26.犬と猫と黒猫と

 ユーリが馬車の中でロザリーたちに振り回されているころ――。

 レーベルク男爵領では、セリーヌが領主の机に肘をつき、目の前で激しく言い争う宰相と騎士団長を呆れたように見つめていた。

 新国王が送り込んだ優秀な人材――それが彼らの触れ込みだったが、こうして火花を散らす姿を見ていると、本当に優秀なのかどうか疑わしく思えてくる。

 もっとも、彼らの口論はもはや日常茶飯事。

 最初の頃こそ新鮮に映ったが、今では執務室の日常風景と化していた。

 机の上には黒猫のコクヨウが丸くなり、その様子を目を細めながら眺めている。

 まるで「また始まったか」とでも言いたげな態度だ。

 しばらくすると、コクヨウはふわりと欠伸を漏らし、気だるげに前足を伸ばす。

 セリーヌはその仕草に目をやると、つい口元に小さな微笑みが浮かんだ。


「……言い争いなら外でして欲しいわよね」


 彼女の呟きは小さすぎて、目の前で激しく口論する二人には届かない。


「いくら軍資金が限られているとはいえ、騎士団に十分な支援がなければ討伐など到底実現できんのだぞ!」


 団長は腕を組み、どっしりとした体格で強烈な存在感を放ちながら声を張り上げた。

 その顔には、「これが分からんのか」という苛立ちが浮かんでいる。


「報告によれば、彼らの規模はわずか十数人。この程度の相手に多額の予算を投じる必要がありますか?」


 宰相は冷静な口調で反論する。

 その手には分厚い報告書が握られており、必要な情報を完璧に把握している自信が垣間見えた。


「十数人だろうと奴らの拠点は山岳地帯だ! 地の利を活かされれば被害が増えるのは目に見えている!」


 団長は「これだから宮廷勤めは……」と言いたげな表情を浮かべ、重々しい声で主張する。

 拳を軽く握り締めたまま、一歩前に踏み出すような仕草を見せるのは、性格が出ているのだろう。


「探知の魔術具を使えば簡単に見つけられるでしょう」


 宰相も負けじと冷静さを保ちながら、「これだから脳筋どもは……」と言うように微かに眉を寄せた。

 その言葉にはわずかに棘が含まれているが、感情を抑え込むような淡々とした態度を崩さない。


「はぁ? 王国のエリート騎士じゃあるまいし、そんな広範囲を対象に魔術具を扱える人材がいるわけないだろう!」


 団長の顔がわずかに歪む。

 苦々しさを滲ませながら、机に置かれた簡易地図を指で叩き、「現実を見ろ」と言わんばかりの視線を宰相に向けた。


「それなら人海戦術などという無策ではなく、もう少し現実的な戦術を提案してください」


 宰相は呆れた様子でため息をつき、書類をそっと机に置いた。

 視線は団長を正面から捉えながらも、どこか冷ややかだ。


「危険を過小評価して命を落とすのは俺たち騎士団なんだぞ!」


 団長はその言葉に食って掛かるように声を荒げた。

 拳を握り締めたまま、一歩机に近づく姿は、今にも行動に移りそうな気迫を感じさせる。


「十分な準備と計画があれば、無駄な犠牲を避けられるはずです」


 団長の威圧的な態度に宰相はわずかに眉を上げるも、意図的に声を低くし、あくまで冷静を貫こうとする。


「まるで、犬と猫ね……」


 二人の言い争いが白熱する中、セリーヌはゆっくりと息を吐き、小さな声でボソリと呟いた。

 喧騒にかき消されるかと思いきや、その言葉は意外にも部屋全体に響き渡った。


「さすが姫様。我々を頼りになる番犬と仰るか。暖炉の前で寝てばかりの猫とは大違いだな」


 団長は腕を組んだまま、ニヤリと口角を上げる。

 明らかに挑発めいた口調で、視線を宰相に向けた。


「にゃ!」


 机の上で丸くなっていたコクヨウが、鋭い抗議の声を上げる。

 まるで「誰が寝てばかりだ!」と言いたげに、しっぽをピンと立てている。


「頼りになる? 笑わせてくれますね。キャンキャンと無駄に吠えて予算エサを寄こせと言う駄犬ではありませんか」


 宰相は冷静な口調のまま、しかし眉をほんのわずかに上げて鋭い一瞥を団長に投げた。

 その顔には微かに笑みすら浮かんでいる。


「お前たちがまともな予算エサを寄こさんからだろうが!」


 団長は大きく手を横に振り、怒りを隠そうともせずに声を張り上げた。

 その言葉には、どこか焦燥感が漂っている。


「そんな予算エサがあるなら、私たちが食べたいですよ!」


 宰相は冷ややかな調子で応じる。

 その言葉には微妙な皮肉が混じり、どことなく冷淡に響いた。


「にゃー!」


 コクヨウは再び鳴き、前足で机をトンと叩いた。

 まるで「いい加減にしろ」とでも言いたげな仕草に、セリーヌは口元を押さえて笑いを堪える。

 ふと机上の簡易地図に目を落としながら、彼女はぽつりと呟いた。


「はぁ、二人には任せてられないわね。やっぱり旦那様とリーゼにお願いしようかしら?」


 その一言に、口論を続けていた二人が同時に振り返る。


「だめです!」


 宰相は即座に返答し、冷静な顔つきを崩さないままきっぱりと言い切った。


「お断りします!」


 団長も慌てて声を上げる。

 その厳つい顔には、少しだけ動揺の色が浮かんでいる。


「どうして?」


 セリーヌは首を傾げ、柔らかな笑みを浮かべた。

 その仕草に、二人は目をそらしながら互いを見やる。


「我々の立場というものもありますので……御亭主殿と若姫様にばかり活躍されてしまっては……」


 団長は気まずそうに咳払いしながら答えた。


「あまり華楼公かろうこうに目立たれますと、姫様の威光に影響が出かねませんので……」


 宰相は苦々しげに眉を寄せつつも、しっかりとした口調で言葉を続ける。

 セリーヌはその言葉に「ふぅん」と小さく呟き、机の上のコクヨウを撫でた。

 黒猫は小さく鳴き、気持ちよさそうに目を細める。


「私としては旦那様が領主でも良いのですけど……後宮で頑張っていただかないといけませんし。そうですわね……後宮を騎士領として、華楼小領公と封爵しても良いかもしれませんわね」


 セリーヌが軽やかに言葉を紡ぐと、宰相が思わず額に手を当てる。


「……話を聞いてましたか?」


 宰相の声には、隠しきれない困惑が滲んでいる。

 セリーヌは悪戯っぽく笑みを浮かべると、柔らかな声で言葉を続けた。


「小領公の件は領命だから、お願いね。それよりも、盗賊はどうするの? 二人で行ってきたら?」


 一瞬、室内に沈黙が訪れる。

 団長と宰相は互いを見やり、それからセリーヌに視線を戻す。


「……さすがにそれは……姫様の護衛もありますし……」


 団長が声を漏らし、宰相も苦笑いを浮かべる。


「駄犬と怠け猫より立派な騎士がここにいますから、大丈夫ですわよ」


 セリーヌは机の上のコクヨウをそっと撫でながら、にこやかに言い放つ。

 その声には、まるで疑いの余地がない確信が込められていた。


「にゃー」


 コクヨウが一声鳴いた。

 その鳴き声は、まるで「当然でしょ」と言いたげな自信たっぷりの響きで、誇らしげに部屋に響く。

 団長の顔が引きつり、思わず「駄犬とは誰のことだ」と口にしそうになるが、セリーヌの笑顔を見てぐっと飲み込む。

 宰相は無言のまま額に手を当て、何かを言い出したそうに唇を動かしていたが、結局そのまま押し黙ってしまった。

 セリーヌは優雅な微笑みを浮かべ、柔らかい声で問いかけた。


「予算が限られていて、計画が杜撰だと仰るなら、宰相ご自身のお力をお貸しいただけないかしら? 貴族院を好成績で卒業された上、優秀な魔術師でいらっしゃるのですもの。こういった困難を乗り越えるのはお得意でしょう?」


 その言葉は穏やかで上品そのものだったが、わずかに含まれた棘が相手のプライドを軽く刺激する。


「……それは……」


 宰相は一瞬言葉を探し、普段の冷静さを失った表情で口ごもった。


「お役に立つつもりは十分にあるのですが、盗賊退治に行くというのはまた別の話かと……」


 宰相は視線を彷徨わせながら、話題を変えようと次の言葉を急いだ。


「先日の御前会議でも肉屋ギルド長が反感を持っておりましたし、氷室の設置を早急に進めなければなりませんので……」


 セリーヌは、宰相が必死に話題を変えようとする様子を楽しげに眺めた。

 そして、ふっと優雅な微笑みを浮かべ、軽やかに割り込む。


「あら、それなら心配いらなくてよ。すでに旦那様が建ててくださっていますし、リーゼが視察に行く予定ですもの。彼女に任せておけば大丈夫ですわ」


 その瞬間、宰相の顔に驚きの色が浮かんだ。


「な、いつのまに……」


 宰相は手元の書類をめくりながら、顔を引きつらせる。

 どうやら氷室が完成している事実に気づいていなかったらしい。


「冷凍貯蔵庫という記載になっているはずですわ。後ほどゆっくり読んでちょうだい」


 セリーヌは、そんな彼の反応をどこか楽しむように眺めた。

 そして、優雅な微笑みを浮かべたままさらりと話題を戻す。


「今はそんなことよりも、盗賊をどうするかを考えないといけないのではなくて?」


 セリーヌの声は穏やかそのものだが、どこか鋭い切れ味を帯びている。


「それで、宰相は行ってくださるのかしら? それとも、まだお悩みになるのかしら?」


 宰相は一瞬目を見開き、それからぐっと唇を引き結んだ。


「……わかりました。行きますよ。行けばいいんでしょう」


 その言葉にはやや苛立ちが滲んでいるが、どうやら観念したらしい。


「嫌だわ」


 セリーヌは涼やかな笑みを浮かべながら、ゆったりとした口調で続ける。


「なんだか私が無理に言わせたみたいじゃありませんか」

「くっ……!」


 宰相の顔がさらに強張る。

 セリーヌはそんな彼の反応を少し楽しむように、さらりと付け加えた。


「私はただ、二人が言い争うのではなく、お互いに協力して事に当たれないものかと嘆いただけですわ」


 机の上で丸くなっていた黒猫コクヨウが、タイミングを見計らったかのように「ニャ」と一声鳴いた。

 まるで「そうだ、そうだ」と言いたげなその仕草に、セリーヌは口元を緩める。


「わ、わかりました。行かせていただきます。騎士団長もそれでよろしいですね?」


 宰相は観念したように息を吐き、団長の方へ視線を投げた。


「あ、あぁ……すまんな」


 団長は気まずそうに肩をすくめ、宰相を見やる。

 その声にはどこか申し訳なさも混じっていた。


「こちらだって猫の手を借りたいほど忙しいのですよ」


 宰相がそう言い放つと、コクヨウが「ニャ~~~」と鋭く鳴く。

 その鳴き声は、まるで「もっとまともな言い訳を考えたらどう?」と皮肉めいているように聞こえた。

 セリーヌはその様子に微笑を浮かべながら、コクヨウの頭を軽く撫で、小さく息をついた。


「それでは、お二人で協力して、しっかり案を練ってちょうだい。私、楽しみにしていますわ」



◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまで読んで頂きありがとうございました。


団長と宰相の活躍がもっとみてみたい!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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