27.パサージュと肉匠館 ③
激しい衝撃音が響くかと思いきや、ガラスにはヒビ一つ入らずそのまま立っている。
「ヒビも入らない……あのガラス、一体……?」
リーゼロッテは驚きつつも冷静に考えを巡らせていたが、ガラス越しに見えたものに目が止まった。
ガラスの向こうに立っていたのは、まるで本物の人間のように精巧な裸の女性。
あまりにも精巧で、今にも動き出しそうなその姿に、フィオナが目を丸くして叫ぶ。
「ええっ!? 裸!? えっ、こんな所で裸なんて、大丈夫ですか!?」
彼女は窓を指差しながら慌てふためき、まるでその女性を隠すように自分の体でガラスの前に立つ。
「ちょっと、なんで誰も止めないの!? これ、どうするの!? 誰か服を貸してあげて――!」
「服を貸す必要などありませんわ!」
クロエがフィオナの肩を掴んで止める。
その声には普段の冷静さを保とうとする必死さが滲んでいた。
「よく見なさい、それは……その、動いていませんわ!」
クロエはその場を取り繕うように言葉を重ねるが、視線をガラス越しの女性に向けた途端、頬がほんのり赤くなる。
「そもそも、どうしてこんなに精巧な……いえ、だからこれは人ではなくて……!」
ヴォルフも興味を引かれたように窓へ近づき、じっくりと覗き込んだ。
「破廉恥な! こんなものを堂々と置いておくなんて、ハンザ、一体どういう神経をしているんだ!」
その声はどこか強張り、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
「それは『マネキン』です」
リーゼロッテは軽くため息をつき、穏やかな口調で説明を始める。
「服を着せて商品の見本にするための道具です。もちろん、動くこともありませんし、人間でもありません」
「マネキン……」
フィオナはようやく冷静さを取り戻し、窓越しに視線を送る。
しかし、すぐに唇を尖らせて言った。
「でも、裸のまま置いておくなんて、ちょっと恥ずかしいよね!」
「それが道具だと分かったなら、もう少し落ち着きなさい!」
クロエが小さくため息をつきながら、まだ興奮気味のフィオナをたしなめる。
「もっと見に来ていれば、こんなことで驚かなくて済んだのにな」
ハンザが肩をすくめて呟くと、ヴォルフは気まずそうに視線を逸らした。
窓から目を離した一行は、それぞれ小さくため息をつき、表情を引き締め直す。
フィオナが「次は何があるんだろう!」と声を弾ませる一方で、クロエは「少しは落ち着きなさい」と呟きながら、後を追った。
そして、一行がパサージュの奥へ進むと、食料品を扱う店舗が並ぶエリアに足を踏み入れた。
新しい陳列棚や什器が次々と運び込まれ、職人たちが忙しそうに準備を進めている。
「ここから先は食品を売っている店舗や飲食店が並ぶエリアになります」
ハンザが説明を始めながら、近くの店舗へと案内する。
店内に足を踏み入れると、整然と配置された棚やカウンターが目に入った。
「こちらは食料品売り場です。野菜や果物、工房で作られたパンや菓子といった品物が並ぶ予定です」
ハンザが店内を歩きながら説明する。
「それから、このエリアの一角では肉も取り扱います」
「わっ、わっ、なんか冷たい風がでてますよ!」
フィオナが棚の前に駆け寄り、目を輝かせながら両手をかざした。
その冷気に感動した様子は、まるで新しいおもちゃを見つけた子供のようだ。
「えっ、すごい! なんでこんなに涼しいの? 冷たくて気持ちいい~!」
フィオナがさらに顔を近づけて冷気を感じている姿に、リーゼロッテは穏やかに視線を向けた。
「冷たい風が出る棚なんてあるわけ……あるわけ……ほんとに冷たいじゃないの!」
クロエが棚に手を触れ、冷気を確認すると驚きの声を漏らした。
そのいつもの冷静さが崩れた様子に、リーゼロッテは小さく頷きながら感心する。
(クロエまで驚いていますわね……やはりユーリ様の能力は桁外れですわね)
ヴォルフは冷蔵棚に近づき、低く呟きながらそっと手を伸ばした。
指先に触れる冷たい風を確かめるように、その表情が少しだけ険しくなる。
「冷えているのは確かだ。鮮度を保つには便利な代物かもしれませんな」
一旦手を離し、冷蔵棚をじっくり観察しながら続ける。
「だが、肝心なのはこれがどれだけの時間、安定して動作するかということ。それに――」
ヴォルフは一拍置いてリーゼロッテに目を向けた。
「冷やし過ぎて肉がパサつくようでは、かえって台無しでございます。肉ってのは、ただ冷やせばいいというものではありません」
「パサつく?」
フィオナが驚いたように目を丸くし、ヴォルフを見上げた。
「はい、そうです」
ヴォルフは少し肩をすくめながら続けた。
「肉は適切な温度で管理しないと、旨味が抜けてしまうのです。冷たい風が出るってのは確かに大した技術ですが、その温度をちゃんと一定に保てるのか……そこが一番大事なところです」
「なるほど……温度が低すぎても高すぎてもダメということですね」
リーゼロッテはその説明に感心しながら、小さく頷いた。
「技術そのものは素晴らしいです。ですが、これが本当に肉の管理に適しているかは、実際に使ってみなければ分かりませんな」
ヴォルフが冷静に言い切ると、隣に立っていたハンザが肩をすくめて苦笑した。
「いやはや、さすが肉屋ギルド長。相変わらず厳しい目利きですな。でも、そんなに言うなら――」
ハンザは軽く棚を叩きながら、ヴォルフをじっと見た。
「ヴォルフ、お前が実際に使ってみればいいんじゃないか?」
その言葉に、ヴォルフは棚に視線を向けたまま無言で立ち尽くした。
一瞬の沈黙が場に流れる。
「……」
ヴォルフはやがて静かに腕を解き、無言のまま踵を返した。
そのまま背を向けて歩き出し、数歩進んだところで足を止める。
「ハンザ、次に案内しろ」
短く投げられた言葉は低く響き、ハンザを振り返ることなく発せられた。
その声に、ハンザはニヤリと笑みを浮かべる。
ハンザは一歩前に出ると、リーゼロッテたちの方を振り返り、柔らかな口調で言葉を続けた。
「それでは肉匠館に案内します。ついてきてください」
一行はハンザの案内で店舗の奥へと向かった。
「この棚ですが、肉だけでなく、魚や冷やした方が良い野菜、果物の保存にも使えます」
ハンザが棚を指し示しながら説明を始めた。
「魚市場からは新鮮な魚が、野菜市場からは痛みやすい葉物や果物が運ばれ、この棚に陳列される予定です」
「肉以外にも使えるとは……実に汎用性が高いのですね」
リーゼロッテが感心したように棚を見つめると、ハンザは笑みを浮かべながら頷いた。
「はい。そして、この棚を活かすために搬入手順も工夫しています」
彼は冷蔵棚の隣にある扉を指し示しながら続けた。
「この扉の奥に市場からの搬入口があります。肉匠館で加工された肉は、荷車に乗せてこちらの搬入口まで運ばれてきます」
ハンザは一行を扉の外へと案内する。
◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆
ここまで読んで頂きありがとうございました。
ハンザの活躍をもっとみたい!!
と思ってくださいましたら、
https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837
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