28.とある密偵の受難 その4 ②

「変な魔導具?」


 フィオナが疑わしげに首を傾げる。


「ええ、ほら……ここに! 誰かが仕掛けたみたいなの。怪しいわよね、こんな場所に……誰が何のために……」


 アメリアは自分で仕掛けた魔導具を指しながら、平静を装った。

 しかし、胸の鼓動はやかましいほど大きく響き、背中を伝う冷や汗が止まらない。

 だが次の瞬間、フィオナの口から飛び出した言葉がアメリアを凍りつかせた。


「えっ、それって、もしかして……ユーリ様の仕業じゃないの!?」

「えっ……!?」


 予想外の展開に、アメリアは思わず目を見開き、言葉を失った。

 そんな彼女をよそに、フィオナはどこか楽しげに続ける。


「だって、お風呂を覗くなんて、ユーリ様しかいないでしょ!」

(おいおい……どんな旦那様だよ! っていうか、普通真っ先に疑う相手じゃないだろ!)


 アメリアは内心で大きく突っ込みながら、思わずフィオナの顔を見つめた。


「みんなに報告しなきゃ!」


 その言葉と同時に、フィオナは勢いよく立ち上がり、駆け出してしまった。

 アメリアの足は地面に縫い止められたように動かない。


(どうする……追いかけるべきか、それともここで逃げるべきか?)


 脳裏で警報が鳴り響く中、いくつもの選択肢が頭を巡る。

 だが、どれも行き着く先は最悪の結末ばかりだった。


(待て……冷静になれ。この場から逃げたら、余計に怪しまれる。けど、追いかけたら追いかけたで……魔導具が俺のだってバレたら――)


 奥歯を噛みしめ、必死に言い訳を捻り出そうとしていると、背後で扉が音を立てて開く。

 アメリアがぎくりとして振り向くと、そこにはフィオナが再び顔を覗かせていた。


「アメリア、早く来てよ! 何してるの?」


 その屈託のない笑顔と言葉に、アメリアの心臓が再び跳ねる。


(くそ……戻ってきたのかよ!)


 引きつった顔のまま、なんとか言葉を絞り出した。


「えっ、わ、私も……行くの?」


 フィオナは屈託のない笑顔で即答する。


「もちろん! リーゼロッテ様に報告したら、アメリアも連れてきなさいって!」

(いつのまに連絡したんだよ!)


 アメリアは心の中で叫びつつ、動揺を抑え込む。


(断ったら絶対に怪しまれる……! くそっ、バレたら全部ギデオンのせいにしてやる!)


 そんな思考が渦巻く中、アメリアは努めて冷静を装い、絞り出すように口を開いた。


「分かったけど……着替えなくていいの?」

「あっ、そうだった! ちょっと待っててね、すぐ着替えるから!」


 フィオナはそう言い残し、湯気をまといながら軽やかに脱衣所へと駆けていった。

 一人のこされたアメリアは渋々、ユーリ専用の内風呂へと足を踏み入れた。


(ほんとにマンティコアの口からお湯が出てるな……どれだけ豪華に作れば気が済むんだよ。さすがお貴族様……)


 目の前には、鋭い牙をむき出した巨大な石像が立ちはだかっている。

 そのマンティコアの口からは絶え間なく湯が注ぎ、力強くもなめらかな流れを作り出していた。

 浴場全体を包む蒸気が、豪奢な内装をさらに幻想的に見せている。


(湯気の量まで金持ち仕様かよ……贅沢すぎて逆に居心地が悪いっての)


 アメリアはため息をつきながら、広すぎる内風呂を見渡す。

 だが、湯が流れる音が妙に耳に残り、壁や天井の装飾の隙間から何かに見張られているような気がして、どうにも落ち着かない。


「アメリア、何してるの? 早くおいでよ!」


 内風呂から響くフィオナの明るい声に、アメリアは不本意そうに体を動かし、足を引きずるように脱衣所へと向かった。

 脱衣所に入ると、フィオナがちょうどメイド服に袖を通しているところだった。

 だが、アメリアの目はその手前で動きを止めた。

 部屋の奥にそびえる異様な透明なガラスのような扉が、視界に飛び込んできたのだ。


(なんだ……なんでこんな扉が? しかも透明って、ここ脱衣所だぞ! いや、まさか旦那様ってギデオンクラスの変態なのか? ……ってか、ここもなんか誰かに見られてる気がするのは気のせいか?)


 頭の中で嫌な想像が広がる。

 だが、その考えを振り払う間もなく、隣でフィオナが屈託のない笑顔を見せた。


「旦那様って変態だよね! ガラスじゃないらしいんだけど、透明とか意味わかんないよね!」


(ちょ、直球すぎるだろフィオナ様! もう少し遠回しに言えないのか!?)


 扉の横には、これまた異様な魔導具が据え付けられていた。

 フィオナがその魔導具に興味津々といった様子で顔を近づける。


「ふぃ、フィオナ様……な、何をされているのですか?」


 思わず声を張り上げると、フィオナは振り返り、いつものように無邪気な笑顔を見せた。


「これ? 奥御殿に入るときに使うのよ! ほら、見ててね!」


 そう言って、フィオナは魔導具の前に立ち、顔をさらに近づけた。

 次の瞬間、透明な扉が静かに開く。


(おいおいおい……どういう仕組みだよ!? 魔術か? いや、もっと異様な……)


 誰も触れていないのに勝手に開く扉。

 その異様な光景に、アメリアは思わず息を呑んだ。


 「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」


 当時は半分バカにして、「借金地獄の領地にピッタリの言葉だな」と笑い飛ばしていた。

 だが、今目の前で開かれたこの扉と、あの言葉が頭の中で妙に繋がってしまう。


(……何だ? この領地、一体何が隠れてんだよ……)


 背筋に嫌な寒気が走る。

 だが、フィオナはそんなことにはお構いなしに、楽しげに振り返った。


「ほら、アメリア! 行くよ!」


 無邪気な笑顔を見せながら手招きするフィオナに、アメリアは苦々しい表情を浮かべるしかない。

 観念したようにため息をつき、フィオナの後を追って透明な扉をくぐった。

 その瞬間、アメリアは思わず足を止めた。


(何だ……この灯りは?)


 奥御殿を照らす光は、淡く、それでいて均一に空間全体を包み込んでいる。

 この世界で高級な灯りといえば蜜蝋の蝋燭――だが、目の前の光はそれとは全く異なり、どこにも炎の揺らぎがない。

 天井に取り付けられた小さな透明の球体が淡い光を放っているのだ。

 その光は自然の明るさとも、魔導具の人工的な輝きとも違い、あまりにも異質だった。

 アメリアは周囲を見回しながら、眉をひそめた。


(これ、魔術の灯りなのか? でも、どうしてこんなに落ち着いていて暖かい光なんだ……)


 光は壁に柔らかな陰影を作り出し、空間全体に神秘的な雰囲気を漂わせている。

 柱に刻まれた彫刻や天井の文様が淡く浮かび上がり、その細部をくっきりと際立たせる光景に、アメリアの胸には奇妙な違和感が広がっていく。



◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまで読んで頂きありがとうございました。


アメリアどうなるの?

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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