27.パサージュと肉匠館 ②
「これはこれはお揃いで。賑やかだと思ったら、後宮のご夫人たちが巡覧されておられましたか」
先頭に立っていた肉屋ギルド長のヴォルフが一礼しながら近づくと、ハンザが額に手を当てるような仕草をしながら眉をひそめた。
「ヴォルフ……何しに来たんだ?」
「何しにとは冷たいな。肉屋もこの中で店を構えるんだろう? ギルド長として視察するのは当然じゃないのか?」
「よく言う……ご領主様に反対してるんじゃないのか?」
ヴォルフはその問いに肩をすくめ、冷静に答えた。
「反対しているのは肉の加工処理に関してだ。売り場に関しては反対してないぞ」
「おいおい、店の目の前で解体なんぞできんぞ。ここで店を出すなら肉匠館で解体しろよ」
ハンザが半ば呆れたように返すと、ヴォルフが眉を上げて問い返した。
「肉匠館?」
ヴォルフの問いに、ハンザは「肉を解体して加工、保存するところだ」と補足した。
「すでに冒険者ギルドが移転して準備を始めています。これから見に行くのですが……ヴォルフ様たちもご一緒にいかがですか?」
リーゼロッテの提案に、ヴォルフは少し目を細め、首を傾げた。
「私たちも、ですか?」
「はい。肉屋ギルドも統合されるわけですし、今の状況を見ておくのは意味のあることかと存じます」
「まだ統合案に頷いておりませんが?」
ヴォルフの冷静な返答に、リーゼロッテは一瞬目を瞬かせた。
「どういうことですか?」
代わりに答えたのは、ハンザだった。
少しだけ困ったような表情を浮かべている。
「いえ、若姫様……領主様からは氷室が完成しなかったら改革案を取り下げるとヴォルフと賭けをなさっておりまして……」
「お母様がそんな約束を?」
リーゼロッテの驚いた声に、ハンザは苦笑を浮かべて頷いた。
「はい、まぁ……成り行きで」
「……氷室って……冷凍庫のことですよね?」
フィオナが無邪気に尋ねると、リーゼロッテは軽く頷いた。
「たぶん、そうね」
「今から、その冷凍庫がちゃんと動いているか確認に行くんですよね?」
フィオナがさらに聞き返そうとした瞬間、クロエがすかさずその手を掴み、小声で注意した。
「フィオナ! 余計なこと言わない! 少し黙ってなさい!」
そのやり取りに、一行の視線が注がれる中、ハルトが緊張気味に口を開いた。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ……じゃない、ください。まだ、氷室できてないんじゃ、じゃない、ないのですよね。ってか、もうあるのかよ、じゃない、あるのですか?」
「ハルト……お前、もうしゃべるな……」
隣のヘンリーが静かに言うと、ハルトは「す、すみやせん……」と肩を縮めた。
「え、えぇ、今からちゃんと冷凍できているかを確認しに行くところなのです」
リーゼロッテは軽く咳払いをして話をまとめる。
ヴォルフは少し考える素振りを見せた後、静かに頷いた。
「分かりました。そう言うことなら、私も同行させて頂きたい。ヘンリーとハルト、お前たち二人は戻れ」
「な、お、俺も――」
「お前がいると何しでかすか分からんから戻るぞ。ほら、来い」
ヘンリーはハルトの襟を掴むと、そのまま引きずるように歩き出した。
「ちょ、ちょ、引っ張らなくても歩けるから!」
ハルトの抗議もむなしく、二人の姿は少しずつ遠ざかっていく。
リーゼロッテは軽く息を吐き、柔らかな笑みを浮かべながら言った。
「……それでは、参りましょう」
リーゼロッテたちはハンザの案内を受けながら、パサージュの中へと入っていった。
透き通るガラスの屋根から柔らかな光が差し込み、準備に追われる職人たちや商人たちの姿が活気に満ちていた。
ふと視線を向けると、数人の職人が通路中央でベンチを動かしながら悩んでいる。
「端に寄せると壁が近すぎて、座る人が圧迫感を感じるんじゃないか?」
一人が眉をひそめて言うと、別の職人が声を上げる。
「でも、真ん中だと歩行者がぶつかるかもしれないだろ?」
さらにもう一人が、ベンチを動かしながら首をかしげた。
「真ん中に置くなら、全体のバランスも考えないといけないよな。どうすればいいんだ……?」
職人たちが頭を抱えていると、ハンザが歩み寄り、彼らを見下ろすように立った。
「迷っているようだな」
ハンザは顎に手を当てながらベンチを指し示し、静かにアドバイスを始めた。
「ベンチを少し斜めに置くんだ。背を少し合わせる形で配置して、通路の左右に人が流れるようにする。それから、背後には植栽を設置しろ。これで、座る人の後ろにスペースを作らず、盗難防止にもなる」
ハンザが職人たちに指示を出すと、職人たちはすぐに動き始めた。
そのやり取りを、リーゼロッテは少し離れた場所から見守っていた。
「なるほど、こうすれば通路全体が整いますね」
職人の一人が納得したように頷き、作業を再開する。
その一方で、ハンザは配置全体を確認しようと、一歩後ろに下がった。
(ハンザ様に任せておいて正解のようですね)
リーゼロッテは感心しながら職人たちの動きを目で追った。
だが、その瞬間、少し離れた場所にいたヴォルフの声が響いた。
「ハンザ、気をつけろ!」
警告の声に、リーゼロッテも驚いてそちらに目を向ける。
ハンザは声に気づかず、さらにもう一歩後ろへ下がった。
そして――
「……あっ」
彼の背中が、店頭の梯子に軽く触れるのが見えた。
梯子はぐらりと揺れ、その上で作業していた職人が慌てて体勢を立て直す。
しかし、設置中だった看板がバランスを崩し、落下し始めた。
「危ない!」
リーゼロッテの声が通路に響く。
彼女は即座に手を前にかざし、瞳をわずかに細めた。
魔術の基礎たる「流れ」を感知し、体内で巡る魔力を静かに集中させる。
(風で落下を止められるかしら)
頭の中で魔術式となる円環陣を思い描く。
体内に巡る魔力を血の流れに沿わせ円環陣へと注ぎ込む。
陣が輝きを帯びるイメージが頭の中に広がり、彼女の意志に応じて形が完成する。
目には見えないその円環陣が、周囲の空気を操る力となり始めた。
渦巻く風が生まれ、落下する看板を受け止める。
速度は目に見えて減速し、衝撃が弱まる。
しかし、完全に停止させるには至らない。
「……!」
リーゼロッテはさらに魔力を流そうとするが、その前に――
「任せてください!」
フィオナの声が響いた瞬間、その小さな体が弾けるように動き出した。
リーゼロッテの視界に映ったのは、まるで雷が地を駆けるかのような稲妻の一閃――彼女の動きは人間離れした速さだった。
(まるで雷……!)
リーゼロッテは息を呑んだ。
フィオナの動きに戸惑う暇もなく、彼女は一直線に看板へ向かい、力強く地面を蹴った。
跳び上がったその瞬間、全身の勢いを一つに束ねたような後ろ回し蹴りを繰り出す。
空気を切り裂く音が響き、看板はフィオナの蹴りを受けて勢いよく軌道を変えた。
まるで雷撃が大木を薙ぎ払うように、看板はハンザの頭上を逸れ、通路の反対側へ飛んでいく。
「ば、馬鹿な……!」
ヴォルフの驚愕の声が聞こえる。
「なんて速さ……本当に人間ですか?」
ハンザが半ば呆然とした表情で呟く。
周囲の職人たちも作業を忘れて、フィオナの動きを目で追っていた。
(速いだけでなく……あの一撃の力も)
リーゼロッテは感嘆しつつも、看板の行方を目で追う。
だが――
「……割れる!」
誰かがそう叫ぶ中、看板は店頭の窓ガラスに向かって一直線に飛んでいった。
◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆
ここまで読んで頂きありがとうございました。
フィオナの活躍もっとみたい!!
と思ってくださいましたら、
https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837
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