23.とある密偵の受難 その3 ①

 夜の帳が降りる中、ヴォルフは自室の窓辺に立ち、忌々しげな目で外を見下ろしていた。

 松明とランタンの灯りが揺れる中、パサージュでは開店準備の喧騒が響いている。

 その中に、行商ギルド長だったハンザの姿があった。

 彼は商店主たちに指示を飛ばし、まるで現場の王でも気取っているかのようだ。


「ハンザのヤロー、ありゃもう領主様の犬だな。いっそ首輪でもつけてもらえりゃ、似合うんじゃねぇの?」


 隣で突然声が聞こえ、ヴォルフは眉をひそめた。

 いつの間にか現れたハルトが、窓辺に手をついて下を睨みながら鼻を鳴らしている。

 軽薄な口ぶりに、ヴォルフは返事をする気にもなれず、ただ外を睨み続けた。


「ハルト、そんなしょうもないことでガタガタ言うな。ギルドを動かすのに、腹芸は必要ってことだろ」


 背後から飛んできた副ギルド長ヘンリーの声に、ハルトが振り返る。

 椅子にふんぞり返ったヘンリーはワインを片手に、どこか楽しげだった。

 厚ぼったい声で笑いながら、ヘンリーはカップを軽く振ってみせる。


「それに、領主側につくのはハンザなりの生き残り術だ。俺たちにケツ向けたくなる気持ちも、まあわからんでもない」

「おいおい、あいつはこっちの稼ぎを横目に見ながら、領主の下でのうのうとしてるんだぞ? 腹が立たねぇ方がおかしいだろ」


 ムッとした顔で言い返すハルトに、ヘンリーは鼻で笑った。


「お前が腹立てても、奴は何とも思っちゃいねぇさ。それより、こっち来て飲めよ。ワインが泣いてるぜ?」


 椅子をガタリと引きながらヘンリーが笑いかける。

 その余裕たっぷりの笑みに、ハルトは一瞬鼻白むものの、すぐに肩をすくめてヴォルフに手招きした。


「ヴォルフさんも、どうです? こんな所で突っ立ってるより、テーブルで飲んだ方が気が休まるってもんですよ」


 ハルトの言葉に、ヴォルフは少しだけため息をついた。

 ちょうどカップが空になっていることに気づき、渋々窓から離れる。

 ヘンリーとハルトが囲むテーブルの空いた席に腰を下ろすと、ハルトが嬉々としてワインボトルを手に取り、彼のカップに注ぎ始めた。


「そんじゃ、一杯やりましょうぜ。どうせ、ハンザの奴も長くは持ちませんよ。あいつがいつか領主に裏切られる姿を思い浮かべて、楽しく飲もうじゃないですか!」


 軽薄な笑みを浮かべるハルトに、ヴォルフはわずかに口元を歪めた。


「馬鹿なことを……」


 カップを手に取ると、赤ワインの香りが鼻をくすぐる。

 喉を通る濃厚な味わいが、ほんの少し苛立ちを和らげたような気がした。

 だが、その奥底に燻る焦燥感が消えることはなかった。


「氷室がまだ完成してないってのに、改革案だけは進んでるな。あの女領主、どう考えてもこっちの約束守る気ないだろう」


 ヘンリーがカップを回しながら、苦々しげに呟いた。


「ホントふざけるなって話ですよ。元淑妃か何か知らないっすけど、母親は娼婦なんでしょ?」


 ハルトが軽薄な笑みを浮かべながら言うと、ヴォルフの手がカツンとテーブルに置かれた。


「母親は関係ないだろう。淑妃も王族だ。言葉に気を付けろ」


 低く、冷たい声にハルトがビクリと肩を震わせた。


「ヴ、ヴォルフさん、怖いっすね。それぐらいで怒んないでくださいよ。次から気をつけますんで……」


 ハルトが額の汗をぬぐいながら笑いを浮かべるが、その声は少し上ずっている。


「ハルト、貴族を舐めるなよ」


 ヘンリーがワインを一口飲み、静かに口を開いた。


「やつらは自由に魔術を使えるんだ。平民とは血が違うんだよ。下手すりゃ、一発で首が飛ぶぞ」

「でも、御領主様は貴族じゃなくて平民なんでしょ? 貴族と結婚したら魔術が使えるようになるんですかね?」


 ハルトが興味ありげに首を傾げると、ヘンリーが鼻で笑った。


「そんな話は聞かんな。でも、娘のリーゼロッテは元王女殿下だ。こっちはバリバリの風魔術の使い手だって聞くぞ」

「ひゃー、それで王族侮辱罪でスパンですか。怖い怖い」


 ハルトがふざけた調子で肩をすくめると、ヴォルフが苛立ちを抑えたように口を開く。


「そうだ、王族侮辱罪だ。お前の首が飛ぶだけならいいが、それが波及してこっちの立場まで危うくなるんだぞ」


 その声に込められた威圧感に、ハルトが言葉を詰まらせる。


「……すみません、気をつけます」


 ハルトがしょんぼりした様子で口を閉ざすと、ヘンリーがわざとらしく笑いながらカップを掲げた。


「まあまあ、せっかくの酒がまずくなっちまう」


 ヴォルフはヘンリーを一瞥しながら、深く息を吐き、カップに手を伸ばした。


「でも、魔術が使えたからって、ドラゴンには勝てやしませんよね」


 ハルトが話題を変えるように、カップを回しながら軽い調子で言う。


「そうだな。勇者ですら討伐できたなんて話は聞かねぇしな」


 ヘンリーが答えると、ハルトは得意げに頷きながら続けた。


「じゃあ、アララトス山脈から氷なんざ持って来れるわけないっすよね」

「まぁ、普通だったらな」


 ヘンリーが含みを持たせた口調で答えると、ハルトが首を傾げる。


「ん? 王女殿下は勇者ほど強くないんでしょ? 普通じゃねーんですか?」

「お前は馬鹿か。外の建物を見てないのか?」


 ヴォルフが低い声でハルトを一喝した。

 その声には苛立ちが滲んでいる。


「あんな建物を一夜で作れる人間が、普通の魔術師だと思うか?」


 言葉に詰まったハルトに冷たい視線を投げたまま、ヴォルフは続けた。


「それに、数日前から奴らからの連絡が途絶えた」

「マジかよ」


 ヘンリーがカップをテーブルに置き、眉をひそめる。


「奴らって……盗賊役やらせてた遊撃士フィールダーの連中からっすか?」


 ハルトが小声で言うと、ヘンリーが露骨に顔をしかめた。


「馬鹿かお前、それを口にするなって言ってんだろ」

「だ、誰も聞いちゃいませんよ」


 ハルトが苦笑いを浮かべた瞬間、ヴォルフが冷たく言い放った。


「その油断が足元をすくうかもしれんのだぞ。その口、潰されたいのか?」

「……すみません、気をつけます」


 ハルトが目を逸らし、肩をすぼめる。


「イシュリアス辺境伯軍が動いたってことか?」


 ヘンリーが問いかけると、ヴォルフは首を横に振った。


「いや、それはない。あの方からは連絡が来てないからな」

「でも、奴らの中にも貴族はいませんでしたっけ?」


 ハルトが恐る恐る尋ねる。ヴォルフは軽く鼻を鳴らしながら眉をひそめた。


「家に居場所がなくなった男爵の三男坊なんざ、魔術具で身体強化できるだけじゃねーか。ギフトがなけりゃ、ただの人だろうが」


 星辰の儀で授かるギフト――それは神々や星霊から与えられる特別な才能や恩恵だ。

 たとえば身体を強化する魔術や天賦の技能、中には炎や氷を自在に生み出して支配するほどの力を授かる者もいる。

 だが、すべての貴族が強力なギフトを授かるわけではない。

 ギフトを得られなかった貴族――中でも三男坊や四男坊といった立場の者たちは、しばしば家族から疎まれ、半ば追い出されるように冒険者や遊撃士フィールダーとして傭兵稼業に就くのが常だ。

 それでも最低限の血筋ゆえに魔術具を扱えるため、下層の戦力としては役立つ。


「いやいや、マナを持ってて、結晶がなくても身体強化できるだけでも十分だろうよ」


 ヘンリーが肩をすくめながら言うと、ハルトが手を叩きながら同調した。


「それっすよ! 俺たちなんてマナ結晶がなきゃ魔導具すらまともに扱えないんすから!」


 ヴォルフはその言葉に反応せず、わずかに眉をひそめた。

 マナ――それは魔術を発現させるための神秘の力。

 貴族たちの血にはこのマナが宿り、生まれつき体内に蓄えられるため、魔術具を自在に使いこなせる。

 それに対し、平民はマナを直接扱えず、マナ結晶を媒介として魔術を使う魔導具に頼るしかない。


「結晶が必要なく魔術具を扱える貴族どもは、ホント恵まれてますよねぇ……」


 ハルトが皮肉交じりに呟いた。その口ぶりとは裏腹に、わずかに浮かぶ羨望が見て取れる。

 ヴォルフは銀製のカップをゆっくりと置き、冷たく吐き捨てた。


「……それが血統の証明であり、支配者たる力だろうよ」


 その言葉には、生まれつき力を持つことを当然とする貴族たちへの苛立ちが滲んでいた。

 だが、ヴォルフにとって、血統や身分などどうでもよかった。

 マナを持っていなくても、必要な力はいくらでも手に入る。

 それを補う手段や道具さえあれば十分だ。

 力の価値を決めるのは、その出所ではなく、どう使うか――。


(結局、力なんて使い方次第だ。血筋があろうがなかろうが、使い方を間違えればただの無能。それがわかっていない奴らが、どうしてこれほどまでにのさばっている?)


 ヴォルフがカップを回しながら黙考していると、ヘンリーが声を潜めて問いかけた。


「で、どうするんだ?」


 その短い問いには、ただの興味ではなく、緊迫した空気がにじんでいた。

 ヴォルフはカップの縁を指で軽くなぞり、一息ついて口を開いた。


「まずはあの領主をもっと探る。一夜で建てた建物に魔獣討伐……奴らがどんな手を持っているのか調べさせる」

「誰に調べさせるんだ?」


 ヘンリーが問いかける声には冷静さとわずかな期待が込められていた。

 ヴォルフはニヤリと笑い、銀のカップを静かにテーブルへ置く。


「あの方が丁度良い駒を寄こしてくれている」


 そう言うと、ヴォルフは立ち上がり、執務机の引き出しを開け、中から漆黒の魔導具を取り出してテーブルに置いた。


「なんすか、これ?」


 ハルトが眉をひそめながら尋ねる。

 漆黒の魔導具は光を吸い込むような艶を放ち、表面には不気味な刻印が施されていた。

 ヴォルフは笑みを浮かべ、魔導具を指で軽く叩いた。


「まぁ、待て。こいつを使う奴がもうすぐ来るはずだ」




◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまで読んで頂きありがとうございました。


ヴォルフも頑張れ!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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