25.真相の糸口 ①

(どうしてこうなった……)


 馬車の揺れに合わせて右隣から押し付けられる柔らかな感触に、ユーリはため息をつきながら目を逸らした。

 隣に座るのはロザリー・フォン・ビルモント――先日の夜会でセルツバーグ子爵令嬢にワインをぶっかけようとして騒ぎを起こした張本人だ。

 オフィーリアの指示で少しお仕置きをしただけのはずが、なぜか今ではべったり懐かれている。


(エロゲーの主人公じゃあるまいし……魅了の力なんて生えてるわけないよな?)


 契約星霊のコクヨウに「世界のバランスを崩しかねない」と釘を刺されていたことを思い出し、ユーリは内心で頭を抱えた。

 だが、そんな悩みも胸元の柔らかさがさらに押し寄せてきて、無情にも思考力を削り取っていく。


「ご主人様とこうして一緒にいられるなんて、なんて幸せなことでしょう……」


 甘い声で囁くロザリーの瞳には、ユーリしか映っていない。

 その満足げな表情に、ユーリはため息をもう一度ついた。

 左隣のリリィが、その様子を見て少し頬を膨らませる。


「旦那様の……ご主人様? えっと、どういうことでしょうか?」


 不満げな声が、ユーリの胸を鋭く突いてくる。


「いや、そういうわけじゃないんだ……」


 とりあえずリリィをなだめようと、ユーリは曖昧に言葉を濁しつつ、ロザリーに目で「離れて」と訴える。

 だが、当の本人はまったく気にしていないどころか、うっとりとした表情で耳元で囁いてきた。


「そんなに謙虚にならなくてもいいのに。ご主人様が導いてくださったおかげで、私はこうして愛の使徒として生まれ変わったのです」

「ちょっ、近い! というか、愛の使徒って何!」


 思わず声を荒げたユーリは、周囲の視線に気づいてすぐに後悔する。


「愛の使徒? えっ、えっ? 旦那様、ど、ど、どういうことなんですかぁ! な、何をなさったんですかっ!」


 リリィは膝の上で手をそわそわと動かし、顔を赤らめながら小さく身を縮める。

 ロザリーは妖艶な笑みを浮かべ、口元に指を添えてわざとらしくため息をついた。

 そして、愛おしそうにその指でユーリの腕をなぞりながら答える。


「エーデルワイス様、何をなさったも何も……ご主人様にお仕置きしていただいたからこうなったのです」

「お、お仕置き……」


 リリィの顔が一瞬で真っ赤になる。

 その小さな声には、明らかに困惑が混ざっていた。

 一方で、エリゼは何か考え込むように視線を落とし、ぽつりと呟く。


「お仕置き……」

「いや、確かにちょっとやり過ぎたとは思うけど……」


 ユーリが苦笑しながらフォローを入れると、突然エリゼが顔を上げ、目を輝かせた。


「お仕置きですわ!」

「えっ?」


 予想外の反応にユーリは驚き、座っていた身体を思わず背もたれに押し付けるように引いた。


「ふふっ、次は団長が騎士をお仕置きするのがいいですわね。『いいか、戦場では判断ミスが命取りだ。言い訳などいらん……身体に叩きこんでやる』とか……!」


 エリゼの頬は薄紅色に染まり、その目はどこか遠くを見つめている。

 表情は明らかに陶酔しており、すっかり妄想の世界に入り込んでいた。


「え、えーっと、エリゼさん?」


 ユーリは恐る恐る声をかけたが、まるで聞こえていないかのようだ。


「それから、アークとエリオが稽古で汗を流して……」


 エリゼの声がさらに熱を帯びる。

 視線は完全に宙をさまよい、頬がさらに赤みを増していく。


「地面に倒れ込んだエリオに、アークが手を差し伸べて……『これが俺なりの愛し方だ。俺はお前を絶対に見捨てない。さぁ、続きをしようか……』――」


 その場面を脳内で完璧に描き切ったのか、エリゼは両手を組み、陶酔したように息を吐いた。


「ああ、これですわ! これが私の求めていたもの!」

「エリゼさん……えっと、本当に大丈夫?」


 ユーリはなんとか彼女を現実に引き戻そうとするが、完全に無駄な努力だった。

 エリゼは勢いよく声を張り上げる。


「紙、紙と羽ペンはありませんか!」

「えっ、紙とペン? えーっと、これでいい?」


 その叫びに、ユーリはたじろぎながらも、内ポケットからボールペンとメモ帳を取り出してエリゼに渡す。


「ユーリ様! ありがとうございます! 早く書き留めないと……あら、これは?」


 渡されたペンを見たエリゼが、一瞬首をかしげる。


「あっ、やべ……えーっと、それ、ボールペンっていうんだけど、紙に書くための道具……だよ。というか、早く書かないと忘れちゃうんじゃ?」

「あっ、そうでした!」


 ユーリがカチリと音を立ててペンの先を出すと、エリゼはそれを受け取り、大事そうに手にした。

 一呼吸おいて、彼女の表情が一変し、鋭い目つきで紙に向き直る。

 宝石を眺めるようにうっとりした表情を浮かべたエリゼだったが、すぐに目を鋭くして紙に向き直る。

 ペン先を紙に押し当てると、まるで滑るように文字を書き始めた。


(もしかしてエリゼさん、腐っているのが好きなのかな……)


 ペン先が紙を滑る軽快な音が馬車の中に響く。

 その音に交じって、隣から不穏な声が聞こえてきた。


「お仕置きって……貴族の嗜みみたいな……? 旦那様は……お仕置きがお好き……」


(リリィさん? お仕置きが好きとか誤解だから! いや、確かにあの時ちょっと興奮したけど、もう一回やりたいとか思ってないから!)


 視線を彷徨わせた末、ユーリは助けを求めるようにロザリーを見やる。

 その期待に応えるかのように、ロザリーは頷き、胸を張ると堂々と宣言した。


「ご主人様は何も悪くないのです!」


 ロザリーが姿勢を正したことで、肘に伝わる柔らかな感触が、一瞬ユーリの思考を白く染めた。


「私が無知だったのです。まさか、あんなに素晴らしいことがこの世にあるとは夢にも思いませんでした。……まさに天にも昇る衝撃」


 ロザリーはうっとりと瞳を閉じ、甘い息を吐いた。


「まさに無知は罪ですわ……。ご主人様は私に、本当の幸せを気付かせてくださったのです」


 ユーリは絶句した。


(えっ、何言ってんのこの人?)


 彼女を驚愕した顔で見つめていたが、次の瞬間、エリゼがペンを走らせながら信じられない言葉を口にする。


「ハスターソードを振りかざすユーリに、華麗にレイピアを構えるエリオ……二人の剣が交わり、響き渡る声。激しくぶつかり合う動きに合わせて滴る汗……はぁっ、はぁっ、最高ですわ! 白パン三枚はいただけますわ!」

「ちょ、ちょっと待って! 団長はアークだよね!」


 ユーリはエリゼの瞳の異様な輝きに背筋を震わせながら、必死にツッコミを入れる。


「あぁ、そうでした。アークでしたわ!」


 エリゼは平然とペンを止め、名前に横線を引いて「アーク」と書き直す。

 その動作があまりに自然で流れるようだったため、ユーリは一瞬本気でワザとなのでは、と疑った。


「お願いだから間違えないで……」


 混乱に拍車をかけるようなやり取りが続く中、馬車がゆっくりと速度を落とす。

 ユーリはふと窓の外に目を向けた。

 そこには、広大な中庭を囲む石造りのイシュリアス辺境女伯の城館が広がっていた。

 青空を背に、白い壁が陽光を浴びて眩く輝き、その堂々とした姿が威厳を放っている。


(やっと着いたか……。落ち着けると思いたいけど、このメンバーじゃどうだろうな……)


 ユーリは目の前の城館を見つめながら、内心で苦笑する。

 エリゼは書き終わったのか顔を上げ、さも当然と言わんばかりの調子で言った。


「女男爵夫、ぜひこのボールペンとこのメモする紙を商品化しましょう!」

「はい?」


 突然の提案に、ユーリは目を丸くし、完全に意表を突かれた表情を浮かべる。


「だってこれ、素晴らしいですもの! 書き心地が滑らかで、羽ペンとは比べ物になりませんわ!」


 エリゼは頬を紅潮させながら力説する。

 その瞳はキラキラと輝き、さっきまでの妄想とは別の情熱に燃えているようだ。


(そりゃ使いやすいよね! なんたって日本の技術は世界トップクラスだし……でも、こっちの世界じゃ異世界の商品だからな~)


 ユーリは内心で困惑しながら、なんとか場を落ち着けようと手を振った。


「こ、今度ね。今度、詳しく話そうよ。今はほら、城に着いたし……」

「ご主人様、さすがですわ」


 不意にロザリーが、妖艶な微笑みを浮かべながら口を挟む。


「そう言いながら誰もいない寝室にお連れして、他のお話合いもなさるのですよね?」

「そ、そんなことしないからね!」


 即座に否定するユーリの顔が熱くなる。

 ロザリーは悪びれる様子もなく、にこやかに微笑んだままだ。

 エリゼもペンと紙を握りしめながら、何か新たなアイデアを思いついたらしい。


(はぁ、ここに来るだけで疲れた……)


 ユーリは静かに溜め息をつきつつ、再び城館へと目を向けた。

 目の前に広がる荘厳な景色が、ほんの少しだけ彼の心を落ち着けてくれる気がした。



◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまで読んで頂きありがとうございました。


もっと日本の商品活躍させて!!

と思ってくださいましたら、

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