27.パサージュと肉匠館 ④
裏手に広がる石畳のスペースには、馬車や荷車を止めるための目印がいくつか設けられていた。
「馬車や荷車はここに停車し、荷台から直接店舗内に運び込む仕組みです。市場と店舗の間が近いので、新鮮な状態を保ったまま搬入できます」
「確かに……これだけ距離が短ければ、品質を損なう心配はありませんわね」
リーゼロッテは頷きながらスペース全体を見渡した。
「さらに、搬入作業をスムーズにするため、専用の台車を用意しています。加工された肉が適切な温度を保てるよう、台車そのものにも簡易な冷却機能を備えています」
「簡易な冷却機能……か」
ヴォルフがその言葉に反応し、台車の置かれている方向に視線を向けた。
「なるほど……考えられる限りの対策は施しているというわけですか」
リーゼロッテはその説明に満足げに頷いた。
「それでは、次は加工や保存の場所をご覧いただきましょう」
ハンザの案内で、リーゼロッテたちは肉匠館の奥へと進んでいった。
通路の先に現れたのは、重厚な鉄製の扉。
扉の周囲には、ひんやりとした空気が漂い、その冷たさが微かに肌を撫でるようだった。
ハンザが扉の横についている何かの魔導具を操作すると、鉄製の扉が微かに低い音を立てながら開く。
「ここにも魔導具を使っているのか……」
ヴォルフが低く呟き、興味深げに扉を観察する。
「ええ、ギルド職員以外が開けられない仕掛けになっているんです」
ハンザは自信ありげに笑みを浮かべた。
扉が重々しくも滑らかな動きで開き始めた。
金属同士が擦れるような微かな音とともに、冷たい空気が一行の頬を撫でる。
「なんて冷たい空間……」
リーゼロッテは思わず肩を抱き、自分の息が白くなっているのを見て驚いた。
「魔導具を利用して倉庫全体を冷却しています。この温度では、肉を長期間保存できるだけでなく、鮮度もほとんど損なわれません」
ハンザが満足げに説明する。
中は広々としており、天井の高い空間が青白い光に包まれている。
倉庫の中央には魔獣の肉が入った木箱がいくつか並べられているだけだったが、冷えた空間そのものが圧倒的な存在感を放っていた。
「……これが、魔導具の力……」
ヴォルフは無意識に呟き、棚に置かれた木箱に近づいた。
箱の中には魔獣の肉が保管されており、その表面は微かに霜が降りているように見えた。
「……驚異的だな。これほど冷える空間を作り出すとは」
ヴォルフは驚いたように呟き、リーゼロッテは冷たい空気に触れながらも静かに頷いた。
(まさかこれ程の能力とは思いませんでした……パサージュの話を聞いた時も信じられませんでしたが、まさかこんな魔術具まで生み出せるなんて……)
そんなことを内心で考えていたリーゼロッテの隣から、小さなくしゃみが聞こえた。
「くちゅん!」
「フィオナ、どうしたの?」
リーゼロッテが心配そうに声をかけると、フィオナは鼻をすすりながら振り返った。
「なんか冷たい空気がずっと当たってたみたいで、つい……!」
そう言って両手で肩を抱きしめる姿に、クロエはため息をつく。
「だから、余計なところに近づくなと申し上げたでしょう? 本当に無防備なんですから」
「えぇ~、だってこの倉庫、面白いじゃん! こんな寒いの、初めてだよ! ドラゴンが住む雪山とかもこんな感じなのかな?」
フィオナはきらきらとした瞳で倉庫を見回しながら、興味津々の様子だ。
「ドラゴンの雪山……? あなた、どこからそんな想像が湧いてくるんですの」
クロエが呆れたように眉をひそめるが、その声には若干の狼狽が混じっていた。
「冷えてきましたから、そろそろ外に出ましょうか」
リーゼロッテが微笑みながら言葉を挟むと、フィオナは飛び跳ねるように扉の方へ向かう。
「さんせー! リーゼロッテ様、御殿に戻ったらお風呂入りませんか? 暖かいお湯が恋しい~!」
「フィオナ! リーゼロッテ様にそんなお願いをするなんて、侍女長に怒られますわよ!」
クロエが厳しい声で叱るが、フィオナは気にする様子もなく振り返り、ニコニコと笑ってみせる。
「えー、でも冷えた体にはお風呂が一番じゃないですか!」
「ふふ、まあいいじゃない」
リーゼロッテは笑みを浮かべながら、二人を宥めるように言った。
「そうね。御殿に戻ったら、露天風呂にはいっていいですよ」
「わーい! じゃあ、私、急いで戻って準備してきますね!」
フィオナは元気よく駆け出していく。
「ハンザ様、本日の視察は本当に有意義でした」
リーゼロッテは穏やかな笑みを浮かべながら、優雅に一礼した。
「はっ、ありがとうございます」
ハンザは直立したまま深く頷き、敬意を示す。
「ヴォルフ様も、本日はありがとうございました。もし可能であれば、貴方にも領地のために力を貸していただければと願っていますわ」
リーゼロッテは穏やかな微笑みを浮かべながら、丁寧に言葉を添えた。
「ユーリ様によれば、肉の品質を見極め、最適な状態でお店に届けることは、流通の中で最も繊細で難しい工程だそうです。ヴォルフ様の経験があれば、その部分で大きく貢献していただけるのではないでしょうか」
その言葉に、ヴォルフは一瞬だけ視線をそらし、咳払いをしてから短く答えた。
「……ああ、考えておく」
彼の声には、どこか照れ臭さが混じりつつも真剣さが滲んでいた。
リーゼロッテはその答えに満足げに頷くと、改めてハンザとヴォルフに向き直る。
「それでは、よろしくお願いします」
静かな微笑みとともに一礼すると、二人の返礼を背に受け、前を行くフィオナたちの後を追って歩き出した。
リーゼロッテたちが去り、冷凍倉庫の前にはハンザとヴォルフだけが残った。
漂う冷気と静寂が、二人の間に重い空気をもたらしている。
「で、感想は?」
ハンザが不敵な笑みを浮かべながら口を開くと、ヴォルフはしばらく黙ったまま扉が閉まった冷凍倉庫を見やっていた。
「……あぁ。まさかこれほどのものを準備するとは思ってなかったな。」
その呟きに、ハンザは肩をすくめて軽く笑う。
ヴォルフが率直な感想を漏らすのは珍しいことだった。
「お前もこちらに来い。下らないことを考える暇もないくらい忙しくなるぞ」
ヴォルフは短く鼻を鳴らし、冷凍倉庫の扉に視線を向けた。
「……あの方が黙っているわけがない」
「あの方、ね」
ハンザは皮肉を滲ませながら問いかけた。
「お前は誰のために、何のためにやってるんだ?」
ヴォルフはその問いに答えず、冷たい空気の中で無言を貫いた。
その姿を見て、ハンザは小さく息をつく。
「レーベルク男爵領に住む人々のためじゃないのか? 確かに前の領主にしろ前代官にしろ酷かったよ。でも……領主と男爵夫、若姫様、あの方たちは違うんじゃないか?」
「そうやって貴族を信じて、どれだけ騙されてきた」
ヴォルフの低い声が響く。
ハンザには、彼が背負ってきた苦い過去が垣間見えた。
「俺のところも、ライヒバッハの毛織物ギルドも、イシュリアス辺境伯領での商売が減ってるんだ」
ハンザは冷静にそう告げた。
「どういうことだ?」
ヴォルフが険しい表情を向ける中、ハンザはしばし黙り、やがてため息をつく。
「悠長に待っていられなくなったからだろうよ。俺たちがどうこうする間もなく、あの方の計画が進んでいるってことだ」
ハンザはヴォルフを見つめ、その目にわずかな疲れを浮かべた。
「お前も……どちらかを選ばないといけない時期が来ているんじゃないか?」
ヴォルフはその言葉に沈黙で応えた。
冷凍倉庫を一瞥したハンザは、苦笑を浮かべながら静かに呟く。
「時間はないが、ゆっくり考えるがいい。ただ、俺から言えるのは……あの女男爵夫だったら、なんとかしてくれる気がしているがな」
漂う冷気が、二人の間に静寂をもたらしていた。
冷たい空気が肌を刺すように感じられる一方で、パサージュから届く喧騒と熱気が、彼らを現実へと引き戻していた。
◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆
ここまで読んで頂きありがとうございました。
ヴォルフどうするの!?
と思ってくださいましたら、
https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837
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