24.白のクィーン幸せ計画 その2 ④

「許せない……なんで、そんな女がいいのよ。私の方が良い女じゃない。許せない。許せない……」


 まるで呪詛のようなその声が、会場の歓声にかき消されることなく、鋭くリリアーナの耳を刺した。

 彼女は息を詰め、声の出どころを探すように周囲を見回す。

 視界の端で、不自然な動きを見せる一人の令嬢が目に入った。


(あの令嬢……)


 ギデオン派に属する彼女が、慌ただしくテーブルへ近づくと、ワイングラスを二つ掴み取り、満面の笑みを浮かべながらマリアベルの方へ駆け寄っていく。


「マリアベル様! おめでとうございます!」


 明るく高らかな声が、会場の注目を再び壇上へと向けさせる。

 その笑顔には一見、祝いの意図しかないように見えるが、リリアーナはその裏に隠された歪んだ感情を感じ取っていた。


「セルツバーグ子爵令嬢!」


 リリアーナが声を上げるが、令嬢の言葉がそれをかき消す。


「この素晴らしいお祝いの場を、私も祝福させていただきます!」


 その瞬間、リリアーナの直感が鋭く警鐘を鳴らした。

 令嬢が次の瞬間、不自然に足を揺らすと同時に、悲鳴を上げて床に倒れ込む。


「きゃあ!」


 その手に握られていたワイングラスが宙を舞い、赤い液体が放物線を描いてマリアベルへと飛び散る――かに見えた。


「危ない!」


 瞬時に動いたのは青年だった。

 迷うことなく彼はマリアベルの前へ飛び出し、庇うように腕を広げる。

 真紅のワインが彼の胸元に勢いよく降りかかり、会場内にいた誰もが息を呑んだ。

 令嬢は床に倒れたまま顔を上げ、状況を確認する。

 だが、自分の狙いが外れたことに気づくと、その表情には驚愕が浮かんだ。


(やっぱり……わざとね)


 リリアーナは心の中で確信したものの、今は場の空気を壊さぬよう冷静に事態を見守るしかなかった。

 青年は全身を濡らしながらも毅然とした態度を崩さず、振り返ってマリアベルの顔を見つめた。


「マリアベル様、大丈夫ですか?」


 その声には動揺は微塵もなく、ただ彼女を気遣う温かさだけが込められている。

 マリアベルは驚きに目を見開きながらも、そんな彼の姿に表情を和らげ、小さく頷いた。


「ええ、ありがとうございます……守ってくださったのですね」


 その言葉に青年は微笑み、安心させるように頷くと、次に令嬢の方へと振り返った。

 彼の眼差しは冷静そのものだったが、その中に鋭い光が宿っている。

 令嬢はその視線に怯えたように一瞬目を泳がせ、次いで顔をそらす。


「こ、これは事故ですわ! つまずいてしまっただけで……本当にごめんなさい!」


 震える声で言い訳をする令嬢に、会場の視線は冷ややかだった。

 ここかしこから、小さな囁き声が漏れ聞こえてくる。


「わざとじゃないのか?」

「どう見ても不自然だったぞ……」


 リリアーナもその場を見つめながら、内心で静かに溜息をつく。


(そんな作り笑いで誤魔化せると思っているのかしら。会場中が見ていたというのに……)


 その場の緊張を感じ取ったユーリが、静かに手を挙げた。

 その仕草は自然で、怒りや苛立ちの気配は微塵も感じられない。

 それだけで場のざわつきが少しずつ収まり始めた。


「どうやら、少し足元が滑りやすかったようですね」


 ユーリは穏やかな声で笑みを浮かべながら続ける。


「このような場での事故は残念ですが、皆さま、どうぞ引き続き夜会をお楽しみください」


 周囲の貴族たちが一瞬顔を見合わせると、空気が徐々に和らいでいく。

 ユーリはそのまま令嬢の傍へと歩み寄り、床にうずくまった彼女に静かに手を差し出した。

 その優雅な動きに、令嬢は怯えたように顔を上げる。

 震える手でその手を取ると、ようやく立ち上がった。

 だが、その瞬間――令嬢の顔色が急に青ざめる。

 ユーリが低く何かを囁いたのだ。

 周囲には聞こえないその言葉に、令嬢はみるみるうちに蒼白になり、口をパクパクとさせて狼狽する。


「きょ、今日は体調がすぐれませんから……帰りますわ」


 令嬢は早口でそう言い捨てると、視線を彷徨わせながら足早に会場を立ち去ろうとする。


「それならば、お送りいたしましょう。ご無事に帰られるようエスコートさせていただきます」


 ユーリの声は穏やかだったが、その言葉に令嬢は肩を跳ねさせた。

 振り返ることもできず、震える手でスカートを握り締めたまま何度も頷く。


「お足元にお気をつけください。先ほども危うい場面がありましたから」


 そう言いながら、ユーリはさりげなく令嬢の腕を取り、丁寧にエスコートを始めた。

 令嬢はぎこちない動きでついて行くが、その姿は彼の紳士的な態度とは対照的で、狼狽ぶりを隠し切れていない。

 その光景を、リリアーナは静かに見守っていた。

 飄々とした態度を崩さないユーリの背中には、場の空気を支配する圧倒的な存在感が漂っている。


(あの令嬢、何を耳にしたのかしら……)


 隣でオフィーリアが、晴れやかな笑顔を浮かべながら二人を見送っている。

 どこか満足げなその表情に、リリアーナは微かな違和感を覚えた。


「オフィーリア様、よろしいので?」


 リリアーナがそっと問いかけると、オフィーリアは柔らかな微笑みを浮かべた。


「えぇ、大丈夫よ。旦那様に少しお仕置きをお願いしましたの。……旦那様も最近忙しくてご無沙汰でしょうから、うまく聞き出してくれますわ」


 オフィーリアの淡々とした言葉に、リリアーナは思わず小さく瞬きをする。

 その口調には微塵の躊躇もなく、どこか確信に満ちているようだった。


「それに、ロザリー様はビルモント伯爵のご令嬢。父君はギデオン派の重鎮ですし、ロザリー様ご自身も貴族院を好成績で卒業された優秀な方。これで私の仕事も少し楽になりますわ」


 微笑みを浮かべるオフィーリアの横顔からは、得難い駒を手にした者の満足感が滲み出ていた。


(旦那様にお仕置き……? さっきから妙に楽しそうだけど、本当に何をするつもりなのかしら)


 リリアーナはそう思いつつも、深く追求はせず、再び会場の様子へと目を向けた。

 令嬢とともに会場を後にするユーリを見送りながら、自然とギデオンの姿を探す。


(さすがの叔父様も、これだけの注目を浴びたユーリ様の独壇場には割り込む余地がなかったようね)


 マリアベル嬢が纏っていたドレス――その華やかさと美しさが場をどれほど魅了したかは言うまでもない。

 それを仕立てたのはベルクレア仕立工房、そして絹織物を独占販売するのはサント=エルモ商会――いずれもリリアーナが支援し、その成長を後押ししてきた存在だ。

 これらの存在がリリアーナの派閥を象徴し、彼女の指導力がこの夜会の成功に大きく貢献していることを誰もが理解していた。

 ふと視線を凝らすと、壇上の端でギデオンが苦々しい表情を浮かべているのが見えた。

 これまで余裕を崩さなかった彼の顔が、今は明らかに歪んでいる。


「奴め……どこまでも鼻につく田舎者ですぞ」


 低く呟かれたその言葉が微かにリリアーナの耳に届く。

 視線を動かすと、ギデオン派の貴族たちも困惑した顔で「どうすればよいのですか?」と言わんばかりの目をギデオンに向けていた。


(今夜の成功で、セルツバーグ子爵の協力も得られるわ。ギデオン派の結束に楔を打ち込む好機ね)


 リリアーナの胸には冷たく静かな満足感が広がる。

 だが、それ以上に頼もしさを感じたのは、この夜会の主役でありながら舞台裏でも完璧な手腕を発揮したユーリの存在だった。


(ユーリ様の性格からして、あれだけ完璧に見せながら、実は冷や汗をかいていたのかもしれないわね。いえ……本当に全て計算済みだった可能性もあるわ)


 そんな考えが頭をよぎり、リリアーナは思わず口元に微笑みを浮かべた。

 その時、ギデオンが壇上へと歩みを進めた。

 ゆっくりとした足取りではあったが、その動きには焦燥感がにじみ出ており、まるで最後の悪あがきのような空気が漂っていた。


(ここまで来て何をするつもりかしら……諦めが悪いわね)


 彼の手が広げられるのを見て、リリアーナの胸に再び警戒の色が灯る。


「いやぁ、若い者の大胆な振る舞いには、予も感服しましたぞ! 予も二人を心から祝福するですぞ」


 だが、その言葉はどこか滑稽に響き、会場の一部から控えめな囁き声が漏れた。


「ふむ、今さら何のつもりだ?」

「既に皆が祝福を述べた後だというのに……少々遅きに失したな」


 重なる囁きの中、壇上にいるマリアベルと青年はギデオンの存在など意にも介さず、手を取り合い微笑み合っている。

 その様子にギデオンは苛立ちを隠せないようで、歯軋りをしながら壇上を下りた。


「これで終わりだと思うな……次は容赦せんぞ、リリアーナ……」


 低く吐き捨てるようなその言葉に、リリアーナはわずかに眉をひそめたが、すぐに毅然とした微笑みを浮かべる。


「叔父様、この後の夜会もどうぞお楽しみくださいませ」


 その一言で、ギデオンの動きを封じるように優雅に頭を下げた。


「ふん」


 鼻息を荒くしながら去っていくギデオンの背中を見送る会場の貴族たちは、冷ややかな目で彼を見つめていた。

 一部は失笑を漏らし、また一部はそっと目をそらしている。

 壇上に目を戻すと、まだマリアベルと青年の二人だけの世界が広がっている。

 その幸せそうな光景を見つめながら、リリアーナはふっと微笑んだ。

 だが同時に、胸の奥に小さな棘が刺さったような痛みを覚える。


(私にも……あんなふうに誰かと一緒に笑い合える日が来るのかしら……)


 その思いがよぎると同時に、リリアーナはすぐさま表情を引き締めた。

 彼女は自分がイシュリアス辺境女伯であることを思い出し、感情を抑え込むように静かに首を横に振る。


(そんな甘いことを考えている場合じゃないわ。今の私には、しなければならないことがあるのだから)



◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまで読んで頂きありがとうございました。


ユーリのお仕置きシーン見てみたい!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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