 一緒に入る?」

「えっ、い、いやいや! 私は別に……!」


 胸の奥で脈打つ動悸を何とか抑えようとしながら、アメリアは慌てて首を振った。

 だが、フィオナは全く気にした様子もなく、相変わらず無邪気な笑顔を浮かべている。


「女同士でなにも恥ずかしいことなんてないのに!」


 さらにフィオナは、いたずらっぽい笑みを浮かべながら言葉を重ねた。


「もしかして、変装してるから一緒に入りたくないだけだったりして!」


 その一言に、アメリアの焦りは臨界点に達した。


(まずい……この状況……絶対にまずい! 早く何とかしないと!)

「あ、あのね! 変な魔導具を見つけたのよ!」



◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまで読んで頂きありがとうございました。


お風呂シーンをもっとみたい!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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