27.パサージュと肉匠館 ①

 アララトス山脈から吹き降ろす涼風が、心地よく肌を撫でる朝。


「気持ちの良い風ですわね……」


 リーゼロッテは優雅に呟き、クロエとフィオナを伴いながら、後宮の高台から城下町へと向かっていた。

 今日の目的は、新たに整備された商業区画『パサージュ』と、隣接する施設『肉匠館にくしょうかん』の視察。

 『肉匠館にくしょうかん』は、領地の食料問題を解決するためにユーリがインチキ商人のギフトで購入した、まさにインチキ施設である。

 農業協同ギルドが農民から食料を一括で買い取り、加工した品々を『パサージュ』内の店や飲食店を通じて、領民のもとへ届ける仕組みだ。 


「後宮の御殿にある冷凍庫の、でっかい版を見に行くんですよね!」


 フィオナが嬉々とした表情で声を弾ませる。

 まるで遠足の前日の子供のように、期待に胸を膨らませているのが分かる。


「ふふっ……フィオナらしい表現ですわね」


 リーゼロッテは微笑みながら、優雅に口元を隠した。


「ですが、こちらは領地全体の食料を支える施設ですから、比べ物にはなりませんわ」

「ふふ、フィオナに丁度よいのでなくて?」


 クロエが静かな口調で皮肉げに言うと、フィオナが反射的に「えっ!?」と大きく目を見開いた。


「ちょっと待って! 私、腐ってなんかないから!」


 そして、すぐに思い出したようにクロエを指さし、反撃に出た。


「むしろクロエの方こそ、ちょうどいいんじゃない? ほら、団長と騎士団の愛のロマンス、知ってる? あの名シーン!」


 そう言うと、フィオナは両手を胸元で組み、神妙な顔を作って芝居がかった声色で続ける。


「主よ、この剣を貴方に捧ぐ――!」

「な、何を言っているのですの!? やめなさいっ!」


 クロエの顔が一瞬で真っ赤に染まり、慌ててフィオナに詰め寄る。


「えへへ~、知ってるんだ? クロエ、やっぱり読んでるんだね! 団員が団長と……」

「ち、違いますっ! 私はそのような書物、知りませんわ!」


 クロエは顔を覆うようにして真っ赤になり、否定しながら手をバタバタさせた。

 だが、その動揺ぶりが何よりの証拠になってしまっている。


「え~? でも私のお部屋で見つけちゃったんだけどなぁ~。クロエがこっそり読んでた本!」

「……貴女っ、それをどこで!」


 クロエがフィオナに詰め寄り、耳まで赤くしながら手を伸ばす。

 二人のやり取りに周囲の職人たちが思わずクスクスと笑い出し、リーゼロッテは軽く咳払いをして静かにその場を収める。


「ふふっ……」


 いつもの賑やかな二人を見つめながら、リーゼロッテは穏やかに笑みを浮かべた。


「でも、きっとこれで領民の生活も一変するでしょうね。楽しみですわ」


 彼女の柔らかな声が、朝の空気に溶けていく。

 足を踏み入れたパサージュの中央広場には、活気が満ちていた。

 荷物を運ぶ労働者たちの力強い掛け声、看板を取り付ける金具が打たれる金属音、什器を組み立てる木槌の響き――。

 準備に追われる職人や商人たちの動きが、開業を目前に控えた期待感を物語っている。


「クロエ、朝から凄いね! こんなに人が集まってるなんて! あっ、私、力持ちだから荷物運び、手伝っちゃおうかな~?」


 フィオナは目を輝かせ、興奮気味に周囲を見回しながら駆け出そうとした。


「ふぃ、フィオナ、待ちなさい! あなたが手伝うと混乱しか生まれませんわ!」


 クロエは咄嗟に手を伸ばし、フィオナの襟元を掴んで踏ん張る。

 だが、大型犬に引きずられるように足元を滑らせ、悲鳴混じりの声を上げた。


「フィオナ! やめなさい! やめなさーいっ!」

「そんなことないよ! 私、ちゃんとやれるもん!」


 振り返って抗議するフィオナに、クロエは荒い息を整えながら睨みつけた。


「ちゃんとやれるって言った結果、昨日壊れた椅子や転がった荷物を片付けたのは誰だと思ってるのかしら? 本当に貴女の頭はコカトリスかスライムですの?」

「うっ……それは……」


 フィオナは口を閉ざし、気まずそうに視線をそらす。


「まったく……。『走り出してから考える』というあなたの性格、そろそろどうにかしたら?」


 ため息混じりに呟くクロエ。

 一方で、フィオナは仕切り直すようににっこり笑い、再び忙しそうな準備風景に目を戻した。


「でもクロエも、こういう賑やかなの嫌いじゃないでしょ?」

「嫌いではありませんけれど、秩序のない賑やかさは不測の事態を招くだけです」


 クロエが冷静に返す。

 まるで優等生の見本のような口調だが、その横顔はどこか楽しそうにも見える。


「堅いな~」


 フィオナはおどけたように笑い、クロエの肩を軽く小突いた。

 二人のやり取りを耳にしながら、リーゼロッテは穏やかな笑みを浮かべた。

 彼女の視線が自然と上がり、目の前にはギャルリ・ド・ギンザの門が堂々とそびえている。

 優雅で美しいその佇まいに、クロエとフィオナも思わず顔を上げた。


「そういえば、門に掲げられている『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』って……どういう意味ですか?」


 フィオナが、眉をひそめて首を傾げる。

 リーゼロッテは軽く口元に手を当てながら微笑む。


「ユーリ様が、何かの本から面白そうだから拝借した、と仰っていましたよ。確か『ここに来たらお金を使い過ぎる覚悟をしろ』みたいな意味ですって」

「えっ、お金を使いすぎる覚悟ってなんですか!」


 フィオナは慌てて振り返り、思わず自分の財布をぎゅっと握りしめる。


「そんなことになったら、私の全財産が!」

「そんな大袈裟に騒ぐほどの財産、貴女の財布には入っていないでしょう?」


 後ろから冷静にツッコむクロエの声が響く。


「ひどい! クロエ、そんなこと言わないでよ!」


 フィオナは唇を尖らせ、肩を落としたが、すぐに元気を取り戻して門を指差した。


「でも、ここでそんな看板掲げるなんて、ユーリ様もお茶目だね!」

「はっはっは、確かに、こんなお金を使うための場所を作っておいて、後で後悔しないように計画的に使えだなんて、普通は言いませんな」


 振り返ると、パサージュ組合長のハンザが門を見上げながら微かに笑っていた。

 その表情には、どこか呆れと感心が入り混じっているように見える。


「ハンザ様、お疲れさまです。こんな早朝から現場に立たれるとは、さすがでございますね」


 クロエが丁寧に言葉を選び、軽く頭を下げた。


「恐縮です。ただ、やるべき仕事が山積みなだけです」


 ハンザが謙遜するように答えたところで、リーゼロッテが口を開いた。


「お母様が無茶を申しているのではありませんか。無理をさせてしまい、申し訳ありません」

「いえいえ。むしろ、こんな辺境でこれほど面白い仕事を与えていただけたことに感謝ですよ」


 ハンザの返答に、リーゼロッテはホッとした。

 穏やかな空気を引き裂くように、不意に横から軽薄な声が割り込んでくる。


「ハンザのヤロー、あれだけ一緒に仕事したってのに、俺たちとの仕事は面白くなかったみたいですよ」


 リーゼロッテは思わず視線を声の方向へ向ける。

 そこには、建物の角から姿を現した肉屋ギルドの職員たちがいた。


「ハルト、お前は黙ってろ」


 ハルトと呼ばれた男は大げさに肩をすくめ、その隣の男が冷ややかに口を挟んだ。




◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまで読んで頂きありがとうございました。


リーゼロッテ、頑張って!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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