21.ドレス騒動の行方 ②

「なぜ夜会の時に、彼は謝罪をしなかったのだ」


 子爵が再び厳しい視線を向ける。

 その問いに、ユーリはあくまで飄々とした態度で応じた。


「彼は子爵令嬢を心から愛しているんです。どれほど愛しているかというと……」


 ユーリは周囲を一瞥してから、少し控えめに続けた。


「足に踏まれたいと思うほどに」

「……は?」


 子爵は「何を言っとるんだこいつは?」というような目つきで固まった。 

 室内の空気が一瞬凍りつく。


「どうも、聞き間違いをしてしまったようで……」


 ユーリは何事もなかったようにさらりと付け加える。


「……聞き間違い?」


 子爵は眉間にさらに深い皺を寄せた。

 隣に座るエレナが、状況を理解できずに目をパチパチと瞬かせているのが視界の端に入る。

 リリアーナがわずかにため息をつきながらも、興味深そうにユーリの言葉を見守っていた。


「はい、あまりのご息女のおみ足の美しさに見惚れていたらしく……。いずれにせよ、彼が娘さんに対して抱いている思いは本物です。ですので、婚姻にヒビが入ることはないかと」

「たとえそうだとしても!」


 セルツバーグは勢いよく背もたれに体を預け、次いで椅子に深く腰掛け直した。


「貴族の結婚は家同士の問題だ!」


 その低く押し殺した声は、部屋全体に響き渡り、反論を許さない威圧感を伴っていた。


「個人間の感情がどうであれ、貴族社会での評判が落ちていては、いくら本人が良くても家が許可を出すことはない!」


 子爵のその言葉に、ユーリはリリアーナへ視線を向けた。

 リリアーナが彼の意図を察して頷き、軽く微笑む。


「そこで、提案がございます」


 ユーリが穏やかな笑みを浮かべ、子爵に語りかけた。


「イシュリアス辺境女伯に夜会を開いていただき、この世界にはないような素敵なドレスを着ていただくのです。そして、その夜会で彼にプロポーズをしてもらう。そうすれば、令嬢も元気を取り戻し、評判を挽回することができるのではないでしょうか?」


 その提案に、子爵は一瞬驚いたように目を見開き、それから黙り込んだ。

 顎に手を当て、深く考え込む。

 しばらくして、子爵の重々しい声が部屋に響いた。


「だが、本当に成功する保証はあるのか?」

「イシュリアス辺境女伯とオフィーリア、そしてエレナさんの力を合わせれば、きっと最高の夜会になります。評判を覆すどころか、ご令嬢の魅力がさらに引き立つこと間違いなしです!」


 ユーリの言葉には自信があふれていた。


「なぜそこに男爵夫の名前がないのでしょう……」


 リリアーナはため息をつきながらも、どこか呆れた様子でユーリを見つめた。

 子爵の瞳が一瞬だけ虚空を見つめ、重く深い息を吐き出した。


「……わかった。娘が部屋から出てきて夜会に出る、と言えば工房への非は問わないことにしよう」


 眉間の皺を指で押し広げるようにして、子爵は疲れたように呟いた。


「これ以上貴殿と話をするのも疲れるからな。だが、期待しているぞ、シュトラウス卿」


 子爵は椅子を押して立ち上がりかけたが、途中でユーリの声に動きを止めた。

 ユーリは軽く手を前に出し、慌てて声を上げる。


「子爵、お待ちください。その前に、もう少しだけお聞かせ願えませんか?」


 セルツバーグは眉間に皺を寄せ、ゆっくりと座り直しながら問い返した。


「まだ何かあるのかね?」

「今回の件について、どのような経緯で商会と取引されたか、詳しくお聞きしたいのです」


 子爵は少し不満げな表情を浮かべながらも、顎に手を当てながら静かに語り始めた。


「そもそものきっかけは、ローゼンクライツ商会が『上質な深紅の生地を手に入れました』と言ってきたことだ。娘の次の夜会用にどうかと勧められてな。少し派手かとも思ったが、生地を見た娘がすっかり気に入ってしまった」


 ユーリはその言葉を聞きながら、心の中で状況を整理する。


(なるほど、商会の売り込みが発端か。そして、娘が気に入ったことで話が進んだわけだ)


「最初はいつもの仕立屋に頼むつもりだったのだが、商会がこう言ったのだよ。『折角の特別な生地なので、イシュリアス一のベルクレア仕立工房に頼んでみてはいかがですか?』とな」


 子爵の語気には微かな苛立ちが混じっていた。


「工房とはツテがなかったから不安もあったが、娘が『ぜひお願いしたい』と頼むし、商会も『全てお任せください』と自信満々に言うからな。それならと任せてみたのだ」


 ユーリは黙って子爵の話を聞きながら、胸の中で別の可能性を思案していた。


(商会がベルクレア仕立工房を名指ししたのは偶然か、それとも……。それに『全てお任せください』というのも引っかかるな)


 その言葉を聞いていたエレナが、驚きの表情を浮かべる。

 彼女は思わず立ち上がりかけるような勢いで口を開いた。


「そ、それは……! 私たちは最初、『半年後の式典用』と伺っていました!」

「式典用だと?」


 子爵は困惑したように眉をひそめた。


「式典で深紅の生地など派手すぎる。それに、儂は確かに『夜会用』と言ったはずだぞ」


 エレナはその視線に一瞬怯えたように身を縮めたが、小さく頷きながら声を震わせて続けた。


「はい……。ですので、依頼主である子爵に直接確認させていただきたいとお願いしたのですが、商会の方からは、『子爵からは全て任されている。時間も十分にあるのだから、どうしても納得できないなら、最適な生地を皇国に仕入れに行けばよい』と言われて……」


 エレナの声には、悔しさと困惑がにじんでいた。


「それでも納得がいかず、再三お願いを繰り返しましたが、最後には言い争いになってしまい……。父は『なら、最高の生地を探してきてやる!』と言い残して皇国へ向かいました」


 一瞬、エレナの声が途切れる。

 彼女は震える拳を握りしめ、小さく息をついてから再び口を開いた。


「それから数日後、商会の担当者が突然現れて……『注文を取り違えていた。一ヵ月後の夜会に必要だ』と言われました」


 エレナは俯きながら話を続けた。


「親方が不在のままでは対応できないとお伝えしましたが、『夜会なら先日の深紅の生地でも問題ないだろう。貴族の仕事を断れば、仕事が来なくなるぞ』と脅されて……。それでも断ろうとしたのですが、最後には……」


 彼女の拳が、かすかに震えた。


「『何か問題があれば、自分たちで何とかする』と言い切られてしまいました。それで……親方が不在の中、私の一存で仕事を失うわけにはいかず、職人たちも『親方のために』と賛成してくれたので、仕方なく引き受けることにしました」


 エレナは胸の内の葛藤を振り払うように、かすかに首を横に振った。


「でも――」


 リリアーナがそこで優しく口を挟んだ。


「エレナ嬢、その『何とかする』という話、証文に書いてもらったの?」


 エレナは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに小さく首を横に振った。


「……いえ。何も書面には残されていません。お話を信じただけで……」


 リリアーナは少し眉をひそめながら、静かに頷いた。


「それで、実際に問題が起きた時に、仕立屋ギルドに相談しなかったの?」


 彼女の冷静な問いに、エレナの声がさらに小さくなる。


「相談いたしました……。でも、ギルド長からは、『商会側は、そんな約束をしていないと言っている。それより、親方が不在の状態で仕事を請け負う方が問題ではないか。次の本会議で営業権の停止を議題に上げさせてもらう』と……」


 部屋の空気が一瞬凍りついたように静まり返る。

 ユーリはその言葉を頭の中で反芻しながら、思わず唇を引き結ぶ。


(やはり最初から工房の営業権を取り上げるのが狙いだった可能性が高い。でも、わざわざ貴族を巻き込んでまでやることか? そこまでのリスクを負って何を狙っているんだ?)


 モヤモヤとした疑念が胸の奥で渦巻く中、ユーリは無意識に首を捻る。


「……これは、ただの誤解や行き違いでは済みませんね」


 リリアーナの冷ややかな声が空気を切り裂いた。


「そうだな……まさか儂の知らないところで、そんな話になっておったとは……」


 セルツバーグの低く押し殺した声には、怒りと後悔が絡み合い、徐々にその鋭さを増していく。


「それが本当であれば、私の娘の評判が落ちたのは、商会のせいではないか!」


 言葉と同時に、子爵の拳がテーブルに落とされ、重い音が響き渡る。

 部屋全体が再び緊張感に包まれた。

 リリアーナは子爵の荒ぶる様子をじっと見つめていたが、やがて静かに首を振る。


「子爵、確かに商会に非がある可能性は高いです。ですが、現時点では証拠がない以上、彼らに詰め寄るのは得策ではありませんよ」


 彼女の冷静な声が、その場の空気を少しだけ和らげた。

 だが、子爵はその言葉を聞き流すかのように身を乗り出し、勢いよくユーリの両手を掴んだ。


「シュトラウス卿……頼む、娘を陥れたやつらを突き止めてくれ! もし協力が必要なら、儂も全力を尽くす!」


 子爵の目は血走り、声には切実な響きがあった。

 勢い余って体が前のめりになり、さらに力を込めて訴えかける。


「この通りだ。もしも、儂の願いを叶えてくれたなら、その時は儂も貴殿に助力を惜しまぬ。な、な、この通りだ!」


 あまりの迫力にユーリは思わず仰け反りそうになる。


「ち、近い、近いです!」


 子爵の熱意を感じつつ、ユーリは視線を逸らしながら苦笑いを浮かべた。


「分かりましたから、ひとまず手を離してください。距離感が……その、ちょっと……」


 子爵は、ようやくその言葉に気づいたのか、力を抜いて手を離すと、少し気まずそうに咳に座り直した。


「す、すまんな。つい感情が高ぶってしまった……だが、本当に頼むぞ。これ以上、娘の評判を落とすような事態を許すわけにはいかんのだ……!」


 子爵の熱量に圧倒されながら、ユーリはゴクリと唾を飲み込み頷いた。




◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまで読んで頂きありがとうございました。


ドレス騒動の元となった夜会のシーンも見たい!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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